ある人の本、というか内田樹という人の『下流志向』という本によると、最近の子どもたちが社会との最初の関係をもつのは、消費者としての関係だというお話。コンビニで買い物をするときに、子どもも大人も消費者としてまったく同等の待遇を受けることが、幼い子どもにとっては全能感に等しい快感になり、幼くして消費者としてのアイデンティティを確立して、それがその後の人生をも決めてしまうこともあるのだとか。若い人がお金にこだわるのは、拝金主義だからなのではなく、消費活動こそが自己の開放になるためなんだそうです。学校においては金銭に代わって苦役を差し出すことによって等価交換に徹するのだそうで、賢い消費者であるためには、幼い自分にあらかじめ価値のわからない勉強に対しては、勉強しない(苦役をしない)ことによって、損をする可能性を賢く回避するのだそうです。それで学力も低下するわけです。
消費社会の消費生活の論理がそんなところまで支配してしまうので、知的な進歩というものも必要は感じないわけなのでしょう。
経済や物質文明の進歩は、今の日本はもう望むべきではないと思います。そういったことを最優先する考えは、捨てるべきです。しかし知性や精神的なものは、人や自然を、そして世の中や歴史を理解するために、もっともっと成長しなければならないはずです。このへんの兼ね合いのことを考えないといけないのでしょうね。
政治は利害対立の当面の妥協のための方便であって、精神的とはいいがたいものです。権利を主張しあわないで全てが平和であることが理想なのですから、権利が増えることが進歩だというのはどこか倒錯しています。けれどこういう理想や現実の論から離れて、少しでも値切って得をしようという消費活動として政治運動を考えてしまうのは、とても寂しいことです。
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