落語の「長屋の花見」では、タクアンのことを卵焼きというのは、一種のウソなのでした。ウソだということはわかっていても、せいいっぱいみんなでウソを楽しんでいるわけです。
「許されるウソ」というのもあるわけです。

ガンという病気を本人に告知しないで、本人も看病する家族も、もうじき癒るという前提で、毎日を前向きに生きてゆくというケースもあります。看病する家族は最初からウソと知っているわけですが、本人はしばらくたってから、それとなく気づいて、ある段階からそれが確信に変わってしまっても、家族のことを思って、本人自ら同じウソの世界に生きるようになるといったケースです。

金庫破りのジミーが、鍵をあけてしまっても、周囲は深い愛情をもって今まで通りのウソの世界でジミーを受け入れようとしました。

哀れなウソというのもあります。自分のことを良く見せようとしてウソをついて、そのウソがばれそうになるとまたウソをつく。そうやってウソの上塗りを続けているうちに、けっきょく自分を破滅の道に追い込んでしまうという少女の話が、夢野久作の小説にあったのですが、似たような実話を聞いたこともあります。そういうウソは上昇志向ということではなく、何か心の病によるものなのでしょう。

個人的にどうしても困るウソがあります。鳩子のことを二次元アイドルだと思ってメールをくれる男性のことです。ネット上では二次元アイドルと見てもらってもかまわないですし、オタク男性のバーチャル恋愛を否定する気もありません。でもそういう人は二次元に徹するのがオタク道だと思うのです。そういう男性がもし鳩子にメールするときは今までにない大きな決意が必要になるはずです。鳩子は生身の存在なんですね

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二次元アイドル

お気持ちはよくわかります。ネット上で活動しているみたいだから二次元アイドルだと思われると存外ですよね。私もネットアイドルと言いつつ、ネットは単なる情報や考えを伝える道具なんです。実際に存在するリアルな人間ですし、ネット上の自分とリアルな自分は一致しています。

ネットと現実

私もネット上の自分と現実の自分は同じなんですよね。
(ただし公開できないプライバシーの多い少ないはありますし、若いころの写真と今の私は微妙に違います)

男性の中には、現実の女よりもトランス女のほうが、より女性的だと考えていらっしゃる人もいて、10年以上前の古典的なイメージでなら、それはそれで哲学的で良いのですが。
「男性の好みをよく理解してそれらしく女性的にふるまってくれるのがトランス」という言い方も昔からあったのですが、最近はその「男性の好み」の部分が「二次元オタクの好み」にすり変わってしまって、「ネットサーフィンの恥はかき捨て」といった感じの人が増えてるのかもしれません。顔が見えないので言葉だけならなんでもありのような困った人たちです。そういう人たちはこの「忘れな草紙」までは読まないでしょうけど

女性らしい     

現実の女性よりトランス女性のほうが女っぽい、と思ったのは90年代半ばでした。そしてトランスジェンダー関係の書籍を読みあさって、99年に行き着いたのが、新宿2丁目のニューハーフのお店でした。
この8年間リアルにトランス女性の方300人以上と接してきて、彼女たちが女性らしい感情を持ち日々きれいになるために努力している事実をひしひして感じました。
ただし、両性具有はやっぱりアニメの世界だけなんだと悟りましたね。

そんなにほめて

そんなにほめて良いのかどうかわかりませんが、みなさんおきれいでよろこばしいかぎりです ^^
そういう女性のことをバーチャルだといってより本質的なのだとかいう人もあるようですが、ネット上のバーチャルとは次元の異なるものなので混乱は避けたいところです。
アニメはわかりませんが、両性具有性のことは古典文学や芸能などでは大事な要素になってるのでしょうね。

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