2/27の「悲しみの子守唄」は、昔の少年というか稚児の両性具有性について書いたのです。
こういう問題について、視覚的な美しさのことだけ書く人が多かったのですが、目を閉じて空想したことを書きました。ただの空想で、感情に訴えるものではありますが、面白い見方ができたと思います。水辺に消えた姉妹たちの霊のことや、少年がなぜ学問にいそしまねばならないかを書きました。
瞳を閉じていたから書けたのでしょう。

そんなことは、今まで何回かありました。例の「おかまの語源」も、土かまどの丸い形状を凝視するのではなく、目を閉じていたら、カマドと囲炉裏のホドの連想が思い浮かんだわけです。「小股」の「小」も客観的な形状についてのことではなく、話し手の心の恥じらいによる婉曲表現であるというようなことも書いたと思います。
目を閉じると、オリジナルの世界が「見えてくる」ものなのですね。

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