萩原朔太郎の詩集『月に吠える』(大正6年)から
月に吠える
 恋を恋する人

わたしはくちびるにべにをぬって、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であらうとも、
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
わたしはしなびきった薄命男だ、
ああ、なんといふいぢらしい男だ、
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすっぽりとはめてみた、
腰にはこるせっとのやうなものをはめてみた、
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
かうしてひっそりとしなをつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬって、
まっしろの高い樹木にすがりついた。

昨日コメントしていただいた島崎藤村の「初恋」とは違った趣向の恋愛詩はないかしらと、探してみたら、たまたま目にとまりました。
すごいですよね…… ^^;
MtFトランスジェンダーの中には、男性が好きというより、男性に愛されている自分自身への陶酔感を告白する人も多いですし、一人で自分の姿を意識するだけで酔ってしまうような人もいます。そういう意味で「恋を恋する人」なのかも? でもそういうことにかんしては程度の差はありますが一般女性にも見られることのような気がします。

詩の内容は、ちょっと情けないイメージを感じてしまうのがイマイチかも……。
朔太郎のこの詩集は、この詩ともう一つの詩が原因で発禁処分になったとか。
(アンダーラインの部分は原文では傍点です)

Comment

萩原朔太郎の「鏡」

萩原朔太郎の詩集『宿命』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1790.html
の中に、「鏡」という一行詩があります。

 鏡
鏡のうしろへ廻ってみても、「私」はそこに居ないのですよ。お孃さん

これを女装の人が鏡を見ている情景と解釈する人もいるようです

Comment Form

(変更可)
管理者にだけ表示を許可する

Trackback


智恵子抄

少しずつ崩れていく智恵子に宛てた高村光太郎の飾ること無く綴られた詩は私の考えていた恋とか愛とかとまったく違ってものすごく美しく儚く思えた。智恵子の魅力を惜しみなく披露し愛したとても素晴らしい詩集だと思います。泣きました。人を愛することってこんなに素敵なこ