上杉謙信女性説について
2006/08/05
トランスジェンダー史
ネット上で「姫若子」の関心が高いようなので、調べてみたら、「戦国BASARA」というゲームの影響のようでした。そういうページを見てたら、戦国時代の越後の大名・上杉謙信は女性だったという見方があるのを知りました。
上杉謙信女性説というのは、ずっと昔から言われていたことらしいのですが、今のように注目されはじめたのは八切止夫氏の著書によるところが大きいようです。それを参考にして、いくつかの項目に整理して書かれたと思われるページがあります。
http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/nobunaga/kensin_w.htm
このページについて、いくつか感想を書いてみます。
謙信が49歳で亡くなったときの病名は「大虫」といい、更年期の婦人病のことだそうです。「大虫」は虎の意味でもあるようで、上のページでは「民俗では云々」と書かれていますが、民俗というより「古い中国語で虫は広く動物を意味し、虎を大虫と呼んだ例もある」(小学館関連のページより)ということなのでしょう。幼名は虎千代で成人して景虎と名のり、生まれた年も亡くなった年も寅年というわけで、虎に縁があるわけです(この記事へのトラバも面白いかも ^^;)。
謙信が毎月10日ごろになるとよく腹痛をおこしたのは、生理痛のせいではないかといいます。亡くなるときも、3月9日に腹痛になって13日に息を引き取ったそうで、時世の歌が……
極楽も地獄もさきは有り明けの月の心にかかる雲なし
というのですが、「有り明けの月」(朝がた西の空に残る月)は旧暦で16日以降でないと見れないはずで、この歌は後世に作られたものなのでしょう。戦国の武将の辞世の歌はそういうのが多いらしいですね。
謙信の使用または所蔵していた衣装の中に、赤色の派手なものがあるからといって、それらを女性の衣装だろうと考えるのは早計にすぎます。

女性説の反対意見で、「女人禁制の高野山に2回登山した」のは女性ではありえない、というのがあるそうですが、細川淳一『漂泊の日本中世』などによると、白拍子(男装の巫女)は山に入れたこともあったそうなので、男性またはそういう特別のジェンダーと見なされれば問題はなかったのでしょう。
画像は角川書店『世界人物逸話事典』からのものです。謙信の肖像にはヒゲが描かれることが多いのですが、違う絵を探してきました。
このページも面白いかも なころぐ:上杉謙信は女だった?
上杉謙信女性説というのは、ずっと昔から言われていたことらしいのですが、今のように注目されはじめたのは八切止夫氏の著書によるところが大きいようです。それを参考にして、いくつかの項目に整理して書かれたと思われるページがあります。
http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/nobunaga/kensin_w.htm
このページについて、いくつか感想を書いてみます。
謙信が49歳で亡くなったときの病名は「大虫」といい、更年期の婦人病のことだそうです。「大虫」は虎の意味でもあるようで、上のページでは「民俗では云々」と書かれていますが、民俗というより「古い中国語で虫は広く動物を意味し、虎を大虫と呼んだ例もある」(小学館関連のページより)ということなのでしょう。幼名は虎千代で成人して景虎と名のり、生まれた年も亡くなった年も寅年というわけで、虎に縁があるわけです(この記事へのトラバも面白いかも ^^;)。
謙信が毎月10日ごろになるとよく腹痛をおこしたのは、生理痛のせいではないかといいます。亡くなるときも、3月9日に腹痛になって13日に息を引き取ったそうで、時世の歌が……
極楽も地獄もさきは有り明けの月の心にかかる雲なし
というのですが、「有り明けの月」(朝がた西の空に残る月)は旧暦で16日以降でないと見れないはずで、この歌は後世に作られたものなのでしょう。戦国の武将の辞世の歌はそういうのが多いらしいですね。
謙信の使用または所蔵していた衣装の中に、赤色の派手なものがあるからといって、それらを女性の衣装だろうと考えるのは早計にすぎます。

女性説の反対意見で、「女人禁制の高野山に2回登山した」のは女性ではありえない、というのがあるそうですが、細川淳一『漂泊の日本中世』などによると、白拍子(男装の巫女)は山に入れたこともあったそうなので、男性またはそういう特別のジェンダーと見なされれば問題はなかったのでしょう。
画像は角川書店『世界人物逸話事典』からのものです。謙信の肖像にはヒゲが描かれることが多いのですが、違う絵を探してきました。
このページも面白いかも なころぐ:上杉謙信は女だった?
Comment
武将の人間性の分析
ありがとうございます。
歴史の資料に関しては八切止夫さんという人が調べつくしたのではないでしょうか。
伊東さんという人が長宗我部元親の人間性を分析したとき、家臣団の掌握のしかたや戦の戦術を分析して、女性的な面があると証明しようとしたような方法をやってみてもいいかもしれないと思います。
歴史の資料に関しては八切止夫さんという人が調べつくしたのではないでしょうか。
伊東さんという人が長宗我部元親の人間性を分析したとき、家臣団の掌握のしかたや戦の戦術を分析して、女性的な面があると証明しようとしたような方法をやってみてもいいかもしれないと思います。
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あなたは、どう思われますか?上杉が女性だったらちょっぴり、ショックかも・・・。
補足ですが
たとえ生まれが女子であっても、男子としてふるまっているような人は、男子として見るべきなんでしょう。
もし現代の人の場合には、過去の詮索はすべきではないのは当然です。けれど400年以上前の歴史上の人物なので、少しおおめに見られるものとは思います。また100%の男子というのもありえないので、半々くらいの人もいるでしょうし、興味本位でなく、人物像が豊かに見えてくるような見方ができれば、それは悪いことではないのでしょうが、上杉謙信については、史料をよく見てないので、わからないことだらけではあるのです。
もし現代の人の場合には、過去の詮索はすべきではないのは当然です。けれど400年以上前の歴史上の人物なので、少しおおめに見られるものとは思います。また100%の男子というのもありえないので、半々くらいの人もいるでしょうし、興味本位でなく、人物像が豊かに見えてくるような見方ができれば、それは悪いことではないのでしょうが、上杉謙信については、史料をよく見てないので、わからないことだらけではあるのです。
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上杉謙信女性説について
謙信女性説は一考に値するかも知れない。女性特有(特に血液型A型に多いが)のヒステリー的な正義感は数々の提起されている証拠よりも、女性説を裏付けると思います。
私は三国志の翻訳研究をしていますが、歴史の仮説の提起はフィーリングによる思い付きを採用しています。歴史研究書は作者の意図が入っていて信用できない事が殆どです。原典に帰れ!原書を読むべし!をモットウにしています。特に江戸時代、朱子学の横行で男尊女卑の風潮が定着し、今でも此の風潮が残っています。「女性は生む道具」発言や「男系天皇」などです。
此の点、謙信女性説は真偽のほどは判らないが、面白い説だと思いますね。古代エジプトでは必ず王妃がファラオと共同統治者の地位に在りました。詳しい理由は省きます。
又、話す機会があればメールで話し合いましょう。
私は三国志の翻訳研究をしていますが、歴史の仮説の提起はフィーリングによる思い付きを採用しています。歴史研究書は作者の意図が入っていて信用できない事が殆どです。原典に帰れ!原書を読むべし!をモットウにしています。特に江戸時代、朱子学の横行で男尊女卑の風潮が定着し、今でも此の風潮が残っています。「女性は生む道具」発言や「男系天皇」などです。
此の点、謙信女性説は真偽のほどは判らないが、面白い説だと思いますね。古代エジプトでは必ず王妃がファラオと共同統治者の地位に在りました。詳しい理由は省きます。
又、話す機会があればメールで話し合いましょう。
中国の古いお話など
はじめまして
上杉謙信女性説は、もうあきてしまったようなところがあるのですが、
貴志白文さんのHPはおもしろそうですね。
中国の古い物語などは、必ずしも儒教的な男尊女卑の考えがあるとは限らないということみたいですね。おもしろいと思います。でもちょっと漢字が多いですね、ごめんなさい ^^;
上杉謙信女性説はネットでも話題になってるようですが、どちらさまも、八切止夫氏の説から一歩も進めてないような感じがしてます
上杉謙信女性説は、もうあきてしまったようなところがあるのですが、
貴志白文さんのHPはおもしろそうですね。
中国の古い物語などは、必ずしも儒教的な男尊女卑の考えがあるとは限らないということみたいですね。おもしろいと思います。でもちょっと漢字が多いですね、ごめんなさい ^^;
上杉謙信女性説はネットでも話題になってるようですが、どちらさまも、八切止夫氏の説から一歩も進めてないような感じがしてます
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上杉謙信
上杉謙信 上杉 謙信/長尾 景虎(うえすぎ けんしん/ながお かげとら、享禄3年1月21日 (旧暦)|1月21日〔1530年2月18日〕 - 天正6年3月13日 (旧暦)|3月13日〔1578年4月19日〕)は、戦国時代 (日本)|戦国時代から天正時代の武将・戦国大名|大名。*越後国の
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真相を知りたいですよね。上杉家には、何か記録が残っていたりするのでしょうかね?