ホームページで載せた記事を少し書き直した改訂版です。
「手塚治虫のアンドロギュノスたち」というシリーズ。

 『鉄腕アトム』 (青騎士の巻 65年)

 アトムの好きな読者なら、ロボット法というのを知っていると思います。
 「ロボットは人間のために生まれてきた」、
 「ロボットは人を傷つけたり殺したりしてはいけない」、
 こんなことが書かれています。ところが長い連載の最後のころの作品「青騎士の巻」(1965年)では、こんな条文も出てきます。
 「男のロボット、女のロボットはたがいに入れかわってはいけない」(引用画像参照)
 これは人間の法律にもないような性転換の禁止条項で、現代では考えられないような気もしますが、古い手塚作品ではたとえば60年代ごろまでイスラエルの建国が一方的に美化されていたりもしますので、これも作品の描かれた時代の制約なのでしょう。けれど本当のところは、ロボット法に異議をとなえて反乱をおこした青騎士というロボットの性格を際だたせるために、この巻で付け加えられたようにも思えます。つまり青騎士は、男にも女にも入れかわるロボットなのです。
 青騎士は、最初は美しい妹と小さい弟の三人兄弟のロボットとして、ロッス博士によって誕生しました。しかしロボットを憎む人間(ブルグ伯爵)によって妹と弟を破壊され、それを悲しんだ生みの親のロッス博士が、壊れた部品を拾い集め、三体のからだを一つにし、女性の姿にも少年の姿にも変身できるロボットとして再生されたのです。
 青騎士は妙な姿になった自分のからだを嫌いながらも、妹や弟を失った悲しみをからだに内在させ、人間たちへの反抗ののろしをあげました。そしてアトムの立場はどっちにも揺れ動き、攻撃されたロッス博士をかばってあっけなく破壊されてしまうのです。
 アトムはこれ以前にはロボットと人間のどんなトラブルがあっても、最終的には人間の側についてトラブルを回避してきたのです。しかし、ここでそうしなかったのは、手塚治虫という人が、アトムは少女でもあるという強い意識があるためなのでしょう。『鉄腕アトム』の連載開始直前までアトムは少女として構想していたと作者ご本人が語っています。アトムは少女でもあるので、したがって青騎士と同じなのです。
 SFの歴史からいっても、アンドロイドは常に両性具有であったようです。アンドロイドという言葉自体がギリシャ神話のアンドロギュノスから作られたものです。
「鉄腕アトムは幻想上の美少年であり、それは稲垣足穂のいうがごとく、最もハードな美少女以上に美少女である美少年、最も可憐な、美少年以上に美少年である美少女との見事な結合である。」と、天野哲夫氏は『女神のストッキング』(工作舎1981)という本で述べています。

Comment

こんにちは

こんにちは。
こっちにも出没してしまいました。
私は子供の頃初めて性を意識したのがアトムだったのですが。
やっぱり、そういう理由があったのですか。
手塚先生が、少年少女にまんべんなく愛されるように、中性的に描いたものとばかり思っておりました。
子供番組で見る場所が他人と違うのが、思春期の頃はちょっとイヤだったりしました。

子どものころ気づいて

いらっしゃいませ。
ブログの記事は大人の視点からの深読みですけど、
アトムがパンツいっちょうでどこでも現われるのは、考えてみればちょっと変なんですよね。
アトムはテレビになってから格闘シーンばかり増えてしまったのですが、別の面に気づいた子はえらいと思います。

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