奈良県の葛城山と「女装」の話。といっても葛城蘭さんとは関係ありません。^^ゞ
葛城山の神は、葛城の一言主神(ひとことぬしのかみ)」といい、男の神で、素顔は醜かったらしいのです。この葛城の神が、あるとき役行者(えんのぎょうじゃ)に、山から山へ岩の橋を架けるように言われました。葛城の神は、醜い顔を見られるのを恥じて、昼は仕事はせず、夜だけ働きました。そのため期限までに橋はできず、その罰として、つた葛でからだを七回りも縛られてしまったというわけです。こういう伝説(岩橋伝説)をふまえて能のストーリーがあります。
さて能の物語では、出羽の国の羽黒山の山伏が、大和国の葛城山へ来たとき、大雪に降られて難儀していると、一人の女が現われます。山伏は、女の家に招かれて、暖をとることができました。じゅうぶんからだを暖めると、山伏は夜の加持祈祷を始めました。すると女は、自分の苦しい胸のうちを訴えて救いを求めたのです。女の苦しみとは、「岩橋を架けるのが遅れて、つた葛でからだを縛られてしまった」ことで、女は静かに舞台から消えます。
山伏が女のために祈祷を続けていると、女姿の葛城の神が現れ、大和舞を舞います。それは苦しみから抜け出すことができた喜びの舞でした。
参考 http://www.osakanews.com/mite-mite-kansai/04/kongou050304.htm
前回書いた『三輪』の話と良く似ています。
僧や行者の中には神と対等なくらいの人もあって、神から救いを求められるということもあったのでしょう。それはその時代の考えですから、そのまま受け入れて見るしかありません。
神は苦しみや喜びを表現するときは女姿になってしまうのかもしれません。
『葛城』の話では、その苦しみは容姿が醜いことが原因でもあるようなのですが、結果的にはそういう醜さからも救われたということなのでしょうが、よくわからない話ではあります
★補足
神が人間の僧に救いを求めるという話は今ではわかりにくい話になっていますが
日本の仏教に本地垂迹説という考え方があって、日本の神々のおおもとはインドの仏様であって、仏が現実社会に現れた形が神であり、だから仏を信仰しなさいということなのです。そういう仏教の立場からすれば、神の上位に仏があり、時には修行をじゅうぶんにつんだ僧は仏に近い存在となって、神の上に来るのでしょう。これは僧たちの考えであって民間信仰ではありません。
また、女姿だというのは、女性は常に罪深い存在で救済の対象であるという仏教の考え方によるのかもしれませんが、それだけではないのかも。
★化粧坂のヤマトタケル 鳩子
奈良県の葛城山の中腹の橋本院と極楽寺のあいだに、化粧坂というところがあり、昔、ヤマトタケルが女装して土蜘蛛を討ったところだそうです。
土蜘蛛(つちぐも)とは大和朝廷に服従しなかった人たちのこと。(2005年10月18日)
葛城山の神は、葛城の一言主神(ひとことぬしのかみ)」といい、男の神で、素顔は醜かったらしいのです。この葛城の神が、あるとき役行者(えんのぎょうじゃ)に、山から山へ岩の橋を架けるように言われました。葛城の神は、醜い顔を見られるのを恥じて、昼は仕事はせず、夜だけ働きました。そのため期限までに橋はできず、その罰として、つた葛でからだを七回りも縛られてしまったというわけです。こういう伝説(岩橋伝説)をふまえて能のストーリーがあります。
さて能の物語では、出羽の国の羽黒山の山伏が、大和国の葛城山へ来たとき、大雪に降られて難儀していると、一人の女が現われます。山伏は、女の家に招かれて、暖をとることができました。じゅうぶんからだを暖めると、山伏は夜の加持祈祷を始めました。すると女は、自分の苦しい胸のうちを訴えて救いを求めたのです。女の苦しみとは、「岩橋を架けるのが遅れて、つた葛でからだを縛られてしまった」ことで、女は静かに舞台から消えます。
山伏が女のために祈祷を続けていると、女姿の葛城の神が現れ、大和舞を舞います。それは苦しみから抜け出すことができた喜びの舞でした。
参考 http://www.osakanews.com/mite-mite-kansai/04/kongou050304.htm
前回書いた『三輪』の話と良く似ています。
僧や行者の中には神と対等なくらいの人もあって、神から救いを求められるということもあったのでしょう。それはその時代の考えですから、そのまま受け入れて見るしかありません。
神は苦しみや喜びを表現するときは女姿になってしまうのかもしれません。
『葛城』の話では、その苦しみは容姿が醜いことが原因でもあるようなのですが、結果的にはそういう醜さからも救われたということなのでしょうが、よくわからない話ではあります
★補足
神が人間の僧に救いを求めるという話は今ではわかりにくい話になっていますが
日本の仏教に本地垂迹説という考え方があって、日本の神々のおおもとはインドの仏様であって、仏が現実社会に現れた形が神であり、だから仏を信仰しなさいということなのです。そういう仏教の立場からすれば、神の上位に仏があり、時には修行をじゅうぶんにつんだ僧は仏に近い存在となって、神の上に来るのでしょう。これは僧たちの考えであって民間信仰ではありません。
また、女姿だというのは、女性は常に罪深い存在で救済の対象であるという仏教の考え方によるのかもしれませんが、それだけではないのかも。
★化粧坂のヤマトタケル 鳩子
奈良県の葛城山の中腹の橋本院と極楽寺のあいだに、化粧坂というところがあり、昔、ヤマトタケルが女装して土蜘蛛を討ったところだそうです。
土蜘蛛(つちぐも)とは大和朝廷に服従しなかった人たちのこと。(2005年10月18日)
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