能の『三輪』について、舞台を見たわけではありませんが、解説を見ました。
 あらすじはこんなかんじ……

 大和国の三輪山の麓の寂しい庵に住む僧のもとへ、毎日、樒(しきみ)と水を届けにくる女がいる。秋のある寒い日に、女が寒がっていたので僧が衣を一枚与えて、住みかを聞くと、
「わが庵は三論の山もと、恋しくば、とぶらひ来ませ杉立てる門(かど)」
という歌にある「杉立てる門」だと言って去る。
 さて三輪明神に参籠していた男が、御神木の杉の枝に一枚の僧の衣が掛かっているを見つけた。その知らせを聞いた僧が来てその衣を見ると、裾に和歌が書いてあり
「三つの輪は、清く浄きぞ唐衣、くると思ふな、取ると思はじ」
と読める。すると杉の木の陰から声がして、女姿の三輪明神が現われ、神も衆生を救うため人間のように悩み迷うこともあると語り、三輪の妻訪いの神話や天照大神の岩戸隠れの神話を物語りながら、夜明けまで神楽を舞う。
(参考 http://www2.begin.or.jp/sakura/sai05.htm

 「三輪の妻訪いの神話」とは、女のもとに通ってくる男があり、朝にはいなくなっているので不審に思い、夜のうちに男の衣の裾に糸をつけておき、翌朝糸をたどって歩いていったら三輪の神だったという話。つまり三輪の神は男だったのです。それが何故かこの能では女の姿で現れます。
 「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と磐座(いわくら)や」とも謡われるように、三輪明神と天照大神を一体のものと見る意図のためなのでしょうが、それは神楽を見せるなどの単に「演出上の意図」だけだったのかは、よくわかりません。
 次回は、能の『葛城』について

---追記---
※三輪明神とは今の奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)のこと。
能のストーリーでは、神でも悩むことがあり、その悩んだときの姿が、女姿だと言っていることになります。

テーマ : 能楽 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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