僧の気持ち、多様な親子
2005/03/09
古典文学
田中貴子『性愛の日本中世』(ちくま学芸文庫)の稚児と僧侶についての部分を読みました。
稚児の起源の話は、僧の教義からの説明のみ。古代が見えない。などなど。けれど、参考文献をたくさんあげているのは好感が持てました。
文献に残った男性の立場ではなく少年の立場から考える、とは私も漠然と思っていましたが、僧だって自分の子孫を残すことを放棄したわけです。もう男性のジェンダーではないかもしれませんね。稚児は僧を選べないのかもしれませんが、僧もあまり稚児を選べないとなると、親子関係と同じですね。僧自身がかつて稚児だったとなると、僧の立場からの文献だけでも十分ということなのではないでしょうか。
「家」に対して目くじらを立てるのではなく、多様な性があるように、多様な親子関係を認めると良いのではないでしょうか。
「子育て」はかつては大家族や地域社会の仕事でしたが、今は家庭内だけでもっぱら妻一人へ比重が傾いているような、今現在の世の中のありかたが問題なのでしょう。
以下'04.9.18のDiaryから
・フスツナギオヤ へその緒を切ってくれた産婆さん。取りあげ親。
・なづけ親 命名した人。成人して改名したときの名づけ親もある。
・乳親 乳母。必ずしも母親に母乳が出なかったからという理由でもないらしい。
・拾い親 からだの弱い子を一度橋のたもとなどに捨てるふりをして、決めておいた人に拾ってもらい名前も新しくつけてもらって生みの親が引き取るという風習。
・宿親 結婚前の男女が決められた家に寝泊まりし、部屋を貸した家の主人は、宿親として結婚に力を貸す。
・そのほか成人前の女子が決められた家の子守をし、子守(親)と子の関係が一生続く慣習。
・里親や里子が慣習化している例。仲人親。長屋の大家 etc...。
大正時代の童謡で「里子」をすごく哀しい存在とした詩がありましたが、以前はそうではなかったし(皇室にも里子のような風習がありました)、子守唄もだんだん哀しい子守の歌になってゆきます。
付記 日本の唄はみんな哀愁をおびているようなところがあります。子守唄だけ特にそういう傾向があるとしたら、それは大正時代以後の感じ方なのでしょう。
稚児の起源の話は、僧の教義からの説明のみ。古代が見えない。などなど。けれど、参考文献をたくさんあげているのは好感が持てました。
文献に残った男性の立場ではなく少年の立場から考える、とは私も漠然と思っていましたが、僧だって自分の子孫を残すことを放棄したわけです。もう男性のジェンダーではないかもしれませんね。稚児は僧を選べないのかもしれませんが、僧もあまり稚児を選べないとなると、親子関係と同じですね。僧自身がかつて稚児だったとなると、僧の立場からの文献だけでも十分ということなのではないでしょうか。
「家」に対して目くじらを立てるのではなく、多様な性があるように、多様な親子関係を認めると良いのではないでしょうか。
「子育て」はかつては大家族や地域社会の仕事でしたが、今は家庭内だけでもっぱら妻一人へ比重が傾いているような、今現在の世の中のありかたが問題なのでしょう。
以下'04.9.18のDiaryから
・フスツナギオヤ へその緒を切ってくれた産婆さん。取りあげ親。
・なづけ親 命名した人。成人して改名したときの名づけ親もある。
・乳親 乳母。必ずしも母親に母乳が出なかったからという理由でもないらしい。
・拾い親 からだの弱い子を一度橋のたもとなどに捨てるふりをして、決めておいた人に拾ってもらい名前も新しくつけてもらって生みの親が引き取るという風習。
・宿親 結婚前の男女が決められた家に寝泊まりし、部屋を貸した家の主人は、宿親として結婚に力を貸す。
・そのほか成人前の女子が決められた家の子守をし、子守(親)と子の関係が一生続く慣習。
・里親や里子が慣習化している例。仲人親。長屋の大家 etc...。
大正時代の童謡で「里子」をすごく哀しい存在とした詩がありましたが、以前はそうではなかったし(皇室にも里子のような風習がありました)、子守唄もだんだん哀しい子守の歌になってゆきます。
付記 日本の唄はみんな哀愁をおびているようなところがあります。子守唄だけ特にそういう傾向があるとしたら、それは大正時代以後の感じ方なのでしょう。
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