叔母の力
2005/02/16
トランスジェンダー史
西日本を主に、男子の成年式のときに叔母(伯母)が褌を贈る「へこ祝い」という風習がありました。「ふんどし祝い」ともいい、「おばくれふんどし」ともいいます。成年になるのだから古い時代にはいわゆる性の伝授も行われたともいわれますが、たぶんそれは本当のことなのでしょう。戦国時代には武士の小姓となる少年が相手の武士から褌を贈られたという話もあります。どこの地方の話か忘れましたが、成人となる若者が、叔母からもらった赤い腰巻を着けて危険な場所を走りまわるようなお祭りがありました。腰巻ということは、ずっと古い時代の女装の名残りのようにも思えます。古代にヤマトタケルが女装したとき、その衣装は叔母の倭姫(やまとひめ)から借りたものでした。
叔母と甥の関係で一番古いものは、神話時代の海彦山彦の話にあります。山彦と豊玉姫の間に生まれたウガヤフキアヘズの尊は、母の妹の玉依姫(たまよりひめ)に養育され、のちに結婚します。叔母が乳母になり、母方の叔母との結婚となります。民間のへこ祝いでも、母方の叔母からもらうとする例が多かったような気がします。ただ、ヤマトタケルのときの倭姫は父方の叔母ですが、この話では倭姫が天皇の妹で伊勢神宮の斎宮であるという宗教的な面が強調された話になっているのだと思います。
鎌倉時代に鶴岡八幡宮の境内で源実朝が公暁に暗殺されたのは、北条氏のさしがねだという解釈が多かったのですが、小説家の永井路子によれば公暁の乳母だった三浦氏の計略であり、この説が主流になりつつあるらしいですが、乳母と甥がいかに密接な関係だったかということでしょう。公卿が八幡宮の境内に立ったとき、僧の姿だったともいいますが、女装だったという話もあり、公暁の女装も唐突な話ではないわけです。
なぜ叔母はこれほどの力をもち、甥を女装させたがるのでしょうか。それはなかなか難しい問題です。
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