welcom かなり昔の話ですが、「あなたはマザコンですか?」と聞かれたことがあります。「さあ……?」としか答えられなかった私でした。
 それは某女装クラブ内でのできごとだったのですが、昭和30年代生まれ以降の会員には母親と密着した少年時代を過ごしたという人が多いというデータのようなものが話題になっていたからなのでした。
 昭和30年代というのは、日本は高度経済成長に入っていて、家庭は核家族で子供は少なく、マイホームでは専業主婦の母親と子供2〜3人が父の帰りをひたすら待つような生活が普通となりつつあった時代でした。そういう時代の子供は、それより前のベビーブームの時代の子供よりも、マザコンのような傾向があるのかもしれませんが、それは日本人全体にいえることであって、女装クラブ会員だからどうのということではないのではないかと思いました。
 鳩子はといえば、思い出を書いたものを御覧になった人はわかると思いますが、マザコンというよりはオバコンのようなところがあったかもしれません。兄弟姉妹は少なかったですが女系家族の大家族で育ちました。

 思い出を書いた詩やエッセイは多いですが、子ども時代のある事件がトラウマとなって今の自分がある、という書き方はあまりしていないと思います。とくに性自認に関することではほとんどないと思います。
 数年前までは、自分の過去についてそういうトラウマに結びつけて書く人が多かったという話も聞きますが、それはその時代に流行した精神分析や医療関係の見方の影響を直接受けてそうなった人が多かったようなのです。子どものころに受けた性的虐待によって性同一性障害になるというような考えは今では全く否定されていますので、今の本を読んで性同一性障害かもしれないと思っている若い人はそういうことは絶対に書かないことでしょう。けれど少し古い世代の人は、性的虐待はオーバーかもしれませんが、何らかのトラウマのような思い出を語ることもあるかもしれません。それは一つのロマンチシズムです。

 性同一性障害は完治することのない病気なのでしょう。性適合手術をしても染色体までは変わりませんし、ひたすら「女性になる」ための執拗で永続的な努力が必要になるのかもしれません。性同一性障害でなくても、何らかの病気や障害と見れば、似たようなことになるのでしょう。
 女性になるために努力しているあなたがいる。我思う故に我あり、ではありませんが、それは確かにあなたなのですが、女性になるための努力を止めないことは女性でないことを証明しているようなものなのかもしれません。……変な書き方でごめんなさい。ただ、フルタイム女性をめざそうという人がおちいりやすい考え方かもしれないと思ったわけなのです。
 普通の女性が努力しているのと同じ程度の努力で済んだら、どんなにか楽でしょう。鏡を覗きこみながら、世界でいちばん綺麗なのはアタシ……と思えたら。実際はいろいろ条件づけをして「世界」を狭めていかなければならないとは思います。

 鳩子のホームページには綺麗になるための努力や実用的なページがあまりありません。努力してないことはないのですけれど。
 たぶんパートタイムの女性なので、そのときは100パーセントの女性になりきっているからなのかもしれません。少々の剃り残しはご愛敬です。細かいミスを詮索して反省材料にして今後の発展のために生かす、なんていう高度成長時代のようなことは考えません。鳩子の時間はすぐに終わってしまうのです。ガラスの靴が脱げようが、帽子のリボンがほどけようが、かまっていられないときもあるのです。
 女性はを覗いたとき、世界でいちばん綺麗なのはアタシ……と思うことができるわけです。もともとどこか演技じみているわけです。でもすべての芸能や芸術は演技や虚構の中から生まれるわけですから、美の本質もそういうところにあるのでしょう。
 さて、まとまらないまま眠くなりました。おやすみなさい。

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