Archives: 200807
童謡の『サッチャン』(阪田寛夫作詞)の三番の歌詞です。
 さっちゃんがね
 遠くへ行っちゃうって ほんとかな
 だけど ちっちゃいから
 ぼくのこと 忘れてしまうだろ
 さびしいな さっちゃん

「遠くへいっちゃう」ことの意味について、もしかして天国のことなのかもと思ったこともあったのですが、「ぼくのこと 忘れてしまうだろ」というのは、生きているから忘れることができるのであって、やっぱり引っ越しの歌なんだろうなと思います。

作曲家の宮川彬良さんが「深読み」だといって、「ぼくのこと 忘れてしまうだろ」のところは、逆に言えば「ぼくだけは君のことを忘れない」という意味になるので、天国の歌にもとれるようなお話。ついぐっときてしまいました。
なるほどね♪

サッチャンがもう少し大きくなってたら、「あなたのことは一生忘れない」と言ってくれたかもしれませんね。それが言えなかったのは、ちっちゃかったから。
考えてみれば、「あなたのことを忘れない」という言葉が使えることは、とても幸せなことなのですね。

そして大事なことは、引っ越しだとか、人の死だとか、世の中にはどうすることもできない悲しい別れがあるということです。そういうときは、ただ泣くしかありません。泣けることもまた幸せなことなのでしょう。
ときどき背負いきれないほどの悲しみが背中に重くのしかかってくるときがあって、そういうときは、少しづつその重みに慣れていくしかないんだと、あるおばあちゃんが言っていました。

(サッチャンの深読みについては、学校の怪談のようになっているのもあるようですが、そういうのは詩的な世界から、遠くへいっちゃってますね)

私がトランスジェンダーという言葉を初めて意識したのは、1995年の末ごろでした。
あるお姐さんの手紙に、自分はトランスジェンダーであると書かれてありました。その人は医学の専門家でもあり、Qで始まる名前の雑誌に用語解説も書かれたとのことでした。彼女のトランスは、主として自宅内で、たまに旅先などで、今風に言えばパートタイムのトランスジェンダーということになるのでしょう。

彼女の手紙には、私のことを女性ホルモンを服用しているのだろうと決めて書かれてある部分があったので、そうではないことを返事に書きました。彼女もそれは同じでしょう。けれど私はあまり勉強をしてなかったので、自分もトランスジェンダーかもしれないとは、書きませんでした。

トランスジェンダーとは、もともとは、女性ホルモンすら手を出さずに、そのままでジェンダー(性役割)のトランスを望む人のことで、肉体の変化まで望む人はトランスセクシャルと言っていたのです。けれど1995年の段階で、私と同年代の人には女性ホルモンが徐々に広まって行ったことは彼女の手紙からも受け取れます。
性別意識はそのままで服装だけトランスしたい人のことは、トランスベスタイトというそうですが、以上の3つをまとめてトランスジェンダーと総称することもあったようで、そのことを「広義のトランスジェンダー」なんて言う人もありました。
(ジェンダーとは人間どうしの関係における性役割とか性別意識という意味。セクシャルとは生物学的な性別のこと。ベスタイトとは服装の意味です)

その後、何年かして性同一性障害(GID)という言葉が使われ出したのですが、トランスセクシャルとほとんど意味が重なっていて、ほぼ同じ意味で使う人が多かったのです。けれど最近になって誰もが性同一性障害のことを語るようになり、日本語でセクシャルといったときの語感が好まれないせいか、トランスセクシャルはあまり使われなくなったようです。そのかわり言葉の響きの良い「トランスジェンダー」を使う人が増えているようです。

そんなわけで「トランスジェンダー」の意味も、巷では3通りになってるようなのです。
つまり、

1、肉体改造はあまり望まない本来の意味のトランスジェンダー。
2、医療による肉体改造を必須と考えるトランスセクシャルの代替語から広まった「トランスジェンダー」。
3、トランスベスタイト(またはそのうちの衣服フェティシズムが動機になっている傾向を除いたもの)まで含めた広義のトランスジェンダー。
「消費者の信頼を裏切る結果になったことをお詫びします」という感じの言葉は、このごろよく耳にします。食品偽装が明るみになったときの言葉ですよね。でもなんとなく違和感を感じていました。だってそんなに信頼も期待もしてないですから。
そんなに信頼されてると考えてることこそ企業の傲慢さの現われなのかもと思っていたのですが、最近ちょっと見方が変りました。それはつまり
日本人全体が何をするにも投資家的な態度しかとらなくなっているので、そういう今の日本人を意識した発言だといったほうがいいみたいですね。「投資家の信頼を裏切った」ことを恐れているのですね。

日本人全体が投資家になったなんて、ちょっと話が難しくなりそうですけど……。
でも思い当るふしはたくさんあるでしょう。
この前の総選挙では低収入のフリーターたちが小泉自民党にあれだけ投票したのは、何らかの投資的行為だったのですね。ホリエモンも人気がありました。
学校で先生たちへ言いたい放題のクレーマーの親たちについては、消費社会でお客様は神様というか、1円でもお金を払う消費者が無条件にエライというような風潮のせいではないかという人もいたのですが、でもああいうクレーマーは消費者のレベルを通り越していますよね。株主や総会屋の態度だといったほうがぴったりくるでしょう。
勝ち組とか負け組とかいうのも、現時点での持ち株の値段のことをいってるみたいです。
「夢」という甘い言葉を使いながら、その実際は投資の勧誘みたいだったりしますよね。

トランスジェンダーの問題でいえば、少し古い世代の人たちが、悩みに悩み、考えに考えぬいたあげくに、とうとう越えることのできなかった薬物やら外科手術という一線を、若い人たちはいとも簡単に踏み越えます。これもそういった社会的背景のおかげなんでしょうけど、一般の投資家たちは、失敗したときの話はぜんぜんしなくて、うまくいったときのことだけを話すのが常ですので、GID的な方向へ行ってる人は、よくよく気をつけたほうが良いと思いますけどね。

「消費社会」を通り越して「投資家社会」になってることが、日本を蝕んでる最大の原因なのかもしれないので、あとでもう少し続きを書いてみたいですね。