相撲についてひとこと ^^ゞ
夏巡業の様子をテレビで見たのですが、今のお相撲さんはお客さんに対するサービスが良いのですね。土俵外でも、老人施設でマイクを片手に長々と愛敬をふりまいたり、以前はマイクを向けられてもウンとかスンとかしか答えられない力士ばかりでした。観客の減少のための相撲協会の方針なのでしょうか。
古い有名な川柳に「一年を十日で暮らす良い男」というのがありましたが、昔は1年1場所でしかもたったの10日間。一年に10日だけ相撲をとればあとはぜいたくに暮らせる力士がうらやましいという川柳ですが、今はとても忙しくなってしまったみたいです。巡業が多くなってしまって力士のケガが増えたとか、興行組織との関係とかよく問題にされた時期もありました。最近あまりそういうことが問題にされないのは、やっぱり観客の大幅減に対する同情が世間にあるためなのでしょうか。どこの企業も大変だというわけですから。でもバブル期の若貴時代の収入を維持するのはもう無理なんじゃないでしょうか。
北の湖理事長は、男性にしては珍しく薬指が短かめなのです(画像の左から2番目)。ある意味で女性的というか、ワンマンではなく調整型のリーダーなのでしょう。朝青龍問題では強硬派の理事が多いらしいので、一生懸命、調整をしているのだと思います。
今回の件を契機に、日本人の力士も、ときどき帰郷をするようにしたほうが良いと思いますね。
まだ幕下だけど郷里に帰ればヒーローだという感覚、そして郷土の期待を背負って次の場所をがんばるわけです。四股名も、出身地の山や川の名前を付けるという古き良き慣習を復活させたいです。昔の力士の名前で好きなのは黒姫山。美男ではなかったですが、かなり色白でした。
こういうのは地方の活力をふるいおこすためにも今の時代にぴったりだと思うのですが。
夏巡業の様子をテレビで見たのですが、今のお相撲さんはお客さんに対するサービスが良いのですね。土俵外でも、老人施設でマイクを片手に長々と愛敬をふりまいたり、以前はマイクを向けられてもウンとかスンとかしか答えられない力士ばかりでした。観客の減少のための相撲協会の方針なのでしょうか。
古い有名な川柳に「一年を十日で暮らす良い男」というのがありましたが、昔は1年1場所でしかもたったの10日間。一年に10日だけ相撲をとればあとはぜいたくに暮らせる力士がうらやましいという川柳ですが、今はとても忙しくなってしまったみたいです。巡業が多くなってしまって力士のケガが増えたとか、興行組織との関係とかよく問題にされた時期もありました。最近あまりそういうことが問題にされないのは、やっぱり観客の大幅減に対する同情が世間にあるためなのでしょうか。どこの企業も大変だというわけですから。でもバブル期の若貴時代の収入を維持するのはもう無理なんじゃないでしょうか。
北の湖理事長は、男性にしては珍しく薬指が短かめなのです(画像の左から2番目)。ある意味で女性的というか、ワンマンではなく調整型のリーダーなのでしょう。朝青龍問題では強硬派の理事が多いらしいので、一生懸命、調整をしているのだと思います。
今回の件を契機に、日本人の力士も、ときどき帰郷をするようにしたほうが良いと思いますね。
まだ幕下だけど郷里に帰ればヒーローだという感覚、そして郷土の期待を背負って次の場所をがんばるわけです。四股名も、出身地の山や川の名前を付けるという古き良き慣習を復活させたいです。昔の力士の名前で好きなのは黒姫山。美男ではなかったですが、かなり色白でした。
こういうのは地方の活力をふるいおこすためにも今の時代にぴったりだと思うのですが。
メーテルリンクの『青い鳥』も思い出深い本です。物語の結末については、みんなよく知っていると思います。しあわせの青い鳥は、ふだん家で飼っている鳥のことで、いちばん身近な存在に気づいていなかっただけのことだったわけでした。
チルチルとミチルが青い鳥を探す旅の途中に、いろんな登場人物が出てきます。「母」ではなく「母の愛」とか。「母の愛」とは存在としては抽象的なものなのですが、それが人格をもって登場人物としてふるまいます。こういうところにとても魅力が感じられる作品です。あるときチルチルとミチルに話しかける声がして、誰かと聞けば、自分は「母の愛」だと答えたりします。戯曲の形式なので、こういうのでも不自然ではないわけです。
日本人はこういう抽象的な思考が苦手なせいか、日本の物語にはあまりないパターンですね。
母の愛とは母の全てではないのかもしれないのですが、だとすると登場人物のすべてが表面に表れない別の面をもっていると考えることもできます。チルチルやミチルでさえそうかもしれないし、平凡な私たちでさえ、表面に出せないものはたくさんあると思います。
トランスジェンダーさんでは、異なる性別の心を複数もっていたりして、それで自問自答したりするのはよくあることです。
「母の愛」という形で現れたのは、子どもに対してだからなのでしょう。人は相手によって違う面が出ることはよくありますし、相手の求めることにこたえたり、相手の不足を補おうとして自分の意外な面に気づくこともあります。
少し前に書いたスタートラインの話ではありませんが、まずスタートしてみないことには自分のこともわからないわけでしょう。
だからチルチルとミチルの旅は、隣の芝生がよく見えたからふらふら出かけたわけではなくて、死者の国も見てくるわけですよね。子どものころから「あの世」に思いをはせることは大事なことなんだと思います。
トランスではない女性のことを「純女」というそうです。読み方はジュンジョでなくジュンメ。そのいわれは、戦後まもなく安価な化学繊維が普及しはじめたころに、従来からの木綿の生地を「純綿(じゅんめん)」と言ったことから、それにシャレてジュンメと言ったのだそうです。
「化学繊維」と書きましたが、日常語では、ジンケンと言うことが多かったみたいです。ジンケンとは「人絹」と書きますが、人工の絹という意味なんでしょう。ジンケンといえばもう一つ人権というのがありますね。
むかしマルクスの哲学を勉強していた人に聞いた話によると、人権とは市民国家(ブルジョア国家)が保障する市民的権利(ブルジョア的権利)にすぎないものだそうです。その人はもっと先の理想社会の話をしてくれましたが、主義はどうあれ、こういう理想を語る人が今は少なくなりましたね。目先の話ばかりが横行しています。
さて、人権とは、政治的で法的なものですから、範囲を広げすぎて考えると泥沼におちいると思います。自然の草や木や石や、あらゆるものに精霊が宿るというのはアニミズムの考えで、そういうのはあると思いますが、人間の作った制度や習慣や日常生活のあらゆるところに人権を見てしまうのは(比喩的な話は別として)、ある種のアニミズムというか、「人権」への呪物崇拝あるいは物神崇拝になると思います。呪物崇拝とは英語でいうとフェティシズムです。別のところで「法律フェチ」なんて書いてしまったことがありますが、真意はこんなところです。
フェティシズムは悪いものではありませんが、それぞれの趣味の問題であって、オタクの人はよく理解していると思いますが、他人に強制するものではないわけです。
「化学繊維」と書きましたが、日常語では、ジンケンと言うことが多かったみたいです。ジンケンとは「人絹」と書きますが、人工の絹という意味なんでしょう。ジンケンといえばもう一つ人権というのがありますね。
むかしマルクスの哲学を勉強していた人に聞いた話によると、人権とは市民国家(ブルジョア国家)が保障する市民的権利(ブルジョア的権利)にすぎないものだそうです。その人はもっと先の理想社会の話をしてくれましたが、主義はどうあれ、こういう理想を語る人が今は少なくなりましたね。目先の話ばかりが横行しています。
さて、人権とは、政治的で法的なものですから、範囲を広げすぎて考えると泥沼におちいると思います。自然の草や木や石や、あらゆるものに精霊が宿るというのはアニミズムの考えで、そういうのはあると思いますが、人間の作った制度や習慣や日常生活のあらゆるところに人権を見てしまうのは(比喩的な話は別として)、ある種のアニミズムというか、「人権」への呪物崇拝あるいは物神崇拝になると思います。呪物崇拝とは英語でいうとフェティシズムです。別のところで「法律フェチ」なんて書いてしまったことがありますが、真意はこんなところです。
フェティシズムは悪いものではありませんが、それぞれの趣味の問題であって、オタクの人はよく理解していると思いますが、他人に強制するものではないわけです。
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