どんな小さなことでも
2007/05/29
音楽

満開を過ぎて咲き残っていた今年の桜の花。
こんな桜をあと何回見ることができるのか、人生の半分を過ぎてしまうと、そんなことまで考えます。
「どんな小さなことでもおぼえていよう」
……という言葉に似たようなことは、以前に何回か書いたことがあると思います。
過ぎ去って行った人の輝いてた時のことも忘れない。
彼ら彼女らの微笑みも涙も、私を忘れないでと言った。
だから書きとめておかなくちゃと思います。
つまり、鳩子の忘れな草紙、ですね。
参考文献 竹内まりや『人生の扉』。
医療、「ファシズム」
2007/05/28
トランスジェンダー・性同一性障害
先日、プチうつ状態のときに、Googleで探したキーワードは、「医学ファシズム」。ヒットしませんでした。最近「禁煙ファシズム」という言葉も聞いたことがありますし、まだ「GIDファシズム」という言い方をする人はいないようですが、医学方面はどうなってるのかしらと思ったわけです。でも今日になって「医療ファシズム」でぐぐってみたら、たくさん見つかりました。
池田光穂という人の『患者と国家』というページ。
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000721natio.html
内容も難しくて毒がありそうですね。
その中で、『社会学事典』から政治学者の山口定氏のファシズム定義を引いて来ておっしゃるには、言われているところの「医療ファシズム」とは1960年代以後の近代医療がずっと批判されて来た問題にすぎないと書いてあります。
あたしの話は微妙にずれて行きますが、そこの「ファシズム定義」に、こんなのがあります。
「3.[体制]後発帝国主義国家で、体制の定着にともなって急進分子が排除され、テクノクラートと技術的近代化がみられる。」
……「後発帝国主義国家」とは先の大戦での日独伊のことを言ってるわけでしょうね。あたしなどから見ると原爆を落した人たちもファシズムじゃないかと思うのですけど。
ファシズムという言葉の意味するところはとてもあいまいです。
池田氏は「私がファシズムという用語を好んで使うのは、……社会科学の分析概念として厳密に用語を使い回ししているのではなく、それを聞く人の感情を逆撫でする戦略的用語であることを了解してほしい」のだそうです。でもよく考えてみると、これまでに「社会科学の分析概念として厳密に用語を使」った人が、はたして何人いたでしょうか。一人もいなかったかもしれません。この言葉は政治の世界に登場したときから「戦略的用語」だったですし、それ以上どのくらいのものになったのか、心もとないと思います。
でも最近はなんとなくファシズムっぽいんですよね。ファシズムとは、宗教ではないのに宗教の悪い部分を全部持ってる感じ。排他的で、選民思想とか、一神教的な宗教のことですね。日本にもそういう時代があったのでしょう。
ファシズムの危機を宣伝するのもまた「戦略的用語」なのでしょうけど、最近のこの鬱々とした気分はなんなのでしょう。
「テクノロジーへの偏愛」、その通りかも。実はフェティシズムには要注意かも。あるいは未来派の問題です。
「社会ダーウィニズム」、こういう言葉があったのを思い出しました。5/11の『トランス系譜学とは』で書いたことは、このことでした。「ジェンダー・ダーウィニズム」だけは勘弁していただきたいですね。
池田光穂という人の『患者と国家』というページ。
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000721natio.html
内容も難しくて毒がありそうですね。
その中で、『社会学事典』から政治学者の山口定氏のファシズム定義を引いて来ておっしゃるには、言われているところの「医療ファシズム」とは1960年代以後の近代医療がずっと批判されて来た問題にすぎないと書いてあります。
あたしの話は微妙にずれて行きますが、そこの「ファシズム定義」に、こんなのがあります。
「3.[体制]後発帝国主義国家で、体制の定着にともなって急進分子が排除され、テクノクラートと技術的近代化がみられる。」
……「後発帝国主義国家」とは先の大戦での日独伊のことを言ってるわけでしょうね。あたしなどから見ると原爆を落した人たちもファシズムじゃないかと思うのですけど。
ファシズムという言葉の意味するところはとてもあいまいです。
池田氏は「私がファシズムという用語を好んで使うのは、……社会科学の分析概念として厳密に用語を使い回ししているのではなく、それを聞く人の感情を逆撫でする戦略的用語であることを了解してほしい」のだそうです。でもよく考えてみると、これまでに「社会科学の分析概念として厳密に用語を使」った人が、はたして何人いたでしょうか。一人もいなかったかもしれません。この言葉は政治の世界に登場したときから「戦略的用語」だったですし、それ以上どのくらいのものになったのか、心もとないと思います。
でも最近はなんとなくファシズムっぽいんですよね。ファシズムとは、宗教ではないのに宗教の悪い部分を全部持ってる感じ。排他的で、選民思想とか、一神教的な宗教のことですね。日本にもそういう時代があったのでしょう。
ファシズムの危機を宣伝するのもまた「戦略的用語」なのでしょうけど、最近のこの鬱々とした気分はなんなのでしょう。
「テクノロジーへの偏愛」、その通りかも。実はフェティシズムには要注意かも。あるいは未来派の問題です。
「社会ダーウィニズム」、こういう言葉があったのを思い出しました。5/11の『トランス系譜学とは』で書いたことは、このことでした。「ジェンダー・ダーウィニズム」だけは勘弁していただきたいですね。
かなり昔のお話ですが、東京神田のエリザベスに入会まもなくのころ、一見美術ないし音楽関係者のような30代の年上の人が「初めて女装してみた」とのことで、一緒のテーブルにいたことがあります。ぼんやりしている会員さんが多い中で、その人は自分で「リリカ」という名前までつけて、短い時間にいろんなことを見聞きしようと積極的でした。その人が、入会まもない私に突然話しかけて「あなたはすごいベテランでしょう、何年ここへ来てるの?」と聞いてきたのですが、私は答えに困ってしまいました。自慢話ということではないのですが、私の身振り動作などを見て、そう聞いたのだと思います。"女装"などというものはこういう特別の場所でしかできないものだという先入観もあってのことでしょう。
有名なMJ子さんのページに女性らしい身のこなしやしぐさは、先輩たちの教えを受けながらの訓練の賜物だというようなことが書かれてありましたが、そうやって習得される人も多いでしょうし、プロの世界ではそうやって受け継がれて来たものがたくさんあるわけです。
でも意識して訓練しなくても自然にそういう地が出てしまう人もいます。
女系家族で育つと自然にそうなってしまうのかもしれません。よその男の子と比べれば確かに女々しいのですが、家族からみれば、ガキ大将みたいな子がうちの子だったら手を焼いてしょうがないので、おとなしすぎるくらいでちょうど良いと思っていたのかも。
でも小学生のころから、秘密の時間に家で大人のワンピースを着て、鏡の前で歩いてみたり、くるっと回転してみたり、そんなことをしてた記憶がありますから、そういうのが少しは"訓練"になってたのかもしれません。
年齢とともに大げさなしぐさはなくなってきていると思いますが、からだ全体の身のこなしといったことは、簡単には消えませんし、旧世代の"文化"にもなってるといえるかも
ジーンズの「トランスジェンダー」
2007/05/25
その他・生活と文化
1990年代の中ごろ、女性ファッションでスーツにネクタイなどのファッションを「トランスジェンダー」といったそうなのですが(Mさんのブログによる)
ジーンズの「アメリカヤ」さんの「トランスジェンダー」というジーンズ。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/fuku-hara/m5-1139.html
「直訳すると性同一性障害」などという説明が書かれてあって、ちょっと違うんですけどと言いたくなりますが、日本ではそんなふうな意味解釈が増えてしまったのかも。
ファッションの名前にまでしてしまうのも日本的なのかも?
「男性でも誰しも持つ女性らしさ、セクシーさをシルエットで表現した」のだそうですから、男性向けということになりますね。
ジーンズの「アメリカヤ」さんの「トランスジェンダー」というジーンズ。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/fuku-hara/m5-1139.html
「直訳すると性同一性障害」などという説明が書かれてあって、ちょっと違うんですけどと言いたくなりますが、日本ではそんなふうな意味解釈が増えてしまったのかも。
ファッションの名前にまでしてしまうのも日本的なのかも?
「男性でも誰しも持つ女性らしさ、セクシーさをシルエットで表現した」のだそうですから、男性向けということになりますね。
肺が小さめだと肺病になりやすいのではないかと昔、漠然と思ったことがあります。女性はだいたい肺が小さいですが、女性はそういう病気が多くなるのでしょうか……、「呼吸器疾患における性差について」
http://www.nahw.org/Local/Lib/Nagayama0001.htm
というページによると、子どもの喘息は男児のほうが多いそうで、成人後になると女性が多くなるそうです。
男性は20歳過ぎてもまだ肺容量が増加しますが、女子は早期に肺の成長が止まってしまうそうです。そうなんですか、鳩子はかなり早く止まったと思いますね。
女性も中年といわれる年齢になると胸板が厚くなる人が多いですが、これは肺の成長ということとは違うんでしょうね。
女性は肺が小さいせいか、呼吸が苦しいなどの自覚症状がすぐ出るので、呼吸器系の病気については早期発見ができるので、かえっていいみたいです。なるほど。
肺病といえば昔は文学青年の持病みたいなものでしたよね。(5/15)
「AO円筒」から始まって
2007/05/09
本
あるおしゃべりから「AO円筒」論という言葉を思い出したので、検索してみたら松岡正剛氏のページが出ました。AO円筒とはつまり稲垣足穂のいうA感覚などの身体のことについてのものです。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0890.html
そのページは森村泰昌という人の『芸術家Mのできるまで』の書評なのですが、面白い芸術家の人がいるものですね。自分の身体も作品の材料にしてしまうというか、そんなわけでその人のサイトには、映画の中の女優に扮した写真集があります。
http://www.morimura-ya.com/gallery/actress/
芸術家の男性でなくても、普通の女性でもこういう写真を撮ってみたいと思う人はきっといることでしょう。レンタル衣装でもあればいいですね。
森村氏によると、明治天皇が少年時代の女装をやめて、成人して軍服姿で国民の前に現れることによって、オンナの国だった日本がオトコの国に性転換してしまったのだとか、面白い話があるものです。
ただ、皇族少年の女装は戦時中まで続いたと思われますので、本当に日本が性転換してしまったのは意外にも戦後のことだったはずです。これは反論ということではなくて、言葉の遊戯を楽しみつつ新しい視点でものを見るということです。
けれど明治のころ国民に「女装禁止令」が出たときから、国民の女装は秘すべきものになってしまいました。皇族の女装も秘すべきものとなったと思いますが、まるでトランスベスタイト国家の誕生です(^^?)。
「オンナだった三島由紀夫はオトコに性転換しようとして失敗した」というのもありましたが、どうも三島さんあたりは日本の戦後社会をオンナの国と見ていたのかもしれません。でもやはり戦後の高度成長時代に、私たちのオンナの国は瀕死状態にされたと見るべきです。社会組織のすみずみにまであったオンナの血が抜かれて貧血状態になった感じです。そのときのオンナいじめは巧妙で、戦前の古い国家主義的な価値観を否定して新しい民主社会を打ち建てるのだという、男性価値の否定であるかのような言葉をまといつつ、今の人が日本の旧習だと思っているものの多くを、戦後のこの時期に作り上げてしまったらしいです。数十年前より前の時代は見えなくなってしまったのです。
ちょっとわかりにくいことを書いてますが、つまりデジタル国家はオトコの国なんじゃないかということですね。
さて森村氏が映画『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンに扮した写真がありましたが、鳩子のHPにも、「真実の口」というコラージュ作品があります。
http://hatopia.hp.infoseek.co.jp/collage/c1h7.htm
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0890.html
そのページは森村泰昌という人の『芸術家Mのできるまで』の書評なのですが、面白い芸術家の人がいるものですね。自分の身体も作品の材料にしてしまうというか、そんなわけでその人のサイトには、映画の中の女優に扮した写真集があります。
http://www.morimura-ya.com/gallery/actress/
芸術家の男性でなくても、普通の女性でもこういう写真を撮ってみたいと思う人はきっといることでしょう。レンタル衣装でもあればいいですね。
森村氏によると、明治天皇が少年時代の女装をやめて、成人して軍服姿で国民の前に現れることによって、オンナの国だった日本がオトコの国に性転換してしまったのだとか、面白い話があるものです。
ただ、皇族少年の女装は戦時中まで続いたと思われますので、本当に日本が性転換してしまったのは意外にも戦後のことだったはずです。これは反論ということではなくて、言葉の遊戯を楽しみつつ新しい視点でものを見るということです。
けれど明治のころ国民に「女装禁止令」が出たときから、国民の女装は秘すべきものになってしまいました。皇族の女装も秘すべきものとなったと思いますが、まるでトランスベスタイト国家の誕生です(^^?)。
「オンナだった三島由紀夫はオトコに性転換しようとして失敗した」というのもありましたが、どうも三島さんあたりは日本の戦後社会をオンナの国と見ていたのかもしれません。でもやはり戦後の高度成長時代に、私たちのオンナの国は瀕死状態にされたと見るべきです。社会組織のすみずみにまであったオンナの血が抜かれて貧血状態になった感じです。そのときのオンナいじめは巧妙で、戦前の古い国家主義的な価値観を否定して新しい民主社会を打ち建てるのだという、男性価値の否定であるかのような言葉をまといつつ、今の人が日本の旧習だと思っているものの多くを、戦後のこの時期に作り上げてしまったらしいです。数十年前より前の時代は見えなくなってしまったのです。
ちょっとわかりにくいことを書いてますが、つまりデジタル国家はオトコの国なんじゃないかということですね。
さて森村氏が映画『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンに扮した写真がありましたが、鳩子のHPにも、「真実の口」というコラージュ作品があります。
http://hatopia.hp.infoseek.co.jp/collage/c1h7.htm
気がついたら中途半端
2007/05/08
その他・生活と文化
あるニューハーフさんのサイトを見ていたら、20代半ばまでに美容整形などで1000万円以上をつぎこんで望みの形の肉体を得て、これでやっと女性としての人生のスタートラインに立てたということでした。
確かに達成感はあるのでしょうね。そういうのはとても大事なことです。でも、20歳そこそこでそんなにお金を稼げる人はいませんし……、というより気になるのは、人生のスタートラインに立ったということに達成感を感じたということです。その反動が少し心配なのですが、前向きに行っていただきたいものです。ここで「老婆心ながら」と書きそうになりましたが、この言葉は中年以上の男性が使う言葉なので、やめました。
ではそんなに収入のない人はどうするのか、中年以上の人はどうするのかということがテーマになってくるわけですが、おいおい考えてゆきましょう。
普通は若いころでも周囲の要請を引き受けなければならないことがたくさんでてきます。いろんなしがらみが既にできてしまいます。これは中途半端なかたちではありますが人生は気がついたときはもうスタートしてしまっているからです。性別意識も中途半端のこともあるでしょう。「中途半端」というと聞こえは悪いですが、人は内面に矛盾をかかえたまま生きて行かざるを得ないのが普通です。矛盾したものを、否定的に見るのではなく、そのまま矛盾として思い留めておけば、未来に見方が変わるかもしれませんし……、中途半端なままですが今日はこれでおしまい -.-)
確かに達成感はあるのでしょうね。そういうのはとても大事なことです。でも、20歳そこそこでそんなにお金を稼げる人はいませんし……、というより気になるのは、人生のスタートラインに立ったということに達成感を感じたということです。その反動が少し心配なのですが、前向きに行っていただきたいものです。ここで「老婆心ながら」と書きそうになりましたが、この言葉は中年以上の男性が使う言葉なので、やめました。
ではそんなに収入のない人はどうするのか、中年以上の人はどうするのかということがテーマになってくるわけですが、おいおい考えてゆきましょう。
普通は若いころでも周囲の要請を引き受けなければならないことがたくさんでてきます。いろんなしがらみが既にできてしまいます。これは中途半端なかたちではありますが人生は気がついたときはもうスタートしてしまっているからです。性別意識も中途半端のこともあるでしょう。「中途半端」というと聞こえは悪いですが、人は内面に矛盾をかかえたまま生きて行かざるを得ないのが普通です。矛盾したものを、否定的に見るのではなく、そのまま矛盾として思い留めておけば、未来に見方が変わるかもしれませんし……、中途半端なままですが今日はこれでおしまい -.-)
カラフルな鳥たち、そして鳥装とは
2007/05/03
トランスジェンダー史
一昨年の夏、KさんとSさんと三人でミニオフ会をしました。最初はKさんとだけ会う予定だったのですが、あたしが滅多に遠出ができないもこともあり、せっかくの機会なのでSさんもご一緒していただいたのです。昼食後に三人で近くの公園を散歩していると、公園のはずれに小さな動物園がありました。そこには熱帯地方の珍しい鳥がたくさんいました。鳥たちは色がとてもカラフルで、からだの一部が真っ赤だったり、緑色や黄色をしていたり、日本にはいない原色の鳥たちでした。(そのときの写真では鳥がよく写ってませんが……)
そのときふと、熱帯地方の人たちの好む衣服の色も、カラフルなことを思いました。子どものころに叔父さんのハワイ旅行のお土産にもらったアロハシャツの色も、カラフルでした。
そこへいくと日本人の好む色は、微妙な中間色が多いです。渋好みというか、日本に棲む鳥たちもなぜか地味な色をしているのが多いです。若い人の好むパステルカラーも原色ではなく一種の中間色ということになると思います。
そこで、民族の色の好みは、服装の色の好みのことであって、そこに棲む鳥たちの色の影響が大きいのではないか、ということをテーマにしたいのです……、
古代社会には、鳥装のシャーマンたちが、世界各地にいたそうです。鳥装とは、羽根を身につけたり、くちばしのようなものをつけたりして、鳥のかっこうをすることです。空を飛ぶ鳥は、神々の使いと見なされ、また霊魂を運ぶものと考えられて、シャーマンたちは神の使いであるために鳥装をしたわけです。そのときの鳥装の色彩は、その地方に棲む鳥と同じような色彩になるわけなのでしょう。
そして歴史が進んでも、晴れ着として着られた衣服の色彩は、鳥装の色彩の影響が根強く残ったようで、現代では普段着の色彩にも影響を与えているわけです。
古代のシャーマンといえば、女装の男性も多かったらしいのですが、こういう女装と鳥装との関係はどうなのでしょうね。
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