悲しみの手鞠唄
2007/02/27
トランスジェンダー史
日本の庶民のあいだでは、生まれた子供が男の子だったとき、とても喜んだ風習があったそうです。それは中国から来た男尊女卑の思想の影響だろうと解説してある本もあったのですが、なんとなく疑問に思っていました。
島根県仁多郡に伝わる手鞠唄の歌詞を見たとき、その謎が解けたような気がしました。その手鞠唄には、間引きのことが歌われていました。間引きとは、人々が限られた狭い田畑からの収穫だけで暮らしていた時代に、たくさんの子孫を養うことができずに、子供をどうせ飢え死にさせるくらいならと、捨てて川に流してしまったことでした。
その悲しい手鞠唄には、こう歌われます。
うちの姉さん、なぜまま食わんやら、腹に七月、あの子ができた。
あれがもしもし男の子なら、寺へ上らしょ、学問さしょに、
これがもしもしおなごの子なら、薦に包んで小縄で締めて、
前の小川へそろりと投げる。
上から烏(からす)がつつくやら、下からもぐらがつつくやら。
つついた烏はどこへ行た。千国万国越して行た。
(飯島吉晴『子供の民俗学』より)
男の子なら、お寺へ預ければ、なんとか生きて行けるかもしれません。修行をつめば、立派な僧にもなれるかもしれません。
けれど女の子なら、それはできませんから、捨てるしかなかったのでしょう。おろそかに捨てたなら、成仏することさえできないかもしれません。せめて千国万国を越えた先で、魂が安らぐようにと、歌わずにはいられない気持ち。
そんな母親たちの気持ちが、少女の手鞠歌の歌詞に伝わったものと思います。
捨てられた女の子が成仏するのは、容易なことではないかもしれません。
日本の仏教で、女子は変生男子とならなければ成仏できないとされたのは、このような間引きにまつわる人々の長い生活の歴史の背景があったからのように思えてきます。女子の成仏が容易でないことが、あきらめの気持ちに転じていけば、女性はもともと罪深い存在なのだとか、不浄であるとか、そういった観念も生じてしまったのでしょう。そして生まれる子が女の子であることは悲しいことだったのです。
けれど人々は、祈りを歌にこめました。
お寺で稚児として生きのびることができた男の子は、水辺に消えた小さな姉妹たちの魂を呼び寄せ、彼女たちの生まれ変わりともなり、だから両性具有であったのでしょう。
病気になりたいとき?
2007/02/23
トランスジェンダー・性同一性障害
昨年ある精神科医の先生の本(新書判)を読んでいたら、現代人は病気になりたがる、というようなことが書いてありました。病気と認定されただけで、とても気持ちが楽になる人が増えている、というな話です。性同一性障害に関してもそれは言えることなのでしょう。その先生は、フレキシブルな気持ちの持ちようの話を書かれていましたが、詳しいことは忘れました。あとでまた読んでみます。
なぜ病気と言われて気持ちが楽になるのか、ちょっと考えてみたのですが、やはり人間関係が希薄になってしまった社会だからなのでしょうね。仕事やいろんなおつきあいの中で、「仮病と思われてはしゃくにさわる」と考えて無理する人も多いと思います。仕事に打ち込むことによって人間関係を忘れることができるということもあるのでしょうが、それがかえって人間関係を希薄にさせます。家族関係まであやふやになってしまうと、家族のいたわりよりも、病気という科学的な認定のほうが信用できることになってしまうのかもしれません。
病気の認定は国家も保障します。最近の若い人たちに増えてきたナショナリズムの傾向も、つまるところは、家族関係や地域社会の崩壊によって、信じられるアイデンティティは日本や日本人という枠付けしかなくなってしまったからだとは、よく言われることです。病気で楽になるというのも、心理が良く似ています。
トランスジェンダーの原因の問題も、ちょっと前までは、家族関係やら精神分析やらいろんなことが論じられたのですが、最近は「生まれる前から決まっていた」という科学的な仮説も一部で重宝されています。生まれる前から決まっていたのだったら、こんな楽なことはありません。もしそれを国家が保障してくれたら何も怖くなくなるのかも。だいいち、つらい過去を振り返る必要がなくなります。こんないいことはありません。
けれど、過去を振り返るのにどうしても耐えられないという状態の人は別にして、そういうものでもないような気がするのです。
ネパールのトランスジェンダー
2007/02/22
トランスジェンダー・性同一性障害
こんなニュースを見ました。
http://gayjapannews.com/news2007/news22.htm
「365Gay.comが4日伝えたところによると、ネパール政府は、トランスジェンダー女性の市民登録書類に男女両方の性別を記載することを許可した。
……
市民登録書類への男女両方の性別記載を認められたのは、チャンダ・モーサルマンさん。モーサルマンさんは、生物学上の男性として生まれた。現在20代のモーサルマンさんは、性別適合手術の第一歩となるホルモン療法などは受けていない。」
「ホルモン療法などは受けていない」というところに、ちょっとびっくり。
そういう方面で遅れていた国という事情で、受けられなかったのか、
本人の考えで受けないのか、どっちでしょうね。
本人の考えだったら、すごいなと思いました。
http://gayjapannews.com/news2007/news22.htm
「365Gay.comが4日伝えたところによると、ネパール政府は、トランスジェンダー女性の市民登録書類に男女両方の性別を記載することを許可した。
……
市民登録書類への男女両方の性別記載を認められたのは、チャンダ・モーサルマンさん。モーサルマンさんは、生物学上の男性として生まれた。現在20代のモーサルマンさんは、性別適合手術の第一歩となるホルモン療法などは受けていない。」
「ホルモン療法などは受けていない」というところに、ちょっとびっくり。
そういう方面で遅れていた国という事情で、受けられなかったのか、
本人の考えで受けないのか、どっちでしょうね。
本人の考えだったら、すごいなと思いました。
鳩子の詩作法
2007/02/21
詩・ショートストーリー
忘れな草紙にアクセスランキング30を発表したのですが、必ずしも特におすすめページということではないのです。16位で「ホームページと詩作」は、詩作法に関心のある人が見てくれたということではなく、「女装小説」という言葉を使ったためにたくさん検索されただけみたいです。さて、本題。鳩子の詩作法についてですが、
いろいろ考えごとをしながら、たとえば「男女の人口比の不思議」で書いた1行、「なぜ自然は一部の女子を男子の形で産むというややこしいことをするのでしょう?」。こんなことを思ったとき、その1行だけ残して他は全部消してしまって、その1行から前後の言葉を続けて行けば、それで詩ができてしまうわけです。
歌謡でいえば、サビの部分が先にできるということです。「パートタイムの王子さま」なんていうのは、サビがタイトルにもなった例ということなのでしょう。
そんなわけですから、鳩子の詩は、歌謡的です。
「鳩子の詩集」の新作が増えなくても、「なぜ自然は一部の女子を」という感じの詩的(?)フレーズは、ブログのあちこちに書いてますから、書けないスランプではぜんぜんないわけです。だってあの詩集だって知る人ぞ知る「キューユーメッセージ」なるものをちょっと書き直しただけのものなのですからね。
直情的なラブレターみないな詩は、あとで恥ずかしくなりますし、サビが印象的な歌謡型の詩が、鳩子に合ってると思います。
人気のページ(第2回)
2007/02/20
未分類
昨年10月から今年1月末まで4ヶ月間のアクセスの多かったページ(記事単独)、30件です。
姫若子・長曾我部元親#(2382) あるゲームの影響らしいです
男心と秋の空 (709) 秋の期間だったので
私が私であるために (552) 話題のテレビドラマ
上杉謙信女性説について (486) これもゲーム関連らしい
百姓一揆と女装の美少年 #(455) 「女装美少年」がキーワードでアクセス
どろろ (306) 映画化で話題
女体に近い聖徳太子像 #(289)
小股の切れ上がった #(273)
お尻の考察 #(268)
変生女子について #(258)
「幕末のアンドロギュノス」について #(225)
当世SM事情2 (217)
男子に女子の名前をつける (215) 秋ごろ更新しました
黒い下着 #(208) 画像検索
トランスジェンダーな日々 #(161)
ホームページと詩作 その1 #(155) 詩作法のように思われたかも?
手フェチ Part2 #(151)
手のサイズ (148)
伊藤文学さんのブログ (142)
『義経記』での牛若の服装 #(142)
ノンポリ・トランスジェンダー (140) タイトルが良かった?
かまどと、ある語源の話(その2) #(121)
ウサギは両性具有? #(109)
『秋夜長物語』(中世稚児の物語)1 (93)
『秋夜長物語』2 #(90)
上州の女装窃盗少年 (89)
男女は老いて中性化する (81) コメントたくさんいただきました
男性の理想像 (79) 冒険心の喪失について続けたかった
江戸時代の女性〜杉浦日向子『お江戸でござる』から #(76)
ゲームやテレビ等で話題のテーマ、フェチ系のテーマ、などが上位に多いのですが、そうでないのも若干あります。他に、ショートショートの創作 雨上がりの大学通り #(66) が39位だったのは満足でした。カッコ内はアクセス数です。
★追記 よく見たら上のリストは29位まででした。30位はわかりません。「雨上がりの大学通」は39位でなく38位ということになります
姫若子・長曾我部元親#(2382) あるゲームの影響らしいです
男心と秋の空 (709) 秋の期間だったので
私が私であるために (552) 話題のテレビドラマ
上杉謙信女性説について (486) これもゲーム関連らしい
百姓一揆と女装の美少年 #(455) 「女装美少年」がキーワードでアクセス
どろろ (306) 映画化で話題
女体に近い聖徳太子像 #(289)
小股の切れ上がった #(273)
お尻の考察 #(268)
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「幕末のアンドロギュノス」について #(225)
当世SM事情2 (217)
男子に女子の名前をつける (215) 秋ごろ更新しました
黒い下着 #(208) 画像検索
トランスジェンダーな日々 #(161)
ホームページと詩作 その1 #(155) 詩作法のように思われたかも?
手フェチ Part2 #(151)
手のサイズ (148)
伊藤文学さんのブログ (142)
『義経記』での牛若の服装 #(142)
ノンポリ・トランスジェンダー (140) タイトルが良かった?
かまどと、ある語源の話(その2) #(121)
ウサギは両性具有? #(109)
『秋夜長物語』(中世稚児の物語)1 (93)
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上州の女装窃盗少年 (89)
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男性の理想像 (79) 冒険心の喪失について続けたかった
江戸時代の女性〜杉浦日向子『お江戸でござる』から #(76)
ゲームやテレビ等で話題のテーマ、フェチ系のテーマ、などが上位に多いのですが、そうでないのも若干あります。他に、ショートショートの創作 雨上がりの大学通り #(66) が39位だったのは満足でした。カッコ内はアクセス数です。
★追記 よく見たら上のリストは29位まででした。30位はわかりません。「雨上がりの大学通」は39位でなく38位ということになります
マッカーサーのベルト
2007/02/16
その他・生活と文化
昭和20年代の日本の映画(現代劇)を見ていたら、男性たちのズボンのベルトは、みんな高い位置にあって、肘くらいの高さになっていました。女性のスカートとほぼ同じ高さです。こういうファッションはアメリカの影響かしらと思って、当時のアメリカ人でそういうズボンのイメージの人といえば、日本人なら誰でも知ってたマッカーサー(Wikipedia)という人がいます。名前をクリックすると写真も出ますが、高いウエスト、ゆったりとしたヒップのズボンをはいています(意外にセクシーかも?)。
そういえば1960年代の日本の田舎のオジサンたちも、こんなズボンでした(都会では若者たちは低いウエスト、細いお尻のズボンになってたと思いますが)。
男性の背広の上着も、肘の高さがいちばん細く作られていますので、その高さにズボンのウエストもあった時代があったということなのでしょう。
もしかすると当時は、実際の肉体のウエストも肘の高さだった男性が多かったのかしらとも思ったのですが、わかりません。でも何十年もその位置でベルトを締めていると、ウエストもその位置になるのではないでしょうか。当時のある地方の裸祭りの記録写真を見ましたが、皆さんずん胴なおからだなので、よくわかりませんでした。
和服の帯は、男装(または男性)はずっと低かったみたいです。あまり高いと子供みたいに見えてしまいます。女装では、やはり帯は高い位置で、細い帯でもウエストの高さです。安土桃山時代の絵巻などを見ると、女装でも低い位置に帯を締めるのがあったようですけど、労働などの実用的なものだったかどうか不思議に思います。私でさえあんな位置に帯を締めたら、動いているうちに帯がどんどんずりあがっていって、着物の前もはだけそうになります。子供や少年たちも、胴のくびれがあったので、帯も高い位置に締めたということなのかも。
そういえば1960年代の日本の田舎のオジサンたちも、こんなズボンでした(都会では若者たちは低いウエスト、細いお尻のズボンになってたと思いますが)。
男性の背広の上着も、肘の高さがいちばん細く作られていますので、その高さにズボンのウエストもあった時代があったということなのでしょう。
もしかすると当時は、実際の肉体のウエストも肘の高さだった男性が多かったのかしらとも思ったのですが、わかりません。でも何十年もその位置でベルトを締めていると、ウエストもその位置になるのではないでしょうか。当時のある地方の裸祭りの記録写真を見ましたが、皆さんずん胴なおからだなので、よくわかりませんでした。
和服の帯は、男装(または男性)はずっと低かったみたいです。あまり高いと子供みたいに見えてしまいます。女装では、やはり帯は高い位置で、細い帯でもウエストの高さです。安土桃山時代の絵巻などを見ると、女装でも低い位置に帯を締めるのがあったようですけど、労働などの実用的なものだったかどうか不思議に思います。私でさえあんな位置に帯を締めたら、動いているうちに帯がどんどんずりあがっていって、着物の前もはだけそうになります。子供や少年たちも、胴のくびれがあったので、帯も高い位置に締めたということなのかも。
O・ヘンリーの短編に「金庫破りのジミー」(原題・取り戻された改心)というのがあります。 ジミーが恋した女性には娘がいました。その子が、ある日、金庫に閉じ込められてしまうという事件がおこりました。早く鍵を開けないと女の子は窒息死してしまいます。けれど鍵はありません。
ジミーは、実は、もと金庫破りだったのです。鍵がなくても金庫を開けるのは簡単にできます。でも、そんなことをすれば金庫破りのお尋ね者であることがばれてしまいます。せっかくつかみかけていた恋も失うことになるでしょう。
ジミーは悩みましたが、思い切って自らすすみ出て、金庫の鍵を開けて、女の子を助け出しました。人々はジミーの過去を知って驚きましたが、誰も警察に突き出すということはしなかったというようなお話。
改心したものは救われるというキリスト教の道徳があるそうです。でもキリスト教にかぎった話ではないのでしょう。
最近見たテレビドラマの「逃亡者」の再放送でも、ある町で子どもを助けた逃亡者を、町の人たちが匿うという話がありました。逃亡者は改心したのではなく、最初から犯人ではないわけです。ここでは、裁判で正々堂々と無実を証明しなさいとか、裁判だけが正義です、という考えはないわけです。
今の人がよく口にする言葉に「ルールはルールだ」というのがあるのですが、けれどルールはルール以上のもの、つまり道徳や倫理ではないのです。
女性らしさは、そういうときに、愛情を込めてルールを無視します。男性らしさは、ルールと道徳が葛藤を起こして、ルールを越えた倫理や哲学を構築しようとするものだと思います。
話は違いますが、1960年代のアメリカのポップスで「トゥー・メニー・ルール、早く大人になりたい」というような歌がありました。子どもは、家に遅く帰るとママに叱られたり、そのほか、あれもいけない、これもいけないで、子どもにはルールが多すぎるので、早く大人になりたいという歌詞なのですが、ルールを越えたところに大人も子どもも夢を見た時代があったのですね。今は夢が破れてしまった時代だから、「少年のままでいたい」と歌うのでしょうか。
ところで女性となったトランスジェンダーが、ある人を救うために、自分が男性だった過去をさらけ出すなんていう小説を書くのはどうかなと思いました。
病気と上手につきあう
2007/02/01
トランスジェンダー・性同一性障害
「病気と上手につきあう」という言葉が、いろんな病気について言われていると思います。 「うつ病について」は、こんなようなアドバイスが書かれていました。
鬱病になるような人は、何かにつけてがんばりすぎるきらいがありますので、
がんばらない、何も努力しない、神経を使わないのが良い、というカウンセラーの言葉。
つまり、いーかげん(良い加減)で、てきとー(適当)な生活が良いらしいです。
漢字で書いて「良い加減」とはどんな加減だろうとか、
どのくらいが適当で適切なんだろうなどと考えるのは良くないらしいです。
私もウツな気分になることはありますが、うつ病というほどではないので、
そんなアドバイスを、てきとーに参考にするのも良いかな、と思いました。^^;
その他には、
「笑ってごまかす」……というのも大事ではないかと思いました。
つまり、ユーモアということです。
失敗を笑ってごまかすといえば、普通の若い女性がよく使う手かもしれませんが、それとは別に、
たとえば、病気見舞いに来た人が心配そうで落ち着かない態度だったりしたときに、本人が笑顔をふりまいて、相手を逆に気づかってあげるようなケース。そんな気持ちがあれば、本人も楽になれるんじゃないかと思いました。
以上は別のところに書いたもののまとめですが、「笑いとトランス」について、ちょっとしたヒントが見えたので、別に書きたいと思います。
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