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姫百合の恋

2006/10/30
ミクシのコミュニティを検索したら、「百合な短歌」というテーマで、こんな和歌が紹介されていました。万葉集からです。

 夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ  坂上郎女

本来は男性への恋の歌なのでしょうが、「百合な短歌」ともとれます。
日替り短歌を表示する某カレンダーソフトのデータを検索してみたら、「百合な短歌」というより「百合の短歌」がいくつか。

 雲雀たつあら野におふる姫百合の 何につくともなき心かな  西行

これは迷いもなく達観しているようで、孤高の姫百合という感じ。

 たわたわに蕾ばかりが垂れいつつ この山百合の長し真青し  若山牧水

こういう歌がいちばん好きです。蕾とか青しとか、よく見ればたわわに見えるのは、長い青春未満の時代の蕾ばかり、その愛おしさ。

 髪ながき少女とうまれ しろ百合に額は伏せつつ君をこそ思へ  山川登美子

「白百合の君」と呼ばれた山川登美子、私生活では三角関係のようなものがあったそうですが、この歌はどう解釈したらよいのでしょう? 額づいたというしろ百合は聖書の比喩にもとれます。それは少女にとっては近代文学への道でもあり、つまりは文学と恋との葛藤なのでしょう。でも百合を違う意味にとるのも読む側の自由なのかも。

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濡れた芝生
芝生を見ると、いつもなら寝そべってお昼寝したくなてしまうのですが、あいにくの雨でした……。 ちょっとざんねん +.+)
という書き出しで有名掲示板へ投稿してきたら、若干のメールなどいただきました。たまにしかインターネットを見ない人も多いでしょうし、たまにはそういう接点をもつのもいいのかも。

鳩子の少し前に投稿した人のブログを見たら、都会での散策風景などの綺麗な写真がたくさんありました。鳩子もああいう写真を撮りたかったですね。10年くらい前なら"パス度"も今よりずっと高かったでしょうし……。

パス度というのは、見られる相手があってのものですから、常に相対的でしかないところがあると思います。
たとえば都会と地方でいえば、都会では人は多いですがお互いに無関心ですし、地方では人目は少ないですが、ちょっとした違和感が目立ってしまいます。どちらもプラスマイナスゼロでほぼ同じになると思います。また、極端なケースでは、部屋の中で男性と一対一なら、他に比べられるものがなく、パス度は100点満点になります。

以前Y子さんという人のページに、自分は着方がルーズなところがあるのでゴメンナサイみたいなことが書いてありましたが、鳩子も少しそういうところがあるみたいで、子どものころからそうでした。着てるものがひらひら女性っぽいものが多いので、そんなには目立たないかもしれませんけど。

子どものころは、よく芝生の上や原っぱで寝転んで、空をながめていたものでした。
下の写真は、今年の春の撮影で、斜面に咲くタンポポです。

秋に咲くタンポポもあるらしい、
ということが、setchimoさんの「Private Apple」に載っていました。
http://private-apple.setchimo.jp/?eid=193508
最初は、ちょっとした気候の変化で、"狂い咲き"のようなことが起こるのかしらと思ったのです。それとも何か異常気象のせいとか……。

そこで検索して調べてみたら、「いろんなタンポポを見つけよう」というページに書いてありました。
「カントウタンポポ 関東地方に見られる在来のタンポポ。花は基本的に春にしか咲かないが、練馬区の光が丘公園では、秋に咲くカントウタンポポが見られる。」

そのほか、ヤナギタンポポという種類のものが秋に咲くそうです。
http://futarinoyakata.web.infoseek.co.jp/yanagitanpopo.htm

秋に咲くタンポポもある! ということなんですね。

いろんな人が撮影しています。
http://sotheby.ddo.jp/istds/archives/2005/10/post_276.html
http://www.dhcblog.com/smile_n_n/archive/352

秋のタンポポが見られたらラッキー!ですよね ^^*

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コスモス畑
むかし、「もう女装をやめて故郷に帰る」と決めていた人と、1日過ごしたことがあります。会ってお話は聞きましたが、その人の決めたことは尊重して、その後のことは心の中でせいいっぱいの声援を送るだけになってしまいます。今ならその後もずっとネットで連絡をとりあえたかもしれませんね。
「やめようか、どうしようか」という相談でしたら、あたしにはちょっとわからないです。これまで、そういう悩み方をしたことが一度もないからです。いろんな悩みはかかえているのですが、そういうことで悩んだりしたことは、もしかすると一瞬たりともなかったかもしれません。たぶんこれからもそうでしょう。
……それって、もしかして確信?
お医者さまやトランスジェンダーの理論家の人がよくおっしゃる「確信」というのは、そういうもののことなのかもしれませんね。

鳩子のホームページやブログは、いつまで続くのでしょうか。
人の集まるところへ出かけておしゃべりしてくるとか、あまり好きではありませんので、ネットでのおしゃべりのほうがいいとなると、かなり続きそうな予感はあります。もっと研究ページを充実させたいというのが最初からの計画なのですが、やっぱり時間があれば少しは着飾って外を歩いてみたいですし、たまには人と逢ってみたりで、どんどん先送りになっていることがたくさんあります。
あるページで……、男女のジェンダーの特徴をそれなりに整理した記事を見たのですが、ちょっとその「男性」のとらえ方には失望を禁じえませんでした。
そこに書かれていた男性の特徴とは、「攻撃性」だとか「かたよった脳になりやすい」とかはいいとして、「男にとっての親密さとは、ともに働いたり競争したり、仕事に有用な情報を交換したりすること。 互いの優劣関係がはっきりしていること」といったこと。「優劣関係」の中で上にペコペコ、下には取り込みないしいじめといったこういう男性は、今の管理社会のサラリーマンの一部にはたしかに少なくないのかもしれませんが。
そのページを見て最初に感じたことは、これを書いた男性は、男性であることに嫌気がさしているのではないか、女性への憧れの表明ではないかという同情でした。けれど、まりっぺさんの「ネット上の男たち」 という記事を見ると、今のネット好きの男性の書いた正直な自己分析に見えてきてしまいます。上下関係には従順だということは攻撃性は弱いものにしか向かないことになりかねません。

以前見た男脳女脳判定のページでは、女性は集団生活を好み責任感に欠ける傾向があるとか、男性は責任感が強く孤独を好み、自分の大事なもの(家族とか)を守るためにはたとえ一人になっても外敵と戦い抜くといったことが書かれていました。アメリカ西部劇のヒーローのようなのですが、男性の理想像の一つではあるのでしょう。
日本の股旅物でも同様で「たとえお縄を頂戴しても」戦い抜くのが男なのですが、こちらでは見返りの家庭的な幸福は求めずに再びさすらって行くのが男でした。

けれど現代社会の複雑さの中では、戦う相手が巨大な暗黒星のような認識に達してしまう男性もあるのかもしれません。そのときは、男性も範囲を狭めた自分なりの落とし所のようなものを見つけるなりしないといけないのかもしれません。
あるいは東洋的な遁世という発想を、生活のところどころに取り入れることはいかがでしょう。
ときどき見かける真面目すぎるFtMさんを見ると、男性的な観念性や、飄々とした風流人の発想を取り入れたらいいのにと思うのですが、ちょっと難しいのかもしれません。MtFはトランスすること自体が男性的な遁世にすぎないこともあり、その限りではどこまで行っても男性的なわけですから、FtMとは単純な裏返しではないわけなのでしょう。
『私が私であるために』というテレビドラマが昨晩(10日夜)放映され、主演は相沢咲姫楽という名前の新人女優さんで、性同一性障害をテーマにしたドラマのようです。ニューハーフの女優さんらしいです。
「私が私であるために」とは、今はどんな立場の人のテーマでもありうるのでしょう。「自分探し」というのも同じようなことです。ちょっとタイトルとしては、もう聞き飽きたような言葉かもしれません。でもそれはそれで良いのかも。どんなストーリーかはわかりませんが、個人的にはリアルすぎるのはちょっと苦手です。

さて、10/3に書いた「雨上がりの大学通り」は、超短編小説で、たいした出来ではないのですが、それなりに鳩子らしく書けた面もあります。

ストーリーの最後の場面で、思い出の女性に息子がいたことを思い出すところは、単に言葉だけで思い出しているのが工夫が足りないところです。
学生時代に一度愛を告白するシーンがあってもよかったかも。そのとき彼女はもう学生結婚していて息子までいたのであきらめたとか、そして別れ際に古い万年筆なんかをプレゼントしたりして……。そして現在、散歩ですれちがったときに、うりふたつの女性が、バッグから落とした万年筆を拾ってあげたとき、「おや?」と思って、ドラマチックだったりして……
でもストーリーとしては、自分が一度、風景のようになってしまえたほうが、「私が私になる」のにいいのかも。「である」でなく「なる」ということについては前回記事で書いたような気がします。

むかし知ってた人にそっくりな人を見たという経験は、10年以上前に何度かありました。たぶんぜんぶ思い込みだろうとは思います。でも最近はそういうことすらなくなりました。想像力が貧しくなってしまったのでしょうか。けれどあたしの思い出に残っている女性に関していえば、ズボンをはいた女性はいないので、最近は見つけるのはむずかしいのかも。
男性については、あれからもう20年たっているから、今はこのくらいのふけぐあいだろうかとすぐに考えますが、女性についてはそういう想像はあまり働かないかも。

★追加
元の話に戻って、ドラマは見逃したのですが、ストーリーの紹介をどこかで読んだ限りでは、やはり性自認というのでしょうか、最初から確固としたものがある「私」があって、その「私である」ことを危うくさせるようなピンチが外から訪れるといった筋立てのようです。
「純子の女装ショート」(閉鎖)さんにも画像入りで紹介されてます。
 (URL削除)
その他トランスジェンダーについて参考ページ
 変わりつつあるトランス/GIDの意識と行動
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レオタード、ふたなり零れた女と書いて「零女」。
おちこぼれの女という意味です。

ちょっと難しい言葉で言い替えると、零落した女。なりそこないの女のように見えるけど、その奥にはもう忘れられてしまった何かがまた見えそうな感じの女といったところでしょうか。
「なりそこない」という言葉も、悪い言葉ではありませんし、何か高貴なものになりそこなったことなのかもしれません。
ふたなり」とは、二つのものになることです。西洋の両性具有というと既に二つを備え持っている状態のようにも見えますが、日本のふたなりは成って行くプロセスのことになるのかも。

トランスジェンダーとは「性別越境者」なんて漢字で書かれることがありますが、越境者なんていうと、何か確信があって自分の意志で越えてゆくようなすごさがあります。
そういえばこれまで、トランスの世界では「自分の意志」という言葉をよく見かけたものですが、これは要するに手術を担当する医者が臨床の現場で「本人の意志」を確認することから始まって、彼らが文書にしたものが広まって、彼らの語法が知らず知らずのうちに広まりすぎたようなきらいがあります。人間が言葉に振り回されてしまっているような現象すらあります。

トランスのことで意志について聞かれても困ってしまいます。なるようになったんじゃないかと思いますし、これからもなるようになるかもしれません。なりそこないでも、それはしょうがないことです。

成るというのはプロセスのことですから、なりそこないも、ふたなりのうちに含めてもいいわけなんですね。
雨上がり 雨上がりの秋の大学通りを、一人の初老の紳士が、ぼんやりと歩いていた。黒っぽいコートの背中を少しかがめて、路地の古書店や喫茶店の店先を横目で懐かしそう眺めながら、少し立ち止まってはまた歩き出し、ときどき街路樹の梢を仰ぎ見ては、ため息をついていた。
 歩道をすれ違う学生たちは、老人には目もくれずに、みな急ぎ足で通り過ぎて行った。そんな中に、一人の背の高いすらっとした、花柄のワンピースを着た30歳くらいの女性が、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
 ……私の高校時代の英語教師も、よくあんな服を着ていたな
 と、彼は懐かしく思った。
 ……待てよ、ここは私の通っていた大学通りではないか。高校はここではないし、彼女があの教師であるわけがない。
 否定はしてみたが、もともと学生時代を懐かしんでの今日の散歩である。心のタイムスリップが過ぎてしまったのかもしれない。
 ……しかし、あれから40年もたっているのだから、彼女があんなに若いままでいるはずがない。
 そう考えてみると、老人は自分の勘違いについ苦笑せずにはいられなかった。
 そのとき女性は、老人の横を通りすぎた。突然含み笑いをする老人を、けげんそうな顔でちらと見て、通り過ぎて行った。
 老人は一瞬、女性と目があって驚いた。彼の高校教師ではなく、大学時代の1年下の、彼がほのかな恋心をいだいていた忘れることのできないあの彼女に間違いないと、思えた。
 傍らの喫茶店の店先の看板も、昔のままの懐かしさだった。
 ……この店でサークルの仲間とみんなで、遅くまでよく語り合っていたな。彼女はいつも控えめな聞き役だったが、いつも明るい笑顔でみんなの憧れのまとだったっけ。
 老人が後ろを振り返って見ると、彼女はもう10数メートル先を歩いていた。
 ……あの後ろ姿。彼女に間違いない。あのころの私は、彼女とは親しく会話もできず、いつもこうして後ろ姿を見送ってばかりだった。
 老人は、その女性を追いかけて声をかけてみたい衝動にかられた。しかし……と、また思った。
 ……しかし卒業からもう30数年もたっている。彼女であるはずがない。それに背もだいぶ高いようだし……。しかしよく似ているものだ。あんなに似ている人もいるはずがないではないか。もしや彼女の娘さんだろうか。だったら背が高いのもうなづけるわけだ。
 老人は妙に納得して、後を追うのを止め、再び歩き出した。学生時代の美しい思い出は、そのままにしておいたほうがいいのだと思った。
 ……そういえばだいぶ前に噂に聞いたことがあるな。彼女の子どもももう学校を卒業して立派にやっているって。コンピュータの学校だったかな。たしか一人息子で……。
 老人は街路樹の梢を見上げて、またため息をついた。
 ……一人息子? よせやい。誰だい、まったく変な噂を吹き込みやがって。あんなに魅力的な女性じゃないか
 老人が再び振り返ってみると、女性の姿はもう彼方へ消えてしまっていて、空にはぼんやりと虹がかすんで見えていた。