Archives: 200609
旧約聖書に、神はアダムの肋骨からエバを作ったという話がありますが、意味はよくわかりません。
あるエスキモー(グリーンランドイヌイト)の話では、最初の男は大地から生まれ、女は男の親指から生まれたとか。
東アフリカのある部族(ヴァザニャ族では、神は最初に男を一人だけ作ったけれど、男は孤独に耐えられなくなったので、神は8日目に女を作ってくれたという話。
男が先という話はわりと多いようです。

北米のある部族(ブラッド族)では、神は最初に一人の女を作ったけれど、口が縦に裂けていたので、口を作り直し、その後に数人の女と男を作ったそうです。男たちは女を恐がって別々に住んでいたけれど、神様にハッパをかけられてなんとか一人づつ夫婦になったとか。
西アフリカのある部族(エコイ族)では、最初は女ばかりだったけれど、神が間違って一人の女を殺してしまい、神はそれを詫びて女たちに望みのものを与えようと言ったら、女は自分たちに奉仕してくれる男が欲しいと言ったとか。女性優位の社会らしいです。

日本の古事記では、男女未分の神が何代か続き、次に夫婦の神が何代か続き、神代の物語がいつのまにか人間の時代の物語に移って行ってしまいます。どっちが先かということはありません。

感想としては、こういうのは男性または女性が優位な社会において、その理由を説明する必要から生じた物語のようで、どちらが優位ということもなかった日本人などは全く関心がなかったようです。神話といってもそれほど古くて深い意識から生まれた話ではないような感じです。参考にした本は、大林太良他編『世界神話事典』(角川書店)
お月さまもう十五夜は過ぎてしまったと思ったら、今年は旧暦7月が2回でうるう月なので、来月6日が十五夜です。

南方熊楠という人の『十二支考』(2 兎に関する民俗と伝説)という本に、「兎の尻に九孔あり」という俗説のことが書かれていました。あそこの穴が9つとはどういう意味なのでしょうね、変なことを想像してしまいそうですが……?。

その本には、ギリシャやローマで、兎は両性具有のように言われたことも書かれています。
オスもメスも性器と排泄器がくっついたような位置にあって、見た目ではオスとメスが区別しにくかったために、両性を兼ねると言われたのではないかというお話。
その点では鳥によく似ているので、日本では兎を1羽、2羽と数えるようになったとか。仏教の教えでは四つ足の獣は食べてはいけないとされましたが、兎は鳥と同じと見られて、食べていたようです。
兎は月を見て妊娠するとか、口から出産するなんていう俗説もあるらしいですが、性器が見当たらなかったので、そんな話になったのでしょうか。

別の不思議な話としては、金粉を取り扱う人が、こぼれた金粉を掻き集めるために、「兎の手」というのを使ったそうです。兎の手とは、前足を乾燥させたものらしいです。
「難を転じる変身の場所2」の記事と同じように、また黄金の話になってきましたね。
「鳩子の忘れな草紙」というタイトルは自分でも気に入っています。
2005年の1月のある日に、ぼんやり考えごとをしていて思いついたのですが、いちおうネット検索してみたら「忘れな草子」という題名の自主映画が既にあることがわかりました。それで「草紙」という漢字表記にしたわけです。

タイトルに「トランスジェンダー」とか「MtF」とか、テーマに関する言葉を直接入れてしまったほうがアクセスは増えるらしいのですが、そういった効率優先ということよりも、言葉そのものを大事にしようというのもテーマの一つでした。
「私を忘れないで」と囁いているものごとに一つ一つ耳を傾けていけたらと思っています。

ホームページの日記は一時は「鳩子ロマンス」というタイトルだったのですが、「トランスジェンダーな日々」に戻してしまいました。これは「効率」のこともあるのですが、ホームページの表紙の上のほうに内容を示すそれらしい言葉が一つもないのは不親切でしょうから、メニューの1項目に入れるかたちになったのです。「〜な」という響きも良いですし、捨てがたいものでした。

ホームページのタイトルは「鳩子のホームページ」で、ありきたりのものです。最初いろいろ考えてはみたのですが、だじゃれっぽいものばかりで、あまり良いものが思い浮かびませんでした。スタートして半年くらいたってから、タイトルの最初に「Hatopia」と付けるようにしました。

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現代は母と子の密着した関係が増えたので女装さんやトランスさんが増えるのだ、という見解をときどき目にします。家庭内での女性の影響力は確かに大きいと思います。けれど、今の核家族では女性家族は母親一人しかなく、だから母と子の密着した関係うんぬんという話になるわけなのでしょう。大家族の時代は、若い未婚の叔母や、年齢の離れた姉からの影響力のほうが、トランスさんに関しては強かったように思います。

つまり年少のころの女性からの強い影響ということであって、密着関係が成人後まで持続することとは関係ありません。

最近の結婚できない男性についても、母子関係が問題にされることがあります。母親が焼いてきた世話を、妻がしてくれるものだと思っている男性たちがいます。母親もまた世話を焼くことができなくなったら寂しいのでしょう。息子の離婚については全て嫁が悪い、いやまだ結婚していないんでしたね、息子が結婚できないのは今の女が悪いからだと母親は考えます。息子も自分が結婚できないのは今の女たちが悪いのだろうなと思い始めるのかも。

ところで、古代社会では、15歳になれば男子は母親のもとを離れなければなりません。男子は集会所のようなところで年齢の違う男どうしで生活するわけです。そんなわけで男色は人類史の最初からあったらしいのですが、とにかく、そうやってやっと母親から自立することができたらしいです。結婚してからは妻問婚といってときどき妻の家に通うだけなのですが、同居したりすると男子は再び母親のような強い存在に呪縛されてしまうことを怖れてしまって、そのような結婚のかたちになったのだろうといわれることもあります。夫はどこから通ってくるかといえば、母親の家であるはずがありませんね、男子集会からということになります。同居でないので一夫一婦制にもなりません。
男子は集団で労働やマツリゴト(祭政)をするのが主な仕事でしたが、狩猟や開墾や軍事など危険を伴うことが多いので、女子の宗教的な力で守ったということなのでしょう。男子の中にも女装で神懸かりして大事なことを決定する役割の人がいました。
財産のことはよくわかりませんが、開墾した土地は開墾した男子のものなのではないでしょうか。でもあっちの大木なら伐ってもタタリはないだろうと教えたのは女子ですし、その土地も夫が死ねば結局は妻のものになるのかも。けれど男子集会が国家のもとに組み込まれて行けば、書類上は男子の管理する土地になっていったのかもしれません。
NHKアニメおじゃる丸の原作者の犬丸りんさんが10日に亡くなったという衝撃的なニュースがありました(自殺)。たぶんとてもつらかったのでしょう。ただ安らかにと祈るしかありません。

私が最初におじゃる丸を見たのは1998年の12月ごろ。番組スタートから2ヶ月くらい過ぎたころでした。おじゃる丸のオッホッホという笑い声も可愛く魅力的で、最初に見た日のストーリーもおぼえています。
古い洋館に住む老女マリーさんの家の庭から古い壷が発掘され、それはマリーさんの青春時代の思い出がたくさんつまったもの、という話でした。幼児向けアニメでなぜこんなストーリーなのだろうと不思議に思ったのですが、このころから番組の人気が急上昇し、「まったり」という言葉も流行していきました。

登場人物に、魅力的なお年寄りが多いのです。トミーお祖父さんや、仲間の喫茶いっぷくのマスターやそのバンド仲間たち。若く美しい日々の思い出のまま故人となった祖母のサリー。骨董の店のタナカヨシコにも思い出がありました。また、長寿の亀の亀田カメ、トメの姉妹や、ヘイアンチョウ時代から生きている木の精霊のキノシタ。
やさしく、まったりとした幻のような世界の中に、青春の暗い陰も見えてしまうドラマではありました。

おじゃる丸のほかは『かんたんに幸せになりたい』など2、3のエッセイ集しか彼女のものは読んでいないので、よくわからないのですが、平安朝時代に若隠居することができたら、もっと楽になれたのかもしれないと、はた目には見えてしまうわけなのですが、「おじゃる丸」は彼女の世界の一部分でしかなかったのでしょう。
犬丸りん・かんたんに幸せになりたい「かんたんに幸せになりたい」では「おじゃる丸」には表面に出ない暗さや毒があり亡くなった直後に読むのはつらいものがあるかも。
今日はスカトロジーの話なので、嫌いな人は注意してください。

8/24の記事の「難を転じる変身の場所」とは厠(かわや)のことでした。
ところで英語のトイレという言葉は、フランス語から来たのだそうで、もとの意味は「化粧室」。そのさらに古い語源は「麻布(あさぬの)」の意味だそうです。化粧台の上に麻布を敷いたからだとか、麻布は衣料一般のことなので「着替え部屋」の意味でもあるのだろうという話。
トイレというのは、日本でも西洋でも、着替えや化粧と深い関係にあるものだということになります。
日本語の「かわや」の意味は、川に建てたからだとか、母屋の側に建てたからとかいわれますが、変わったり交わしたりの「交屋(かわや)」の意味ではないかというのが、8/24の記事で紹介した本の著者の説です。

人間は土から生まれて土に帰るといいます。死んで土に帰るというのは事実としてよくわかりますが、「土から生まれる」というのが今一つぴんと来ません。母体を大地にたとえて言ったのだというのも、抽象的すぎて後から考えた知識みたいです。
生まれてまもない赤ん坊を雪隠参りといって厠に連れて行ってうんちを食べさせるようなそぶりをする民俗習慣もあったそうです。厠は大地の奥に通じているものなので、大地から生まれたことを確認するために雪隠参りが不可欠なのではないかという話。
母体の中からこの世に現れるものという意味で、赤ん坊とうんちを同一視していたように見えるところもあったらしいです。
となると二種類の性交の意味はどうなるのでしょう。人間の命を新しく再生させるのがVの交わりだとすると、Aの交わりは大地の再生になるのかどうか。

フランスのベルサイユ宮殿にはトイレがなかったらしいですが、日本の京都の宮殿も、同じ建物内にはなかったようです。けれどその代わり、おまるのようなものがあって、犬張り子のような形をしていた、というか、犬張り子におまるの機能があったらしいです。犬張り子は出産のお守りでもあったのですが、大地の象徴物を秘めたお守りという意味だったのだと思います。
昨夜のNHKテレビの15分番組で、ある有名な学者の人が「日本語の想像力」のお話をされていました。
中国から「死(しぬ)」という文字と言葉を受け入れて、「しなやか」とかいろんな言葉に作り変えて行く。「しなやか」とは一度死んで生まれ変わることで、しなやかな生き方が望ましいとか。そう考えることができるのは、日本語の想像力がすばらしいからだって。つまり生まれ変わりのことなんでしょうね。

日本は世界でも一流の国だということはやっぱり間違いだったことが最近白日の元にさらされてきたのですが、絶望するのでなく、硬くなって戦前の品格を言うのでなく、しなやかに行きたいものです。江戸時代以前に遊ぶもよし、笑いと毒舌もよし。

また中国の「気」という言葉から、「気配」などの日本語もできて、気配とは、お化粧のことでもあり、まわりにふりまくもの。甘い匂いや雰囲気。お化粧、お化粧と、三回ぐらい繰り返して言われ、お化粧はとても大事だとおっしゃってました。

この先生はもしかして若いころ女装も似合ったのではないかと思ったのは、私だけだと思います。ごめんなさい、でもそういう感性が良いんだと思います。
石段2年前の9月に、ホームページの日記を毎日書くことに決めて、12月中旬まではそうしたのでした。そんな経験もいいものです。「写真日記・トランスジェンダーな日々」に、8割は保存してあります。削除した記事は、再読して意味がよくわからない内容のもので、パソコンの話などです。
最近のブログでは、どうせ削除するようなことは最初から書かないことにしています。だから毎日書くというわけには全然いかなくて・・・?

たまに数日間、続けて毎日のように書くときがありますね。書きたいことができたときに書くというやりかたなのです。
書き始めたけれど最後までまとまらなかったのは下書きのまましまってあります。そういうのが続くと一週間以上更新無しになります。
書こうと思ったけど、別のコメントのレスを書いてるうちにその日の時間がなくなってしまったなんていうことも。
無理しないで書けるときに書くのが一番なんでしょう。

このブログも毎日平均150人くらいの人が見てくれています。複数のページを見てくれる人もいますのでトータルでは250ページくらいのアクセスです。
現在はそのうちの5割がYahooからの検索、2割がgoogle、1割が他の検索、残り2割がホームページからのリンクやブックマークなどです。このブログをリンクしてくれてる人は、はるなさん一人しかいないのですね、ちょっと少なすぎますね。鳩子のホームページから来てくれる人もかなり少ないです。困りましたね
蝉の声
涼しげな、静かな森の陰から、突然に聞こえた蝉の声。
行く夏を惜しむように、そして短い命を悲しむように、
私の心を惹きつけました。
長かった幼年時代のことは、とても語り尽くすことはできずに、
蝉たちの夏は、狂った春のように悲しく響きます。
私の幼い日々の夏にも、啼いていた蝉たち。

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