奈良の少年放火事件、衝撃的でしたが、父と子とはああいうふうにもなってしまうものなのでしょうか。
あの医師の父子は漫画の『巨人の星』に似てるところもあります。かたや受験指導部屋を「集中治療室」と呼び、かたや「大リーグボール養成ギプス」というマニアックさ。
けれど大きな違いは、巨人の星では、子の飛雄馬の成長の成果を、父一徹は毎日適確に心身両面に渡って把握して明日のプランを立てたのでしょう。医師の家では、年数回しかない学校の試験の点数だけが基準でした。
飛雄馬には母親代わりでもある優しい姉の明子がいました。
そんなわけで姉コンでもあった飛雄馬の初恋は、プロ入団のずっと後になってからで、お相手の女性は、たしかオーロラ娘という三人のアイドル歌手グループの一人、名前はミカだったでしょうか。キャンディーズがデビューする何年か前の漫画ですから、原作者の梶原一騎という人はキャンディーズのデビューを予言していたのだろうかとか、あとで話題になったような記憶もあります。
何の話でしたっけ? ……そう、父と子の話しでした。
一徹のような父親というのも、実際にはどこにもいないことはわかりきっていたので、自分の家の父と比較するなんて考えずに、みんな安心して見てたと思うのです。
父と子についてもっと違うことを書こうと思ったのですが、今日はもう眠くなりました。
あの医師の父子は漫画の『巨人の星』に似てるところもあります。かたや受験指導部屋を「集中治療室」と呼び、かたや「大リーグボール養成ギプス」というマニアックさ。
けれど大きな違いは、巨人の星では、子の飛雄馬の成長の成果を、父一徹は毎日適確に心身両面に渡って把握して明日のプランを立てたのでしょう。医師の家では、年数回しかない学校の試験の点数だけが基準でした。
飛雄馬には母親代わりでもある優しい姉の明子がいました。
そんなわけで姉コンでもあった飛雄馬の初恋は、プロ入団のずっと後になってからで、お相手の女性は、たしかオーロラ娘という三人のアイドル歌手グループの一人、名前はミカだったでしょうか。キャンディーズがデビューする何年か前の漫画ですから、原作者の梶原一騎という人はキャンディーズのデビューを予言していたのだろうかとか、あとで話題になったような記憶もあります。
何の話でしたっけ? ……そう、父と子の話しでした。
一徹のような父親というのも、実際にはどこにもいないことはわかりきっていたので、自分の家の父と比較するなんて考えずに、みんな安心して見てたと思うのです。
父と子についてもっと違うことを書こうと思ったのですが、今日はもう眠くなりました。

1983年に冬樹社から発行された『少女図鑑』という本を、何年かぶりに開いてみました。
「美少女」という言葉が一般によく使われるようになったのが、1980年代中ごろからだそうですので、その直前のものということになります。ちょうどアイドル歌手の松田聖子や中森明菜が全盛期のころです。
内容は10何人かのおじさまたちがそれぞれのイメージの少女を語る文章が中心になっています。読まずに挿し絵だけを眺めています。
挿し絵は奇麗なものもありますが、どちらかというとホラー系のエロチシズムといった感じのものが多いです。
これより数年前には山口百恵を語るおじさまたちもいて、ある種の演歌(怨歌?)を語っていたようなところもあったのですが、そういう色彩もまだ色濃く残っているような印象です。
でも過渡期の混沌としたものも感じられて、いろんなイメージをかもしだしてくれそうな「図鑑」ではあります。(画像は1ページだけスキャナしたもの)
トランス行かず後家
2006/06/20
トランスジェンダー・性同一性障害
6/16の記事でふれた「ある大脳生理学者の本」とは、大島清著『女の脳・男の脳』(祥伝社)という本です。この本では性役割に関しての説明の中に、人によっては拒否反応を示す人もいるかもしれません。けれど全体から感じられる、男性の知、女性の愛といったようないわば近代ロマンチシズムとでもいうべき男女観は、それほど不快というものでもありません。今風の言葉で言えば、少年のような男性の発想でもあります。作家の稲垣足穂の「男性には書物、女性には衣服」という言葉も、こういうところから始まっているのでしょう。
そういった男性の知性は良いとして、脳の男女差のいちばんの特徴は、左右の脳をつなぐ脳梁が太い女性がバランス感覚の思考に優れ、男性は右脳または左脳が片寄って発達したスペシャリストを生じさせやすいということらしいのですが、でも、どちらかというと、男性は空間や構造の認識にすぐれた右脳型、女性は言語認識の左脳型といえるらしいです。女性のおしゃべり好きということかもしれませんが、読書好きで知的に見える女性も多いわけです。
となると、男性にも女性にも知性派のように見える人はいるわけです。違うのはその中身であって、思考法そのほかで男女の特徴が出てくるのでしょう。
知に憧れ、知は男性的なものという近代ロマンチシズムの一面の影響から、自分自身の性自認まで決めあぐねて行動に移せなかった、というのが、若き日の私のことだったようにも思います。
本ばかり読んでいた女性が婚期を失いがちになっってしまったように、私はいつのまにか「トランス行かず後家」になっていたのかも。
★ここでいう「行かず」とは、いわゆる性転換のほうへ行かなかったという意味になります。
また、小学生くらいまでは、女児のほうが知的な面でも早熟であることが多いといいます。女児とちがって男児の知的早熟は「末は博士か大臣か」などと周囲の期待感を増進させることになるのでしょうが、「神童も大人になればただの人」となることも多いわけです。そういう人の中にトランスジェンダーの人が少なくないとなると、かつての幼児期の早熟は女児としての早熟だったのかも?
そういった男性の知性は良いとして、脳の男女差のいちばんの特徴は、左右の脳をつなぐ脳梁が太い女性がバランス感覚の思考に優れ、男性は右脳または左脳が片寄って発達したスペシャリストを生じさせやすいということらしいのですが、でも、どちらかというと、男性は空間や構造の認識にすぐれた右脳型、女性は言語認識の左脳型といえるらしいです。女性のおしゃべり好きということかもしれませんが、読書好きで知的に見える女性も多いわけです。
となると、男性にも女性にも知性派のように見える人はいるわけです。違うのはその中身であって、思考法そのほかで男女の特徴が出てくるのでしょう。
知に憧れ、知は男性的なものという近代ロマンチシズムの一面の影響から、自分自身の性自認まで決めあぐねて行動に移せなかった、というのが、若き日の私のことだったようにも思います。
本ばかり読んでいた女性が婚期を失いがちになっってしまったように、私はいつのまにか「トランス行かず後家」になっていたのかも。
★ここでいう「行かず」とは、いわゆる性転換のほうへ行かなかったという意味になります。
また、小学生くらいまでは、女児のほうが知的な面でも早熟であることが多いといいます。女児とちがって男児の知的早熟は「末は博士か大臣か」などと周囲の期待感を増進させることになるのでしょうが、「神童も大人になればただの人」となることも多いわけです。そういう人の中にトランスジェンダーの人が少なくないとなると、かつての幼児期の早熟は女児としての早熟だったのかも?
「優秀な男がたくさんの女に子を産ませれば優秀な子孫が増える」という話のウソについて。(お酒の席のジョークなら、ジョークでいいんですけれど)普通に考えればわかると思いますが、いちおう説明してみます。
極端な例ですが、猿の世界の一部にあるような、一匹のボス猿が群れのすべてのメスを独占するケースです。これが人間だとすると、2代目では、兄弟と争って勝った一人の男が、すべての姉妹と婚姻することになります。婚姻はすべて近親婚になり、そういうことを何世代も続けた部族が優れた文明を残せるはずがありません。
というより、近親婚をタブーにしたことが人類の始まりなのかもしれません。
ですから、人類の理想としてきた婚姻形態は、一夫多妻制からいちばん遠いところにあるようなかたちなのではないでしょうか。(それは子孫の数が減ってしまうような多夫一妻のことではありません。)
そのかたちとは、婚姻を望むすべての男女に婚姻の機会を与える社会ということです。
自然環境の激変や時代によって男女の数にばらつきがありますから、それは一夫一婦制でもありません。それは身分に関係なく2人程度の妻(または夫)との婚姻が可能な社会なのかもしれません。
じつは日本の古代にこれと近かったようなことがあったような資料があります。
邪馬台国時代の中国の史書『魏志倭人伝』に次のような記述があります。
「国の大人は皆、四、五婦。下戸も或いは二、三婦。婦人、淫れず妬忌せず」
支配層の男子は皆四、五人の妻をもち、庶民の男子も時には二、三人の妻があり、女性たちは多情ということはなく、嫉妬もしないという意味です。
これは義江明子著『つくられた卑弥呼』(ちくま新書)という本の中に引用されていたものです。複数の妻をもつということから、従来の男性の学者たちは、一夫多妻制だったと主張していたらしいのですが、庶民の男子までが複数の妻をもったのでは計算が合わないと著者は言います。「婦人、淫れず妬忌せず」というのは、女子もまた二、三人の夫をもち、それが当たり前だったからではないかということです。
こういうケースでは婚姻にあぶれる者があまり出ないのではないかと思いました。
支配層は四、五人の妻というのも意外に少ないと思いました。気持ちの通った関係であるならこのくらいの数が限度なのかもしれません。『魏志倭人伝』には日本人の集会では座席の順序などに父子や男女による区別はないとも書いてあるようです。
中世の村娘の話は、「至福の家族」という記事(この記事は説明が飛躍していて自分でもわかりにくいところがあります)に書きました。
わかっているけど「愛してる」って言ってほしい?
2006/06/16
ジェンダー
わかっていることだけど「愛してる」って言ってほしい、何か目に見えるかたちで表現してほしい、という女性からの男性への希望は、やはり多いようです。ある大脳生理学者の本には、それは女性が「大脳周辺系での満足を本能的に求め続けている」からだと書いてありました。大脳周辺系とは脳のなかで動物の本能をつかさどるような部分のことで、霊長類や人間は、それのほかに「新皮質」という部分が発達し、それによって知性や文明が誕生したのだそうです。精神性の高い愛情から求めるのではなく動物の本能をひきずっているのだというような意味になってしまうのですが、もう少し気のきいた説明のしかたもあるかもしれません。
「わかっていることを繰り返し表現する」ということは、芸能の世界では当たり前に行われることです。音楽を例にすれば、「その曲が名曲だということはわかっているので聴いてもしょうがない、時間のムダだ」という音楽ファンはいないと思います。良いものは何度でも聴きたいですし、聴くたびに違う味わいも感じられ、新しい発見もあるかもしれません。いつも同じ気持ちで聴くのではないからというのもあります。
同じ本に、有名な作曲家や音楽家が男性ばかりなのは、男性は右脳が発達しているためであって、音楽を理解するのは右脳のはたらきだからと書いてあります。たしかに天才的な男性による名曲の数々は、どんなにか人々に喜びを与えてきたことでしょう。けれど、ドレミの音階もハーモニーも何もなかったときに突然に天才的な男性が現れてすべてを創造して素晴らしい名曲ができたわけでもないのです。民謡とか民族音楽とかがずっと昔からあって、とても長い年月をかけて無名の人々によって音楽という形式が整えられていったのです。天才的な男性が現れるのはその後です。そういう芸能にかかわってきたのは、どちらかというと女性が中心だったようです。それは世界各地の神話物語の中で、音楽の神は女神であることが多いことからもうなづけます。
文学の世界でも、昔話やお伽話といった伝承文学の担い手は女性でした。母や祖母が子や孫に聞かせ、その子が親になってまた聞かせる。子どもたちは同じ話を何度も求め、そういう長い歴史があって初めて、天才的な男性作家が出現できるのでしょう。
女性は古代からの芸能者の血を引いているので、冒頭のような希望を常にいだいているのかもしれません。
芸能に携わってきた人々の中には、女性のほかにも、女性の服装をまとったような男性のような人たちが多かったことも、世界中で見られたようです。彼女たちはいったい何のために芸能や芸術を創造したのか、ということも、とても興味深いテーマになっています。
テーマ : 女性化・男性化・中性化 - ジャンル : 心と身体
男女の人口比の不思議
2006/06/15
トランスジェンダー・性同一性障害
小学生のころ、私のクラスの男子の数は女子より2人多かったので、運動会で男女がペアになって踊るお遊戯のときには、1人の男子が女子の役をやることになりました。私は男の子だったのですが、なぜかその役には私が選ばれました。生まれる子どもの数は、なぜか昔から男子のほうが少し多いですから、そういうこともあるのでしょう。
なぜ男子が多く生まれるのかについて、男子は夭折しやすいので、成人になれば男女は同数になって、自然はうまくできているのだなんていう人もいました。
最近は医学の進歩のおかげで男子が早死にすることが少なくなり、国の統計資料によると、40代まではまだ男子のほうが多い数字になっています。50代になってやっと同数になります。20代〜30代の適齢期で、男子のほうがかなり余ってしまいます。
日本の人口全体では男性のほうが少ないのですが、県別に見たとき男子の比率が一番多いのが神奈川県だそうです。その理由というのは、地方から就職のために首都圏に移住するのは女子より男子が多いためで、神奈川県の20〜30代では男子が女子より1割以上多く、そのために神奈川県の男子の比率が多くなるようです。出生時の男女の比率の差は5%程度とのことです。首都圏では男子がさらに余ってしまうことになります。
男子に多いトランスジェンダーや性同一性障害といったものは、生まれたときから先天的にそうなのだという論が最近あります。もしそういう男子を本来は女子とみなすと、生まれる子の男女の数の差はかなり少なくなるか、あるいは同じくらいになるかもしれませんが、どうなのでしょう? 男女同数が本来の自然現象といえなくもないかもしれませんが、となるとなぜ自然は一部の女子を男子の形で産むというややこしいことをするのでしょう??。
けれど先天的なものだとはいちがいに言えないようにも思います。
現代の哲学や社会学などの進歩が停滞する中で、なぜ自然科学だけが進歩を続けているように見えるのかも不思議です。たしかに効率化という面での技術は進歩しているのでしょう。また日常生活では1+1は2で、それは不変の真理であって科学とはそういうものなので進歩が後退することはないように思いがちですが、歴史に名を残す数学者たちはそのようなことは言わないそうです。けれどそういう日常感覚をもとにして、人文科学の停滞からくる一種のニヒリズムの裏返しのようなかたちで、自然科学を無条件に信じてしまうような風潮が広まっていますので、「先天的なものだ」という論をたいした検証もなく信じるわけにはいかないのではと思います。
なぜ男子が多く生まれるのかについて、男子は夭折しやすいので、成人になれば男女は同数になって、自然はうまくできているのだなんていう人もいました。
最近は医学の進歩のおかげで男子が早死にすることが少なくなり、国の統計資料によると、40代まではまだ男子のほうが多い数字になっています。50代になってやっと同数になります。20代〜30代の適齢期で、男子のほうがかなり余ってしまいます。
日本の人口全体では男性のほうが少ないのですが、県別に見たとき男子の比率が一番多いのが神奈川県だそうです。その理由というのは、地方から就職のために首都圏に移住するのは女子より男子が多いためで、神奈川県の20〜30代では男子が女子より1割以上多く、そのために神奈川県の男子の比率が多くなるようです。出生時の男女の比率の差は5%程度とのことです。首都圏では男子がさらに余ってしまうことになります。
男子に多いトランスジェンダーや性同一性障害といったものは、生まれたときから先天的にそうなのだという論が最近あります。もしそういう男子を本来は女子とみなすと、生まれる子の男女の数の差はかなり少なくなるか、あるいは同じくらいになるかもしれませんが、どうなのでしょう? 男女同数が本来の自然現象といえなくもないかもしれませんが、となるとなぜ自然は一部の女子を男子の形で産むというややこしいことをするのでしょう??。
けれど先天的なものだとはいちがいに言えないようにも思います。
現代の哲学や社会学などの進歩が停滞する中で、なぜ自然科学だけが進歩を続けているように見えるのかも不思議です。たしかに効率化という面での技術は進歩しているのでしょう。また日常生活では1+1は2で、それは不変の真理であって科学とはそういうものなので進歩が後退することはないように思いがちですが、歴史に名を残す数学者たちはそのようなことは言わないそうです。けれどそういう日常感覚をもとにして、人文科学の停滞からくる一種のニヒリズムの裏返しのようなかたちで、自然科学を無条件に信じてしまうような風潮が広まっていますので、「先天的なものだ」という論をたいした検証もなく信じるわけにはいかないのではと思います。
GID関連のページを見て
2006/06/13
トランスジェンダー・性同一性障害
何日か前に見たページで、ある地方議員さんが準備しているGIDのための制度みたいなのがあって、一歩前進のような主張のようでしたが、それをある人が批判していて、その程度ではほんの一握りの人が恩恵を受けるだけのことで、当事者どうしではかえって差別が生まれてしまってリスクのほうが大きすぎるというような批判をされていました。批判の通りなのでしょう。
でも難しい問題もあります。90%の人が恩恵を受けられれば良いものなのか、10%の人はどうなるのか、たとえ100%であっても、ニューハーフさんなどのGIDの範囲に入れない人はどうなるのか、ということなのですが、難しすぎます。でも問題提起はどんどんしていただきたいと思います。
2002年のGIDのガイドライン(2版)を読んでみましたが、以前のものよりも現実の多様なありかたを認めるような書き方が印象に残りました。医者が勝手に選別しているわけではありませんという感じ。医学用語としては、GIDの多様性を認めるということなのでしょうが、別の見方をすれば法制度が進んでいるということなのでしょう。GIDは、法律用語としてはやはり医者が決めることになりますから、医者のガイドラインよりは国家の法のほうがよっぽど力があります。2006年の第3版はまだ見ていません。
多様性とはどういうことかというと、たとえば都市のサラリーマンが風邪をひいたけど一日も仕事を休めないので医者に行ったとします。地方の小企業の人も風邪をひきましたが、熱がありそうだから午後から休みなさいと社長さんに言われ、同僚の人にも仕事は任せろ、困ったときはお互いさまさなんて言われて、早く家に帰っておばあちゃんの言われた通りにして早く休んだら一晩で風邪が治ったので、医者に行かなかったとします。医者に行かなかったから病名はつきませんし、国家の保障もうけられないわけですが、それで不満は感じないわけです。
歌手の人がやっぱり風邪をひいてしまってふだんの声は出るのですが、のどをやられて歌えなかったとします。医者に行きましたが、あなたののどは収入を得るための職業的なのどなので、風邪とは認められませんなんて言われたらびっくりするでしょう。けれどニューハーフさんのような職業の人が現状ではGIDには認められないのと、理屈は同じみたいなのです。
でも難しい問題もあります。90%の人が恩恵を受けられれば良いものなのか、10%の人はどうなるのか、たとえ100%であっても、ニューハーフさんなどのGIDの範囲に入れない人はどうなるのか、ということなのですが、難しすぎます。でも問題提起はどんどんしていただきたいと思います。
2002年のGIDのガイドライン(2版)を読んでみましたが、以前のものよりも現実の多様なありかたを認めるような書き方が印象に残りました。医者が勝手に選別しているわけではありませんという感じ。医学用語としては、GIDの多様性を認めるということなのでしょうが、別の見方をすれば法制度が進んでいるということなのでしょう。GIDは、法律用語としてはやはり医者が決めることになりますから、医者のガイドラインよりは国家の法のほうがよっぽど力があります。2006年の第3版はまだ見ていません。
多様性とはどういうことかというと、たとえば都市のサラリーマンが風邪をひいたけど一日も仕事を休めないので医者に行ったとします。地方の小企業の人も風邪をひきましたが、熱がありそうだから午後から休みなさいと社長さんに言われ、同僚の人にも仕事は任せろ、困ったときはお互いさまさなんて言われて、早く家に帰っておばあちゃんの言われた通りにして早く休んだら一晩で風邪が治ったので、医者に行かなかったとします。医者に行かなかったから病名はつきませんし、国家の保障もうけられないわけですが、それで不満は感じないわけです。
歌手の人がやっぱり風邪をひいてしまってふだんの声は出るのですが、のどをやられて歌えなかったとします。医者に行きましたが、あなたののどは収入を得るための職業的なのどなので、風邪とは認められませんなんて言われたらびっくりするでしょう。けれどニューハーフさんのような職業の人が現状ではGIDには認められないのと、理屈は同じみたいなのです。
前回6/3のところに「自分自身を省みることもまったくなかったわけではありませんけど、特に深くは考えず」と書いたのは、社会と自分との関係についてのことでして、自分の過去の懐かしい思い出をふりかえることは、今も昔も変わらず楽しいひとときになっています。先日「鳩子ロマンス」の日記に、今ごろになって2年前のことを書きました。「思い出し笑い」というのもよくします。時間をおいてから書いたほうが、そのときの関係者?に気を使わずに済むような気もしますし、なんといっても、思い出し笑いは楽しいです。
このブログの「カテゴリー」の中にも「思い出」がありますし、鳩子の詩集の3大テーマの一つにも「思い出」があります。
子どものころのこともたくさん書きましたが、どうやったらそんなに思い出せるのか聞かれたことがあります。それはもう十代のころからいろんな思い出にふけってばかりいて、その後も何度も何度も思い出していましたから、それでずっと忘れないでいるんだと思います。
小学校3年生のとき、1、2年前のことを思い出して涙ぐんでいるところを、姉に見られたこともありました。
子どものころのことはもっと書きたいことはたくさんあるのですが、プライバシーのこともあって、公開をためらっているものも多いです。
もう20年近く前のことですが、ニューハーフさんやそうでない「アマチュア女装」の人たちのインタビューをまとめた本を読んだことがあります。アマチュアの人たちでは、若い人やいろんな世代の人の話がありました。年配の人には、若い人に見られる性衝動のようなものは少なくて、「女装」に心からの安らぎを感じている、なんていうことが書かれてありました。当時の鳩子は若い部類だったのですけれど、性衝動のような動機にはあまり心当たりもなくて、ぴんときませんでしたし、どちらかというと「安らぎ派」なのかなと思っていました。
今はどうかというと、安らぎなんてあまりありません。とにかく時間が早く過ぎてしまいます。そのへんはパートタイムの宿命なのかもしれません。鏡を見てはもう若くはないことにため息ばかり。ある60代の男性によると「40代50代はあっという間」なんだそうです。年齢が高くなるほど時間が早く進んで、気づいてみたらこの世ともおさらば、なんていうことになるんでしょうか。
若いころは時間はたっぷりあると思ってましたし、計画的なことはあまり考えませんでした。自分自身を省みることもまったくなかったわけではありませんけど、特に深くは考えずに周囲に流されて行ったんだと思います。
今までの自分のことを少し整理しながら、いろいろ書き綴っているときが、今はいちばんの安らぎなのかもしれません。
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