「幕末のアンドロギュノス」について
2005/12/23
トランスジェンダー史
以下は、松田修『闇のユートピア』(新潮社)所収「幕末のアンドロギュノス」の要約です。「」内はそのまま引用した部分です。(1)「権利としての乞食」
「赤い羽根」などの街頭募金で、何故わたしたちは募金してしまうのだろう、何故彼らは当然の権利のように要請できるのだろうという問いかけから始まる。
「この『権利としての要請』の原形には、古代日本における『権利としての乞食(こつじき)』が考えられるのではないか」。
藤原氏の専制政治のきっかけとなったといわれる長屋王暗殺事件。長屋王は、乞食の僧に対して非情な仕打ちをしたために、その報いで滅びたのだと平安初期の『日本霊異記』に書かれる。一方、片岡山で出会った乞食に、自らの美しい衣服を脱いで与えたという聖徳太子。乞食は尊い仏の化身だったと『日本霊異記』はいい、太子は徳の高い人として日本人の尊敬を集めていった。
尊い神や仏は、みすぼらしい異装で現われるという。『日本霊異記』の話は大陸の説話に基づくものかもしれないが、「貴種流離の発想----素盞嗚尊から、大己貴尊、日本武尊たち、神々の聖なる系譜において、神なるがゆえに流離し、零落するという様式は、おそらく乞食思想以前に定型化されており、乞食化身の発想の普及を、想像以上に容易にしたものであろう。」 蓑笠をまとって家々の戸口に現われたという素盞嗚尊。「八重山のニイルビト(常世神)、秋田男鹿半島のナマハゲたち、神はいつの時空にも、来訪者であり仮想者であった」。
(2)零落した神、両性具有のヒーロー
江戸時代に、能楽者、座頭、瞽女から乞食に至るまで、「配当」と称する、各藩からの「当然の権利としての受給」があった。「近世以後の多くの物乞いたちは、おそらく古代的な乞食したがって神々の裔であり、その意味では乞うことがねだりに転回することも、必ずしも堕落とはいいがたいのである」
歌舞伎の物語の弁天小僧も同様に、無宿の身で、ゆすり、たかりをする。娘姿の弁天小僧と中間にばけた南郷力丸。弁天小僧は異装の小さき神、南郷は育て神というコンビは、日本の物語に多いパターンである。
「零落した神々の姿を、江戸の民衆は、両性具有においてイメージした。それはおそらく庶民の合理を超えた次元での知恵ではないだろうか。かつて蓑笠・法衣・袈裟の下に隠身があったように、振袖の、はては女袷の下にさえ、眩い神の聖痕に彩られた裸身があった。」
「日本の神の常態というべきは、小さ神であり、おう弱の神であり、犯しの神であった。ことに当れる罪のゆえにさすらい、罪とさすらいのゆえに神聖である」
「押しかけゆすりの邪神たちが、花の異装に綺羅をつくし、聖・悪・美が混在混融して妖異の世界をかいまみさせること----それこそが幕末演劇の機能ではなかったか」
「アメリカ、東部湖沼地帯のナンディ族は成年式に男女それぞれの恋人の衣装で仮装して受苦する。ブエブロ諸族には「男女」という男にして女の生活をする特殊者がいた」
「古代ゲルマン、東方スェービー諸族のうちナハナルワーリー族は聖林を保ち、女装した司祭がこれを管理する」
(3)演劇のヒーローと一揆のヒーロー
弁天小僧菊之助の他にも、幕末の英雄たちには「小僧」の名が多い。鼠小僧次郎吉、因幡小僧新助、因果小僧六之助、秋田小僧金五郎、天狗小僧霧太郎など。実像はともかく民衆にとっては、義賊であり神出鬼没の少年のイメージである。
天狗小僧霧太郎の『都鳥廓白浪』は、「吉田家の零落した貴公子松若丸が、昼は女として遊女勤めをし、傾城花子、夜は天狗小僧霧太郎として盗賊稼業にいそしむという奇異な話であるが、霧太郎こそ、年少貴種にして流離し、受苦し、異装する神であった。」
同様に、『小春隠沖津白浪』の小狐礼三や、『御国入曽我中村』の白井権八。
このような両性具有のヒーローは、演劇や物語の世界だけのことではなく、現実の打ち毀しや一揆のヒーローとしても出現した。
天明7年の江戸の記録に「数十人の打ち毀しの中に、美少年一人、大入道一人交じりて、少年は飛ぶ鳥の如く飛び廻り、入道は金剛力士の如くにて、目も綾なりと、見たる人語りき」とある。事実かどうかはともかく「民衆の集団的幻視」の事実として記録されている。時代は遡るが天草四郎の姿にも重なる。上州そのほかの打ち毀しの記録にも「美少年の指揮による反逆一揆」の事例が多く見られる。
あとは読んでのお楽しみ
滝沢馬琴『近世説美少年録』、『南総里見八犬伝』について詳しいです
地球上の動物で一番お尻が大きいのは人間
猫のお尻はどの部分をいうのか考えてみました。お尻の穴の部分はわかります。猫のしっぽのつけねが、人の尾てい骨のあたりでしょうか。けれども、しっぽの周囲には、人のお尻のような丸い柔らかい部分はありません。太ももも柔らかくなくて、太ももと背中が直結している感じです。犬のお尻も似たような形です。
百科事典を調べてみると、人と猿以外の動物では、お尻と呼べる部分がどこまでなのか、はっきりしないようです。猿には形はちょっと偏平ですがお尻があり、赤い色をしています。
地球の動物で一番お尻が大きいのは人間であると書いてありました。
ギリシャのアリストテレスという人は、人にだけお尻があるといったそうです。人だけが特別に発達した大きなお尻をもっているという意味なのでしょう。
お尻の発達
ではなぜ人はお尻が大きいのでしょうか。
それは、二本足で直立歩行することと関係あるらしいのです。人のお尻のふくらみには大臀筋という筋肉があって、この筋肉のおかげで人は二本足で立てるようになったということです。人にとってたいへん大事な筋肉ですから、厚い皮下脂肪でしっかり覆われて守られているのでしょう。人は二本足で歩くため、下半身が豊かに発達してきた動物なんだそうです。
お尻が大きいと、ふとももも太くなります。人以外でふとももの良く発達した動物は鳥です。鳥も地上を歩くときは二本足ですし、水を泳ぐときも二本足で進みますから、立派なふとももを持つようになったのでしょう。
人のうちでも、女性のほうが、お尻やふとももは発達しています。子どもを生むために骨盤が大きくなったと一般には説明されますが、では他の哺乳動物でもメスは骨盤が大きいのかというと、はっきりしないようです。猿のお尻は、発情期に異性をひきつけるためにあるともいいますので、人間のお尻にも同様の役割があるのかもしれません。場合によっては、ひきつける相手は異性だけでもないようです。
人は眠るとき以外に常に二本足で立ち続けているわけではありません。腰をおろして座ります。座るためには、柔らかいお尻が必要です。猿も座るような姿勢をとることが多い動物です。大きいお尻は、座るという姿勢と関係の深いものにも思えます。外へ狩りに出かけた男性にくらべて、女性のほうが座る姿勢でいることが長かったのかもしれません。
男性も机の前に座ってばかりの生活ですと、お尻が大きくなってゆくかもしれません。でも、背もたれのある椅子では腰はきたえられないかもしれませんし、二本足で歩くという人間のお尻の発達の基本を忘れては、腰痛の原因になるばかりです。
乳房とお尻
胸に二つの豊かな乳房をもつのも人間の女性だけといいます。牛や山羊などは乳首はいいくつかありますが、乳房は一つだけです。他の多くの哺乳動物はよく探してみれば乳首が見つかる程度で乳房というものはないそうです。
人の乳房は猿のお尻のコピーだと、妙なことをいった学者がいて、D. J. モリスという人です。二本足で立ってお互いに正面から向きあう人間にとっては,猿がお尻を充血させて異性を誘うように、からだの前面にお尻をを模倣した乳房を見せて男性の欲望を誘い出すようになったといいます。こんなことも書いてあります。「乳房を『永遠に腫脹している性皮』と呼ぶ学者もいる。柔らかな丸みをもつ乳房は,乳児に安らぎを与える前に,前向きで性交する男性の目を魅了する役割を果たすとする」
ただ、お尻のコピーといえるような大きな乳房をもつ女性たちばかりではなかったようにも思います。そういう言いかたは単に古い時代の西洋人男性の憧れにすぎないのかもしれません。
「前向きでの性交」というのが、人類の最初からのものであるのかは、よくわかりません。出産のときの姿勢は、日本の近世までは這いつくばるような姿勢が多かったようです。性交の姿勢については、人はかなり古い時代からさまざまなバリエーションを楽しむようになったのかもしれません。正面を向き合うのは、そういうバリエーションの一つのようにも思えます。
とにかく、人だけがもつ豊かなお尻は、人間らしさの象徴のようにも思えてくるのです。
(参考 平凡社『世界大百科事典』)
猫のお尻はどの部分をいうのか考えてみました。お尻の穴の部分はわかります。猫のしっぽのつけねが、人の尾てい骨のあたりでしょうか。けれども、しっぽの周囲には、人のお尻のような丸い柔らかい部分はありません。太ももも柔らかくなくて、太ももと背中が直結している感じです。犬のお尻も似たような形です。
百科事典を調べてみると、人と猿以外の動物では、お尻と呼べる部分がどこまでなのか、はっきりしないようです。猿には形はちょっと偏平ですがお尻があり、赤い色をしています。
地球の動物で一番お尻が大きいのは人間であると書いてありました。
ギリシャのアリストテレスという人は、人にだけお尻があるといったそうです。人だけが特別に発達した大きなお尻をもっているという意味なのでしょう。
お尻の発達
ではなぜ人はお尻が大きいのでしょうか。
それは、二本足で直立歩行することと関係あるらしいのです。人のお尻のふくらみには大臀筋という筋肉があって、この筋肉のおかげで人は二本足で立てるようになったということです。人にとってたいへん大事な筋肉ですから、厚い皮下脂肪でしっかり覆われて守られているのでしょう。人は二本足で歩くため、下半身が豊かに発達してきた動物なんだそうです。
お尻が大きいと、ふとももも太くなります。人以外でふとももの良く発達した動物は鳥です。鳥も地上を歩くときは二本足ですし、水を泳ぐときも二本足で進みますから、立派なふとももを持つようになったのでしょう。
人のうちでも、女性のほうが、お尻やふとももは発達しています。子どもを生むために骨盤が大きくなったと一般には説明されますが、では他の哺乳動物でもメスは骨盤が大きいのかというと、はっきりしないようです。猿のお尻は、発情期に異性をひきつけるためにあるともいいますので、人間のお尻にも同様の役割があるのかもしれません。場合によっては、ひきつける相手は異性だけでもないようです。
人は眠るとき以外に常に二本足で立ち続けているわけではありません。腰をおろして座ります。座るためには、柔らかいお尻が必要です。猿も座るような姿勢をとることが多い動物です。大きいお尻は、座るという姿勢と関係の深いものにも思えます。外へ狩りに出かけた男性にくらべて、女性のほうが座る姿勢でいることが長かったのかもしれません。
男性も机の前に座ってばかりの生活ですと、お尻が大きくなってゆくかもしれません。でも、背もたれのある椅子では腰はきたえられないかもしれませんし、二本足で歩くという人間のお尻の発達の基本を忘れては、腰痛の原因になるばかりです。
乳房とお尻
胸に二つの豊かな乳房をもつのも人間の女性だけといいます。牛や山羊などは乳首はいいくつかありますが、乳房は一つだけです。他の多くの哺乳動物はよく探してみれば乳首が見つかる程度で乳房というものはないそうです。
人の乳房は猿のお尻のコピーだと、妙なことをいった学者がいて、D. J. モリスという人です。二本足で立ってお互いに正面から向きあう人間にとっては,猿がお尻を充血させて異性を誘うように、からだの前面にお尻をを模倣した乳房を見せて男性の欲望を誘い出すようになったといいます。こんなことも書いてあります。「乳房を『永遠に腫脹している性皮』と呼ぶ学者もいる。柔らかな丸みをもつ乳房は,乳児に安らぎを与える前に,前向きで性交する男性の目を魅了する役割を果たすとする」
ただ、お尻のコピーといえるような大きな乳房をもつ女性たちばかりではなかったようにも思います。そういう言いかたは単に古い時代の西洋人男性の憧れにすぎないのかもしれません。
「前向きでの性交」というのが、人類の最初からのものであるのかは、よくわかりません。出産のときの姿勢は、日本の近世までは這いつくばるような姿勢が多かったようです。性交の姿勢については、人はかなり古い時代からさまざまなバリエーションを楽しむようになったのかもしれません。正面を向き合うのは、そういうバリエーションの一つのようにも思えます。
とにかく、人だけがもつ豊かなお尻は、人間らしさの象徴のようにも思えてくるのです。
(参考 平凡社『世界大百科事典』)
変生女子について
2005/12/21
トランスジェンダー史
変成女子とも表記します。旧Hatoko's Diaryからの数件の記事です。
中世の僧の世界
室町戦国時代には日本中を旅して歩いた修行僧のような人が多かったらしいですが、なかには色白の美貌の若い僧もいて、宿をとった先で急にからだが異常をきたし、特に下半身が熱を帯びたりとかして……、一晩のうちに女性に成り変わってしまった、という話がいくつかあります。そして僧をやめて女性としてその土地で結婚して普通に暮らすようになったという話です。
女性の半陰陽だったのかもしれません。けれど一般には性別の特別な人たちが生きてゆくための「受け皿」としても、僧侶の世界があったように思えます。男だけの社会だから男色が発達したというのではなくて、そういう人たちを救済する組織としても機能していたのでしょう。女性に成り変わってしまった場合は、俗の生活に戻りますが、そうでない人たちは一生涯、僧で暮らすのでしょう。そんな生活に憧れることもあります。
(2004.10.01)
日本の「半男半女」
古書店で見つけた『奇書』(岡田甫著 有光書房 昭和39年)という本にある話です。
鎌倉時代の絵巻物『病草紙』(異疾草子ともいう)は、当時のいろいろな奇病の姿を描いたもので、半陰陽の絵もあるとか。酒に酔った男(?)が前もあらわに寝ころんでいて、周囲の人がそれを見て笑っているのか喜んでいるのか、そんな絵だそうです。
種子島に鉄砲が伝来した二年前の天文十年(1541)、『奇異雑談』という本が書かれ、女性になった若い僧の話がいくつかあるようです。著者は「中村豊前守の息子」という人。
「下野国足利の町の若い坊さん、怪しからん部分がどうも痒くて耐まらない。熱湯でしきりに温湿布をつづけたところ、次第に痒みが薄らぐとともに突起物が縮まり、ついに女のものと化した。そこでついに坊さんをあきらめ、さる造酒家に嫁入りして子を二人も生んだ。」(「奇書」より)
越後の若僧が近江国島郡枝村の宿に滞在中、不思議な夢を見て、朝おきたら陰部が変化していた。僧の様子がおかしいのを心配した宿の主人が、いろいろ事情を聞いているうちに欲情して、事実かどうか確認に及んだ。主人は独り身だったので、若僧はそのまま宿の主婦におさまったとか。
僧の話が二つですが、むかしは特殊なからだの人はみな、神仏に近い存在なので、僧になったのかもしれません。しかし完全な女性のからだに変化した場合は、俗世間に戻らなければいけなかったのかも。
南方熊楠『浄のセクソロジー』(河出文庫)の中の「鳥を食うて王になった話」にも同じ話があります。南方熊楠が集めたたくさんの話を、今の若い人にも読みやすい文章で紹介してゆけたらいいんですけどね……。
変生女子二件
江戸の実相坊という学僧が、信州のある家に何日か宿をとったとき、思いがけない熱病にかかり、ようやく回復して行水をしてみたら「男根落ちて女根となる」。それ以来、学問のことは忘れてただの凡人となり、酒屋の妻となったという。
上州藤岡から秩父へ経帷子(きょうかたびら)を行商する僧が、山家のとある酒屋を訪れてみると、以前一緒に旅した僧によく似た女房がいた。顔を隠そうとする女房に、僧が「私の知る僧の姉妹であろうか」と尋ねると、涙を流して奥へ行ってしまった。次に酒屋に寄って再び尋ねたとき、女房は、姉妹ではなく本人であり、病気にかかったときに男のものが落ちて、かくなる次第という。寛永年間の話。
『因果物語』下。( 南方熊楠『鳥を喰うて王になった話』より)
(2004.10.16)
『和漢奇事変生男子之説』
幕末のころの本『和漢奇事変生男子之説』というのがあります。"日本初の「両性具有文献集」"という副題で、久米晶文さんという人が作ったものが次のところからpdfファイルをダウンロードできるようになっているのを見つけました。(その後、ダウンロード不能)
http://kiyo.nii.ac.jp/articles/ncid/AN10437283/20020331_3.html
変生男子とはからだが女性から男性になった人のことで、その逆の変生女子の話もあります。『奇異雑談』からの引用の話もあります。
月の半分は男性で、半分は女性だった人の話もありました。書いた人は「人間が人間に変るだけ」なので奇妙がることもないと述べています。
(2004.10.10)
「男が女に変わった話」
欧州の古典の話。ツレシアスという男が、蛇の交わるのを見て、そのメスを殺したら女になった。7年後にまた蛇の交わるのを見て、今度はオスを殺したら男に戻った。
中国の蜀の時代、都に仕えていた男が美しい女になり、蜀王は見初めて妃にしたが、妃は環境になじめず夭逝したので、王は哀れんで高さ七丈の塚を造って葬った。(『蜀志』)
インド。パルヴァチの森に入れば男は女になる。
インドのソランキ王の子は、みな生まれてまもなく死んでしまったが、一人の王女を男子として育てたら健康に育った。成人してある王女と婚約をとりかわしたが、王は素性がばれないか心配になってしまった。王が狩りに出たとき、連れていったメス犬が森の池で水浴びをして、水から出たときはオス犬になっていた。そこでその池で王女を水浴びさせると立派な王子になり、めでたく結婚式を迎えることができた。(『グジャラット民俗誌』)
仏典。阿那津尊は、美貌の女性のように見えた。悪漢が彼を犯そうとしたとき、男子と知って、悪漢は女に化り変わってしまった。男は恥じ入って深い山に入ったきり戻らなくなり、それを嘆く妻を見て哀れんだ阿那津は、その者を探し出して悔過自責させたら、男に戻った。(『旧羅譬喩経』)
……南方熊楠『鳥を喰うて王になった話』より
(2004.10.4)
中世の僧の世界
室町戦国時代には日本中を旅して歩いた修行僧のような人が多かったらしいですが、なかには色白の美貌の若い僧もいて、宿をとった先で急にからだが異常をきたし、特に下半身が熱を帯びたりとかして……、一晩のうちに女性に成り変わってしまった、という話がいくつかあります。そして僧をやめて女性としてその土地で結婚して普通に暮らすようになったという話です。
女性の半陰陽だったのかもしれません。けれど一般には性別の特別な人たちが生きてゆくための「受け皿」としても、僧侶の世界があったように思えます。男だけの社会だから男色が発達したというのではなくて、そういう人たちを救済する組織としても機能していたのでしょう。女性に成り変わってしまった場合は、俗の生活に戻りますが、そうでない人たちは一生涯、僧で暮らすのでしょう。そんな生活に憧れることもあります。
(2004.10.01)
日本の「半男半女」
古書店で見つけた『奇書』(岡田甫著 有光書房 昭和39年)という本にある話です。
鎌倉時代の絵巻物『病草紙』(異疾草子ともいう)は、当時のいろいろな奇病の姿を描いたもので、半陰陽の絵もあるとか。酒に酔った男(?)が前もあらわに寝ころんでいて、周囲の人がそれを見て笑っているのか喜んでいるのか、そんな絵だそうです。
種子島に鉄砲が伝来した二年前の天文十年(1541)、『奇異雑談』という本が書かれ、女性になった若い僧の話がいくつかあるようです。著者は「中村豊前守の息子」という人。
「下野国足利の町の若い坊さん、怪しからん部分がどうも痒くて耐まらない。熱湯でしきりに温湿布をつづけたところ、次第に痒みが薄らぐとともに突起物が縮まり、ついに女のものと化した。そこでついに坊さんをあきらめ、さる造酒家に嫁入りして子を二人も生んだ。」(「奇書」より)
越後の若僧が近江国島郡枝村の宿に滞在中、不思議な夢を見て、朝おきたら陰部が変化していた。僧の様子がおかしいのを心配した宿の主人が、いろいろ事情を聞いているうちに欲情して、事実かどうか確認に及んだ。主人は独り身だったので、若僧はそのまま宿の主婦におさまったとか。
僧の話が二つですが、むかしは特殊なからだの人はみな、神仏に近い存在なので、僧になったのかもしれません。しかし完全な女性のからだに変化した場合は、俗世間に戻らなければいけなかったのかも。
南方熊楠『浄のセクソロジー』(河出文庫)の中の「鳥を食うて王になった話」にも同じ話があります。南方熊楠が集めたたくさんの話を、今の若い人にも読みやすい文章で紹介してゆけたらいいんですけどね……。
変生女子二件
江戸の実相坊という学僧が、信州のある家に何日か宿をとったとき、思いがけない熱病にかかり、ようやく回復して行水をしてみたら「男根落ちて女根となる」。それ以来、学問のことは忘れてただの凡人となり、酒屋の妻となったという。
上州藤岡から秩父へ経帷子(きょうかたびら)を行商する僧が、山家のとある酒屋を訪れてみると、以前一緒に旅した僧によく似た女房がいた。顔を隠そうとする女房に、僧が「私の知る僧の姉妹であろうか」と尋ねると、涙を流して奥へ行ってしまった。次に酒屋に寄って再び尋ねたとき、女房は、姉妹ではなく本人であり、病気にかかったときに男のものが落ちて、かくなる次第という。寛永年間の話。
『因果物語』下。( 南方熊楠『鳥を喰うて王になった話』より)
(2004.10.16)
『和漢奇事変生男子之説』
幕末のころの本『和漢奇事変生男子之説』というのがあります。"日本初の「両性具有文献集」"という副題で、久米晶文さんという人が作ったものが次のところからpdfファイルをダウンロードできるようになっているのを見つけました。(その後、ダウンロード不能)
http://kiyo.nii.ac.jp/articles/ncid/AN10437283/20020331_3.html
変生男子とはからだが女性から男性になった人のことで、その逆の変生女子の話もあります。『奇異雑談』からの引用の話もあります。
月の半分は男性で、半分は女性だった人の話もありました。書いた人は「人間が人間に変るだけ」なので奇妙がることもないと述べています。
(2004.10.10)
「男が女に変わった話」
欧州の古典の話。ツレシアスという男が、蛇の交わるのを見て、そのメスを殺したら女になった。7年後にまた蛇の交わるのを見て、今度はオスを殺したら男に戻った。
中国の蜀の時代、都に仕えていた男が美しい女になり、蜀王は見初めて妃にしたが、妃は環境になじめず夭逝したので、王は哀れんで高さ七丈の塚を造って葬った。(『蜀志』)
インド。パルヴァチの森に入れば男は女になる。
インドのソランキ王の子は、みな生まれてまもなく死んでしまったが、一人の王女を男子として育てたら健康に育った。成人してある王女と婚約をとりかわしたが、王は素性がばれないか心配になってしまった。王が狩りに出たとき、連れていったメス犬が森の池で水浴びをして、水から出たときはオス犬になっていた。そこでその池で王女を水浴びさせると立派な王子になり、めでたく結婚式を迎えることができた。(『グジャラット民俗誌』)
仏典。阿那津尊は、美貌の女性のように見えた。悪漢が彼を犯そうとしたとき、男子と知って、悪漢は女に化り変わってしまった。男は恥じ入って深い山に入ったきり戻らなくなり、それを嘆く妻を見て哀れんだ阿那津は、その者を探し出して悔過自責させたら、男に戻った。(『旧羅譬喩経』)
……南方熊楠『鳥を喰うて王になった話』より
(2004.10.4)
大島弓子『七月七日に…』、もし戦争になったら
2005/12/20
本
徴兵をのがれた青年大島弓子のマンガに、第2次大戦中に徴兵から逃れるために女装して片田舎でひっそりと暮らす青年の話があったのを憶えています。もしまた朝鮮半島とかで戦争がおこったら、あたしもそうするだろうと本気で思うことがあります。
あたしはもう徴兵にとられるような年齢ではありませんし、若かったとしても合格するような体力はありません。けれど、あたしがふだん男装で生活することを選んだのは、家族や親戚やこれまで縁のあった人たちとの関係を大切に思ったから決めたことなのです。もしそういった人たち全員が戦争バンザイみたいなことを言い出したら、あたしが男装を選んだ意味はなくなります。そのときあたしは初めて自分自身のためだけに女性装だけの生活を選ぶことになるだろうと思うんです。
けれど、今回のイラク戦争のように、戦争がおこってもすぐに終ってしまうんだろうなとも思います<※追記参照>。ひと月ほど口をつぐんでいれば、すぐに終ってしまって、一部に被害を受ける地域はあっても、あとは何もなかったような元の生活にもどってしまうような……。ああ、それならいっそのこと、世の中が本当の泥沼に落ちこむような戦争になってくれたら……なんて思ってはいけないんでしょうけど、そんな不安をおぼえる最近の御時世ですよね。
ただ、あたしがこれだけはいいたいのは、日本人には家族や親戚縁者のために自分自身を規制して男装生活している人が、ものすごく多いと思うんです。欧米にくらべて性同一性障害に対して無理解で遅れた社会などということはなかったと思ってます。東洋的といってもいい自己規制の中に女性と男性の二つの心を見つめてきた人たちがたくさんいて、そんな人にあたしも愛されたいなあ……なんて。
ただ、そのような自己規制は、東洋の一部の国だけのことで、しかも明治以降の限られた時代だけのことなのかもしれません。あたしはそんな時代の中で半生を過ごしてきましたが、みんなが無理に自己規制しなくてもよい時代もくるのかもしれません。
七月七日に…
さて、大島弓子のマンガを本棚から出してもう一度読んでみました。『七月七日に…』という題名の短編で、青年は、徴兵から逃れるために、女性として、故人となった知人の娘とともに暮らしていたことになります。彼または彼女は、父母を失った少女の母親となり、ごく普通の母子として片田舎で数年間を暮らしました。そんな母子の愛につつまれた生活が、少女の視点からの懐かしくみづみづしい回想として語られます。母は、少女の成長を見届けた時点で、再びの召集令状に応じ、そのまま帰らぬ人となったという話です。(2003/5/14)
七月七日といえば七夕。写真は、一番星を見つけて……。車のライトが下から当たってるみたいです。ちなみに鳩子のHPのURLは、ミルキーウェイ・ベガ通り。ベガとは東洋では織女星のことです。
※追記 これを書いた2003年5月ごろは、イラク戦争は短期間で終結したという報道ばかりでした。しかしその後、国内での武力衝突などが目立って激化して、戦争は終結していないという報道も多くなりました。(2004/2)
竹次郎の出産
2005/12/19
トランスジェンダー史
江戸時代の文政年間のころ、江戸の内藤新宿(今の新宿)の大宗寺の門前のそば屋の出前持ちの竹次郎が子どもを生んだという瓦版が飛ぶように売れたという話。武光誠という人の本に載ってました。竹次郎は実は22歳の女性なのですが、ふだんからずっと男のかっこうをしていたので、まわりからは男が子どもを生んだとさぞ驚かれたことでしょう。瓦版を見た人がどっと見物に押し寄せて来て、そば屋は大繁盛だったとか。
竹次郎は粋な男の身なりだったので、お寺詣りに来る女性たちの憧れのまとだったと、武光氏は書いています。吉成由貴子さんによれば「宿場中の飯盛女の憧れだったらしい」とあります。http://goldengai.net/topics/index04.php(吉成さんのこのページでは、当時いろんな変装のための衣装を貸してくれる店の話も面白いです。)
竹次郎だけでなく、男装する女性、女装する男性は珍しくない時代だったようです。服装はかなり自由だったということでしょう。
竹次郎のその後や、生まれた子どもの父親についてはわかりません。
××で死ねたら本望?
2005/12/17
その他・生活と文化
15日、野球のブルーウェーブの仰木監督が亡くなったニュース。野球が本当に好きな人で「グランドで死ねたら本望」なんて言ってたそうです。
好きな仕事や趣味をしながら天国へ行くのもしあわせなのかも。
でも「女装」が趣味の人で「女装で死ねたら本望」なんていう人は少ないでしょう。あとがたいへんです。でも胸のふくらんでる人はからだを見られたくないので高齢にになってから去勢する人もいるみたいな話・・・
「鳩子の忘れな草紙」合体
2005/12/10
未分類
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12月からしばらく鳩子ロマンス