さよなら杉浦日向子さん
2005/07/30
本
ちょっと夏休みモードになってて10日ぶりの記事です。
ブログの管理モードを見たら、26日のアクセスが300という多さ。前後の25日と27日も150くらい。ふだんは60前後で記事をアップした日が100ちょっとなので、不思議に思いました。
しばらく考えてその理由がわかりました。断定して良いと思いますが、つまり……
これまでの48の記事の中で、杉浦日向子さんのことを2回書きました。それから他の記事で人の死一般について触れることも少なくなかったと思います。
それで彼女が亡くなったニュースが流れた25日の午後から、ネット上を検索した人が多かったんだろうと思いました。
とてもショックなニュースでした。2回の記事はここです↓
江戸時代の女性〜杉浦日向子『お江戸でござる』から 小股の切れ上がった
★Re:さよなら杉浦日向子さん(07/30) 鳩子(^o^)さん
この記事を書いた31日もアクセスが148もありました。
期待して検索してくれた人には申し訳ないような短い記事でしたが、そうやってみんなに惜しまれて彼女はいってしまいました。ご冥福をお祈りします。(2005年08月01日 03時22分57秒)
ブログの管理モードを見たら、26日のアクセスが300という多さ。前後の25日と27日も150くらい。ふだんは60前後で記事をアップした日が100ちょっとなので、不思議に思いました。
しばらく考えてその理由がわかりました。断定して良いと思いますが、つまり……
これまでの48の記事の中で、杉浦日向子さんのことを2回書きました。それから他の記事で人の死一般について触れることも少なくなかったと思います。
それで彼女が亡くなったニュースが流れた25日の午後から、ネット上を検索した人が多かったんだろうと思いました。
とてもショックなニュースでした。2回の記事はここです↓
江戸時代の女性〜杉浦日向子『お江戸でござる』から 小股の切れ上がった
★Re:さよなら杉浦日向子さん(07/30) 鳩子(^o^)さん
この記事を書いた31日もアクセスが148もありました。
期待して検索してくれた人には申し訳ないような短い記事でしたが、そうやってみんなに惜しまれて彼女はいってしまいました。ご冥福をお祈りします。(2005年08月01日 03時22分57秒)


だんだん夏休みモードになってきました。
腕をくむとき、左腕が前になる人は左きき、という話をどこかで聞きました。
それで自分の写真でそういうのを探してみると、やっぱりそうなのかしらと思いますよね。
この写真のころは細かったですよね
魔性のヒロイン?川島芳子
2005/07/14
トランスジェンダー史
歴史雑誌の特集号で「魔性のヒロイン」という本。「男装の麗人」川島芳子の話も載っていました。
書いた人は久米昌文という先生、どこかで聞いた名前です。去年の秋ごろ、江戸時代の変成女子についての文献をまとめてpdfで公開した人ですね。odfはその後ダウンロードしにくくなりましたが、鳩子はばっちりダウンロードしました。
川島芳子という人についてはほとんど名前しか知らなかったのですが、いろんなことが書いてありました。
生まれは中国人で、清国の王族の「世が世であれば」王女ですね。日本軍の川島という人の養女になって、日本に来て綺麗だけど男まさりの少女時代。でも養父がエッチな目で見るようになって、16歳のときに中国の兄のところへ連れられて行って、養父は兄に結婚を申しこんだとか。兄親王の仁と自分の勇を兼ね備えた子を作りたいとかなんとか。それで18歳で髪をばっさりで、男装するようになったらしいです。
21歳で蒙古の人と結婚したときは昭和になっていて、すぐに離婚。
その後、上海をかわきりに、中国各地で、日本軍の将校の男たちと次々と関係を結んだり、スパイ工作をしたり、男装で軍隊をひきいたかと思えば、華麗なドレスで社交界の花となったり。このへんはよく知られるところでした。
辛亥革命で国(清国)を失った彼女は、男たちの戦争の大義名分がちゃんちゃらおかしく見えて、それなら男たちを手玉にとってやろうという一種の「遊び」に生きた女なんだと久米氏は述べています。戦争がなかったら違う生き方だったのかもしれませんね。
彼女は年とともにひっそり地味に暮らしていたところを終戦となり、中国軍につかまって銃殺刑。40歳を過ぎてました。
彼女は当時の日本の女性雑誌をにぎわしたヒロインでもあり、少女たちは宝塚の男役スターを見るように夢中になって毎月の記事を読んだとか。
彼女のような激しい生き方は、遠い世界のもののような感じにうけとめてしまいがちですが、時代のスターあり、時代に翻弄される人あり、いろいろなのでしょう。
(カットは「別冊歴史読本・世界魔性のヒロイン」新人物往来社、平成13年発行の表紙)
コメント
長編小説『男装の麗人』
以前、まりっぺの日記で『男装の麗人』というドイツの長編悲劇の要約を紹介しています。
http://2.suk2.tok2.com/user/cherrygirl/?y=2005&m=04&d=08&all=0
2005/07/16 20:25 まりっぺ
『異形の王子の悲劇』ですね
『異形の王子の悲劇』についてのページ拝見しました。
王家は男子しか継げないので王女が王子になりすますというのは漫画の「リボンの騎士」と似てますが、すさまじいドラマ展開になってますね。完全に運命に弄ばれてしまった感じ。ふられた従妹の復讐というのも恐ろしいですね。
2005/07/16 23:44 鳩子
岸辺を歩くと足が滑りそうな場所があって怖いものです。水に落ちたら鳩子は泳げませんからね。
泳げない理由について昔からいろいろ考えたことがあります。
1、子どものころ男の子にまじって裸になるのが嫌だった
夏休みは水泳教室をどうやってサボろうかと毎日頭をひねってました。
2、肺が小さいので入る空気が少なくて上体から沈む ?
女の子がみんな泳げないということはないのですから、違うのでしょう。男性の肺活量の平均値は女性の3〜4割多いそうですが、それだけの空気と酸素を効率的に使えているのかしら。これは疑問ですよね。
3、平衡感覚がしっかりしてないので、水中ではますますわからなくなる
地上を歩くときはきれいに歩けるんですけどね。
さて何がほんとの原因でしょう
少子化で日本は人口がどんどん減っています。鳩子のように子どもを生めないオンナが増えているのも、少しは影響しているのでしょうか? でも浜辺の砂の一粒みたいで、あまり関係ないでしょうね。
男がたくましい時代には多産の傾向があったなんて言った人がいたそうですが、現代の少子化は避妊技術の問題が大きいのでそういうのは関係ないと言う人も。
男がたくましいからどんどんセックスして子どもが増えるという見方はちょっと変ですよね。
男がたくましい時代とは、つまり戦争の時代です。現代の日本国内に関しては、ずっと戦争はないのですが、周辺が平和だからというわけでもない奇妙な状況が60年。
戦争の時代には、女は一にも二にも貞淑さが求められます。だんなさんは戦争に行ってるわけですから。そうやって銃後の守りは大丈夫だから男は安心して死んで来いというわけでした。
戦争の時代が作ってきた男女観なのです。戸籍が男にも関わらず華美な服装で退廃的で軟弱不埒な言葉づかいや変態行為に身をやつすとは何事!
昔のお坊さんや牧師さんは結婚もしないで、優秀な人が多かったと思いますけど子孫を残さないわけですから、歴史の進みぐあいはゆっくりしたものだったかも。でもどの時代にも素晴らしい文化は残っているのでしょう。歴史は常に前へ進むもの、という歴史観も変かも。
戦争で犠牲になった若者はたしかに可哀想です。鳩子の青春も一人二役をさせられたり、若くていちばん綺麗だった時代に鳩子らしさを見つけることがあまりできませんでした。ほんのちょっとだけ可哀想。だから死ぬときには涙を一粒だけ余計に流すかもしれません。
原っぱのシロツメクサ
2005/07/09
季節

原っぱに、シロツメクサがいっぱい咲いていました。
別名はクローバーですね。
四つ葉のクローバーは幸運のしるし、なんていって、こどものころよく探しましたけど、広い原っぱですから意外にすぐ見つかるものでした。
それをポケットにしまって、あとは寝ころんで、空を流れてゆく雲を見てました。
雲は動物のかたちに見えたり、人の顔に見えたり。
時間がたつと、横顔の鼻の形がピノキオみたいに伸びていったり、動物の足がいつのまにかちぎれてしまったり……
怖くなってきたと思ったら、まんじゅうや食べ物に見えたり。
そうやって、おなかをすかせながら、ぼんやりいつまでもながめていました。
『桜川』と良く似た話に『隅田川』というのがあります。
平安時代の話で、京の高貴な生まれの梅若という少年が、比叡山の稚児となっていたころに、何物かにさらわれて東国をさまよい、からだを病んで、それを苦に江戸・隅田川に身を投げて死んでしまう話です。「桜川」と同じように母はわが子を探しに旅に出たのですが、隅田川のほとりで梅若を葬った塚を見つけて、その前で舞い狂うというお話。
高い身分に生まれても稚児となる時代でした。というより将来のため、立派な学問を修めるために家柄の良い子ほどすすんで稚児となったらしいのです。
ということは源氏の直系に生まれた牛若が幼くして母と生き別れて鞍馬山の稚児になったのも、可哀想なことではぜんぜんないのです。父義朝が生きていても同じだったでしょう。
牛若は自分の意志で鞍馬を抜け出して奥州平泉へ旅に出たのですが、鞍馬山の僧たちから見れば、金売吉次が誘拐して連れ出したのも同然なのです。もし旅の途中で牛若に万一のことがあれば、「隅田川」と同じような話に語られたことでしょう。「桜川」の桜子が自分の意志で稚児になったかならなかったかも、そんなに重要なことではないように思います。
稚児が東国を旅する話はほかにもたくさんあるのでしょうか、気になります。
中世の旅芸人の集団の中に、びっくりするほどの美少年がいたために、それを見た人たちが想像をたくましくさせて物語を作りあげたのか、
あるいは稚児の修行の一つとして寺によって予定されていたものなのか、よくわかりません。
旅芸人の集団が自らの先祖の出自を語るときには、都の高貴な人の名が出ることもあったでしょうし、少年自身が演じた役柄といえばやはり高貴な少年または少女であったでしょうし……。
こういう物語が広く浸透するには、全ての要素が必要になってくるような気もします。
平安時代の話で、京の高貴な生まれの梅若という少年が、比叡山の稚児となっていたころに、何物かにさらわれて東国をさまよい、からだを病んで、それを苦に江戸・隅田川に身を投げて死んでしまう話です。「桜川」と同じように母はわが子を探しに旅に出たのですが、隅田川のほとりで梅若を葬った塚を見つけて、その前で舞い狂うというお話。
高い身分に生まれても稚児となる時代でした。というより将来のため、立派な学問を修めるために家柄の良い子ほどすすんで稚児となったらしいのです。
ということは源氏の直系に生まれた牛若が幼くして母と生き別れて鞍馬山の稚児になったのも、可哀想なことではぜんぜんないのです。父義朝が生きていても同じだったでしょう。
牛若は自分の意志で鞍馬を抜け出して奥州平泉へ旅に出たのですが、鞍馬山の僧たちから見れば、金売吉次が誘拐して連れ出したのも同然なのです。もし旅の途中で牛若に万一のことがあれば、「隅田川」と同じような話に語られたことでしょう。「桜川」の桜子が自分の意志で稚児になったかならなかったかも、そんなに重要なことではないように思います。
稚児が東国を旅する話はほかにもたくさんあるのでしょうか、気になります。
中世の旅芸人の集団の中に、びっくりするほどの美少年がいたために、それを見た人たちが想像をたくましくさせて物語を作りあげたのか、
あるいは稚児の修行の一つとして寺によって予定されていたものなのか、よくわかりません。
旅芸人の集団が自らの先祖の出自を語るときには、都の高貴な人の名が出ることもあったでしょうし、少年自身が演じた役柄といえばやはり高貴な少年または少女であったでしょうし……。
こういう物語が広く浸透するには、全ての要素が必要になってくるような気もします。
謡曲「桜川」と春王・安王
2005/07/07
古典文学
細川涼一『逸脱の日本中世』の第1章に、謡曲「桜川」の話がありました。
「桜川」の話は、九州日向国に貧しい母と男の子があり、桜子というその子は自ら身を売ってそのお金を置いて故郷を離れ、母はわが子を探して旅に出て狂女となって関東常陸国桜川のほとりにたたずむところを、寺の僧に呼び止められ、その寺の稚児となっていたわが子と再会するというストーリーです。
有名なので話は知っていましたが、伝えによると関東管領・足利持氏が世阿弥に作らせたものというのにはびっくりでした。
細川氏の論調は、子を失った母の悲しみと物狂いという観点からのもので、お寺が稚児を人身売買のように買うこともあったのだとも述べています。それはともかく、もう少し違う観点から考えてみたいと思います。
足利持氏といえば、足利幕府と対立し、永享の乱(1438〜9)を起こして敗れて自害したのですが、そのとき幼な子の春王と安王を日光山へあずけて生き延びさせたのです。謡曲「桜川」は、伝説の通りなら、この乱よりも前の作ということになります。
血筋の良い幼い二人が日光へあずけられたということは、二人は稚児になったということです。
乱の後も関東の戦乱はおさまらず、結城氏らが、春王と安王を奉じて反乱を起こしました。桜川からそれほど遠くない結城城に籠城して数ヶ月、やはり形勢は不利で、落城寸前に、結城氏朝は、春王と安王を女装させて脱出させたという話があります。しかし二人はすぐに敵に発見され、氏朝も切腹して、反乱軍は敗れました。
二人の「女装」についてですが、稚児装束なら敵にばればれですし、稚児が二人いることは知られているわけですから、少女姿でも調べればわかってしまうことでしょう。ともかく二人だけでも生かしたいという思いだけでの行動としかいいようがありません。
さて「桜川」の話にもどりますが、母の貧しさというのは、やはり武家だったために生きるすべを身につけていなかったのが原因なのだろうと想像します。父は戦死以外にないのでしょう。敗死あるいは不名誉な死に方だったのかもしれません。当時の人ならそう見ると思います。だとしたら、その死を弔うことができるのは、一人息子をおいては他にありません。桜子がすすんで稚児になったのはむしろ当然のことになります。さらに母の物狂いは、死んだ父の霊の現れのようにも見えますし、さらには自決した足利持氏の亡霊のようにも見えます。
もし「桜川」が作られたのが実際はもっと後の時代だったとしたら、人々は美しく哀れな桜子から、結城城で敗れた春王と安王を連想し、あの世での親子の再会を物語の中に見たのかもしれません。だとしたら「桜川」を作らせたのは、あの父なんだと、そういう伝説ができてもおかしくはないのです。
「桜川」の話は、九州日向国に貧しい母と男の子があり、桜子というその子は自ら身を売ってそのお金を置いて故郷を離れ、母はわが子を探して旅に出て狂女となって関東常陸国桜川のほとりにたたずむところを、寺の僧に呼び止められ、その寺の稚児となっていたわが子と再会するというストーリーです。
有名なので話は知っていましたが、伝えによると関東管領・足利持氏が世阿弥に作らせたものというのにはびっくりでした。
細川氏の論調は、子を失った母の悲しみと物狂いという観点からのもので、お寺が稚児を人身売買のように買うこともあったのだとも述べています。それはともかく、もう少し違う観点から考えてみたいと思います。
足利持氏といえば、足利幕府と対立し、永享の乱(1438〜9)を起こして敗れて自害したのですが、そのとき幼な子の春王と安王を日光山へあずけて生き延びさせたのです。謡曲「桜川」は、伝説の通りなら、この乱よりも前の作ということになります。
血筋の良い幼い二人が日光へあずけられたということは、二人は稚児になったということです。
乱の後も関東の戦乱はおさまらず、結城氏らが、春王と安王を奉じて反乱を起こしました。桜川からそれほど遠くない結城城に籠城して数ヶ月、やはり形勢は不利で、落城寸前に、結城氏朝は、春王と安王を女装させて脱出させたという話があります。しかし二人はすぐに敵に発見され、氏朝も切腹して、反乱軍は敗れました。
二人の「女装」についてですが、稚児装束なら敵にばればれですし、稚児が二人いることは知られているわけですから、少女姿でも調べればわかってしまうことでしょう。ともかく二人だけでも生かしたいという思いだけでの行動としかいいようがありません。
さて「桜川」の話にもどりますが、母の貧しさというのは、やはり武家だったために生きるすべを身につけていなかったのが原因なのだろうと想像します。父は戦死以外にないのでしょう。敗死あるいは不名誉な死に方だったのかもしれません。当時の人ならそう見ると思います。だとしたら、その死を弔うことができるのは、一人息子をおいては他にありません。桜子がすすんで稚児になったのはむしろ当然のことになります。さらに母の物狂いは、死んだ父の霊の現れのようにも見えますし、さらには自決した足利持氏の亡霊のようにも見えます。
もし「桜川」が作られたのが実際はもっと後の時代だったとしたら、人々は美しく哀れな桜子から、結城城で敗れた春王と安王を連想し、あの世での親子の再会を物語の中に見たのかもしれません。だとしたら「桜川」を作らせたのは、あの父なんだと、そういう伝説ができてもおかしくはないのです。
『義経記』での牛若の服装
2005/07/06
古典文学
鞍馬山で稚児として育った牛若は、15歳のころ自分の生まれを知り、武術の修行にもはげむのでしたが、元服前の16歳の春、奥州平泉への旅立ちを決意します。元服直前の旅とは、成人儀礼そのものの意義を感じられるかもしれません。
義経が鞍馬山を出るときの、いでたちは、稚児の姿のままでした。
「承安四年(1174)二月二日のあけがた、遮那王は、ついに鞍馬の山をでた。
ひとかさねの白い小袖に、唐綾をかさね、さらに播磨浅黄の帷子を上にきて、白い大口ばかまに、唐織物の直垂をつけ、れいの敷妙という腹巻をその下にかくし、紺地の錦でつかもさやもつつんだ護身用の短刀、と、それにあの黄金づくりの太刀を身におびたうえ、うす化粧で、まゆをほそくし、髪をたかく結いあげた。」(口語訳 高木卓 以下同じ)
なかなか良い表現です。
翌日に泊まった近江国の鏡の宿では、こんな感じ。遊女に混じっていたというので、表現はこちらのほうが艶っぽいものです。
「奈良でも比叡山でも美少年の名のたかい牛若が、鞍馬の山をおりてきたままの稚児すがたなので、色の白さはもとより、おはぐろでそめた歯、ほそくかいたまゆ、そうして被衣をかかげたそのすがたは、さながら、むかしの松浦佐用姫が、夫を見おくって領巾をふったすがたも、こうかと思いあわされるほどであり、ことに寝みだれ髪の、どこかなまめかしいふぜいは、うぐいすの羽風さえいとう、いたいけな、あでやかさである。れいの、唐の玄宗皇帝のころなら楊貴妃に、また漢の武帝のころなら李夫人にくらぺたいような、美しいすがたであった。」
元服前で、稚児という立場ですから、こういう服装になるのでしょう。けれど数日後、尾張国の熱田神宮で、牛若は元服して義経となり、こういう服装ではなくなってしまうのです。
古代のヤマトヲグナの九州への旅のときも、成人直前でしたが、クマソタケルを倒したときに、成人してヤマトタケルとなったようなところがあります。となると旅の往路は、ずっと女装だったのかも。
さて、その後の義経は、弁慶と逢うときに女装してたようです。義経の刀を奪いそこねた弁慶が、清水寺にやってきて義経に再挑戦しようとする場面です。
「義経は、じぷんがこうしていることを、どうして弁慶が知って、ここまで来たのだろう、と思ったが、弁慶のほうでは、じつはよくわからなかった。というのは、義経は、それまで男の身なりだったのを、女に変装して、衣をかぶっていたのである。弁慶は思いまよったが、ままよ、むりにでもあたってみようと、刀のしりざやで、義経のわきの下を、ぐっと、つきうごかしながら、
「稚児か、女か。じぶんもおまいりにきたものだが、そっちへどいてくれ。」
そういったが、義経は、返事もしなかった。」
このあと二人共にお経を読み続ける場面があるのが、なんとなく意味シンです。
義経が鞍馬山を出るときの、いでたちは、稚児の姿のままでした。
「承安四年(1174)二月二日のあけがた、遮那王は、ついに鞍馬の山をでた。
ひとかさねの白い小袖に、唐綾をかさね、さらに播磨浅黄の帷子を上にきて、白い大口ばかまに、唐織物の直垂をつけ、れいの敷妙という腹巻をその下にかくし、紺地の錦でつかもさやもつつんだ護身用の短刀、と、それにあの黄金づくりの太刀を身におびたうえ、うす化粧で、まゆをほそくし、髪をたかく結いあげた。」(口語訳 高木卓 以下同じ)
なかなか良い表現です。
翌日に泊まった近江国の鏡の宿では、こんな感じ。遊女に混じっていたというので、表現はこちらのほうが艶っぽいものです。
「奈良でも比叡山でも美少年の名のたかい牛若が、鞍馬の山をおりてきたままの稚児すがたなので、色の白さはもとより、おはぐろでそめた歯、ほそくかいたまゆ、そうして被衣をかかげたそのすがたは、さながら、むかしの松浦佐用姫が、夫を見おくって領巾をふったすがたも、こうかと思いあわされるほどであり、ことに寝みだれ髪の、どこかなまめかしいふぜいは、うぐいすの羽風さえいとう、いたいけな、あでやかさである。れいの、唐の玄宗皇帝のころなら楊貴妃に、また漢の武帝のころなら李夫人にくらぺたいような、美しいすがたであった。」
元服前で、稚児という立場ですから、こういう服装になるのでしょう。けれど数日後、尾張国の熱田神宮で、牛若は元服して義経となり、こういう服装ではなくなってしまうのです。
古代のヤマトヲグナの九州への旅のときも、成人直前でしたが、クマソタケルを倒したときに、成人してヤマトタケルとなったようなところがあります。となると旅の往路は、ずっと女装だったのかも。
さて、その後の義経は、弁慶と逢うときに女装してたようです。義経の刀を奪いそこねた弁慶が、清水寺にやってきて義経に再挑戦しようとする場面です。
「義経は、じぷんがこうしていることを、どうして弁慶が知って、ここまで来たのだろう、と思ったが、弁慶のほうでは、じつはよくわからなかった。というのは、義経は、それまで男の身なりだったのを、女に変装して、衣をかぶっていたのである。弁慶は思いまよったが、ままよ、むりにでもあたってみようと、刀のしりざやで、義経のわきの下を、ぐっと、つきうごかしながら、
「稚児か、女か。じぶんもおまいりにきたものだが、そっちへどいてくれ。」
そういったが、義経は、返事もしなかった。」
このあと二人共にお経を読み続ける場面があるのが、なんとなく意味シンです。
アクセス解析 つけ爪
2005/07/05
その他・生活と文化
ページ左上に数秒表示される、ひよこの絵のアイコンは、アクセス解析です。ホームページと違って、ブログでは、そのままの設定で全てのページや記事が解析の対象になります。
<検索キーワード>では、やはり「手フェチ」「ウエストニッパー」というようなセクシュアルな興味からのものが多いです。
<リンク元URL>からたどって、Googleの検索結果を見るのも面白いです。その検索結果の中から自分のページの位置の確認もできますが、同じキーワードでヒットしたいろいろなページを見ていくと、新しい発見があります。記事のテーマも同じようなページがあるわけですから。
その他の解析結果については、意味がよくわかりません。
さてドラッグストアに続いて、100円ショップも見てきました。何年か前に寄った10坪くらいの小さい店とは違い、今回は郊外の200〜300坪の大型店で、広い店内は、こんなものまで100円?というものばかりでびっくり。(たぶん私はこういう情報を手に入れるのが遅いと思ってます)
何を買ったかというと、つけ爪セットとアイラッシュ(つけまつ毛)です。
むかし一度買ったつけ爪セットは、国産で高価なわりに、親指の爪の幅が小さくて使えなかったのです。今回のは一番大きい爪が親指にぴったりサイズでした。小指には2番目に小さいのがぴったり。
<検索キーワード>では、やはり「手フェチ」「ウエストニッパー」というようなセクシュアルな興味からのものが多いです。
<リンク元URL>からたどって、Googleの検索結果を見るのも面白いです。その検索結果の中から自分のページの位置の確認もできますが、同じキーワードでヒットしたいろいろなページを見ていくと、新しい発見があります。記事のテーマも同じようなページがあるわけですから。
その他の解析結果については、意味がよくわかりません。
さてドラッグストアに続いて、100円ショップも見てきました。何年か前に寄った10坪くらいの小さい店とは違い、今回は郊外の200〜300坪の大型店で、広い店内は、こんなものまで100円?というものばかりでびっくり。(たぶん私はこういう情報を手に入れるのが遅いと思ってます)
何を買ったかというと、つけ爪セットとアイラッシュ(つけまつ毛)です。
むかし一度買ったつけ爪セットは、国産で高価なわりに、親指の爪の幅が小さくて使えなかったのです。今回のは一番大きい爪が親指にぴったりサイズでした。小指には2番目に小さいのがぴったり。
ガラスの靴 その2
2005/07/04
トランスジェンダー・性同一性障害
6/30「ガラスの靴」のところで書いたことは、薬物や外科手術による肉体改造よりも、動作や服装による女性らしさを重視してきたということなのでしょう。すっかりなりきってしまった上での動きの中から、ガラスの靴がこけたり脱げてしまうことがあってもしかたないというお話。昔の先輩たちは女性らしい身のこなしを身につけるために涙ぐましい努力をしたらしいです。
最近読んだ細川涼一という歴史学者の本に、「カラダに魂が入ると、それが身になる。魂が抜ければただのナキガラ。カラダだけなら中身のないカラっぽの存在」というような意味のことが書いてありました。身は、「生き身」というように、また身振り、身のこなしとか、ダイナミックで生き生きとしたものなのでしょう。それが一番大事な中身ということ。カラダでなく身がいつも生き生きとしていることが大切で、そういうことから芸能やいろんな文化を形作って来たのでしょう。
性同一性障害関連の用語に「性別違和感」というのがあります。つまり魂とカラダの不一致のことで、トランス女性でいえば、カラダが女性的でないことへの違和感のことのようです。あるべきカラダに魂がちゃんと入ってないというか、中途半端な身なのでしょう。
先輩たちはカラダでなく、身をそれらしくさせることで、ひいては魂も充実させることができたのかも。
衣服や靴は、カラダの一部なのです。衣服と靴だけではからっぽですから。衣服とカラダの違いとは、身とカラダの違いほど大きなものではないかもしれません。
そうやっているうちに、わざと靴を脱いで置いてくることもあるかも。
初めてのブラの思い出
2005/07/02
思い出
去年9月に書いた思い出話。好評(?)につきブログにも……というわけですが、写真は別のものにしました。わたしが六年生のころ、いちばんショックを覚えたのは、いつのまにか身長が姉を越えていたことです。それまでは一緒にいることも多く、仲の良かった姉とわたしとは、何かが違うことに気づかなければならなくなったのです。
中学生になると、同級生の女の子たちの胸のふくらみが気になるようになりました。それにひきかえ、わたしが内緒で女の子になるときの胸は、実に貧弱なものでした。
女の子たちのブラウスの背中から下着が透けて見えることもあります。そういえば姉も胸がふくらんでいて、ブラをしています。運良くわたしは家の奥の押入れの隅に詰め込んであった包みの中から、姉の古いブラを見つけ、これを着けてカップの中に何かを詰めることを思いつきました。わたしは自分の靴下を丸めて入れてみました。そうして女の子になって鏡を見てみると、なんとか年ごろの女の子のスタイルに見え、ほっとした気持ちになれたのです。
そのころわたしは、夜、ふとんの中で、指で自分の乳首をいじっていたことがあります。錯覚だったのかもしれませんが、指に小さいしこりのようなものを感じたことがあります。その小さなしこりが、二、三ヶ月もするとだんだんふくらんでくるのではないかと思いました。それはちょっと怖いことでもありましたが、新聞ではスポーツ競技で優勝した女子が検査を受けたら本当は男子だった(いわゆる半陰陽だった)という記事を読んだことがあり、その逆のこと……つまり本当は男の子でなくて女の子だったということが、自分のからだに起こるかもしれないと思ったのです。わたしは眠れない夜を何日か過ごしました。
数日後、たぶんわたしに他に熱中するものができたのでしょう。他のことに熱中した途端、眠れなかった夜のことは忘れてしまっていました。何ヶ月かして、あの眠れなかった夜のことを思い出し、ふとんの中でまた乳首をいじってみました。小さなしこりのようなものは、特には感じられませんでした。その後もときどき思い出しては指でいじってみたのですが、とうとうわたしの胸がふくらむことはありませんでした。
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