ガラスの靴
2005/06/30
トランスジェンダー・性同一性障害
かなり昔の話ですが、「あなたはマザコンですか?」と聞かれたことがあります。「さあ……?」としか答えられなかった私でした。それは某女装クラブ内でのできごとだったのですが、昭和30年代生まれ以降の会員には母親と密着した少年時代を過ごしたという人が多いというデータのようなものが話題になっていたからなのでした。
昭和30年代というのは、日本は高度経済成長に入っていて、家庭は核家族で子供は少なく、マイホームでは専業主婦の母親と子供2〜3人が父の帰りをひたすら待つような生活が普通となりつつあった時代でした。そういう時代の子供は、それより前のベビーブームの時代の子供よりも、マザコンのような傾向があるのかもしれませんが、それは日本人全体にいえることであって、女装クラブ会員だからどうのということではないのではないかと思いました。
鳩子はといえば、思い出を書いたものを御覧になった人はわかると思いますが、マザコンというよりはオバコンのようなところがあったかもしれません。兄弟姉妹は少なかったですが女系家族の大家族で育ちました。
思い出を書いた詩やエッセイは多いですが、子ども時代のある事件がトラウマとなって今の自分がある、という書き方はあまりしていないと思います。とくに性自認に関することではほとんどないと思います。
数年前までは、自分の過去についてそういうトラウマに結びつけて書く人が多かったという話も聞きますが、それはその時代に流行した精神分析や医療関係の見方の影響を直接受けてそうなった人が多かったようなのです。子どものころに受けた性的虐待によって性同一性障害になるというような考えは今では全く否定されていますので、今の本を読んで性同一性障害かもしれないと思っている若い人はそういうことは絶対に書かないことでしょう。けれど少し古い世代の人は、性的虐待はオーバーかもしれませんが、何らかのトラウマのような思い出を語ることもあるかもしれません。それは一つのロマンチシズムです。
性同一性障害は完治することのない病気なのでしょう。性適合手術をしても染色体までは変わりませんし、ひたすら「女性になる」ための執拗で永続的な努力が必要になるのかもしれません。性同一性障害でなくても、何らかの病気や障害と見れば、似たようなことになるのでしょう。
女性になるために努力しているあなたがいる。我思う故に我あり、ではありませんが、それは確かにあなたなのですが、女性になるための努力を止めないことは女性でないことを証明しているようなものなのかもしれません。……変な書き方でごめんなさい。ただ、フルタイム女性をめざそうという人がおちいりやすい考え方かもしれないと思ったわけなのです。
普通の女性が努力しているのと同じ程度の努力で済んだら、どんなにか楽でしょう。鏡を覗きこみながら、世界でいちばん綺麗なのはアタシ……と思えたら。実際はいろいろ条件づけをして「世界」を狭めていかなければならないとは思います。
鳩子のホームページには綺麗になるための努力や実用的なページがあまりありません。努力してないことはないのですけれど。
たぶんパートタイムの女性なので、そのときは100パーセントの女性になりきっているからなのかもしれません。少々の剃り残しはご愛敬です。細かいミスを詮索して反省材料にして今後の発展のために生かす、なんていう高度成長時代のようなことは考えません。鳩子の時間はすぐに終わってしまうのです。ガラスの靴が脱げようが、帽子のリボンがほどけようが、かまっていられないときもあるのです。
女性は鏡を覗いたとき、世界でいちばん綺麗なのはアタシ……と思うことができるわけです。もともとどこか演技じみているわけです。でもすべての芸能や芸術は演技や虚構の中から生まれるわけですから、美の本質もそういうところにあるのでしょう。
さて、まとまらないまま眠くなりました。おやすみなさい。
森で出逢ったもの
2005/06/28
詩・ショートストーリー
ひんやりした森の中へ、急に飛びこんで行くと、からだが急に冷えてきて、
カメラのレンズは細かい水滴におおわれてしまいます。
レンズに写し出されるものは、ぼんやりとした幻の世界。
そうやって森の中で幻に出逢うこともあるのでしょう。
腰に鮭(宇治拾遺物語)
2005/06/27
古典文学
宇治拾遺物語、巻一の中の話。
越後から20頭の馬に大量の鮭を積んで京まで売りに来た行列がありました。そこへ、みすぼらしい身なりの大童子と呼ばれる者が、すれちがいざま鮭を2匹引き抜いて行きました。大童子とはお寺の下男のような者でしょうか。その馬をひいていた男は、この盗人め!と大童子を捕らえて詰問すると、大童子は居直って、盗んだのはお前じゃないのかというので、男は、それならこれを見ろとばかりに、ふところを広げ袴を脱いで前もあらわに見せつけ、大童子にも脱ぐように迫りました。大童子がしぶしぶ袴を脱ぐと、腰のところに鮭が二つ差してありました。大童子が言うには「どんな女御やお后でも腰にサケの一尺や二尺ない方があるはずはない」と言うと、周囲からどっと笑いが起ったとか。(尺とは鮭の数え方でもあり、鮭と裂けをしゃれたわけです)
大童子とはお寺の下男のような者かと書きましたが、年齢は「童子」ではなく髪型はオカッパのような男のことをいうようです。
この男が、自分を女御かお后にたとえるわけです。髪型も通常の男子とは違いますし、どこかに男子でもなく性別を越えたような意識があるのかもしれません。稚児と違って見た目は美しくはありませんが、それ以外のことでは稚児と似たような点も多かったのかも。
鮭を引き抜いたことが見つかってこの話は終わりですが、盗んだものを返したかどうかはわかりません。……というと、今の人は妙に思うかもしれませんが、神仏に関わるこういう人たちの場合、盗みは盗みでなくなる場合があるようなのです。柿を盗んだ山伏が老婆に見つかって追いかけられますが、山伏の呪術で老婆をこらしめるなんていう説話もあります。鮭二尺は通行料かもしれません。こういう異装者による「盗み」の系譜は、歌舞伎の弁天小僧などの白浪物にも連なっていってしまうのです。
童子といっても年齢は若くないのは、稚児が幼くないのと同様です。
『稚児草子』というポルノ風の絵巻の画像をあるサイトで見ました。稚児は年齢は成人なので、からだの大きさは当然男性と同じくらいです。丸みをおびたからだつきなので、男性より太って見えます。顔はなめらかで髪型も女性そのまま、色白で、手足は小さめでした。胸のふくらみと陰部を除けば女性そのままと見ることができます。そのページに引用された橋本治氏の「逞しい色白な体育会青年」という見方はちょっと主観的すぎる見方だと思います。
越後から20頭の馬に大量の鮭を積んで京まで売りに来た行列がありました。そこへ、みすぼらしい身なりの大童子と呼ばれる者が、すれちがいざま鮭を2匹引き抜いて行きました。大童子とはお寺の下男のような者でしょうか。その馬をひいていた男は、この盗人め!と大童子を捕らえて詰問すると、大童子は居直って、盗んだのはお前じゃないのかというので、男は、それならこれを見ろとばかりに、ふところを広げ袴を脱いで前もあらわに見せつけ、大童子にも脱ぐように迫りました。大童子がしぶしぶ袴を脱ぐと、腰のところに鮭が二つ差してありました。大童子が言うには「どんな女御やお后でも腰にサケの一尺や二尺ない方があるはずはない」と言うと、周囲からどっと笑いが起ったとか。(尺とは鮭の数え方でもあり、鮭と裂けをしゃれたわけです)
大童子とはお寺の下男のような者かと書きましたが、年齢は「童子」ではなく髪型はオカッパのような男のことをいうようです。
この男が、自分を女御かお后にたとえるわけです。髪型も通常の男子とは違いますし、どこかに男子でもなく性別を越えたような意識があるのかもしれません。稚児と違って見た目は美しくはありませんが、それ以外のことでは稚児と似たような点も多かったのかも。
鮭を引き抜いたことが見つかってこの話は終わりですが、盗んだものを返したかどうかはわかりません。……というと、今の人は妙に思うかもしれませんが、神仏に関わるこういう人たちの場合、盗みは盗みでなくなる場合があるようなのです。柿を盗んだ山伏が老婆に見つかって追いかけられますが、山伏の呪術で老婆をこらしめるなんていう説話もあります。鮭二尺は通行料かもしれません。こういう異装者による「盗み」の系譜は、歌舞伎の弁天小僧などの白浪物にも連なっていってしまうのです。
童子といっても年齢は若くないのは、稚児が幼くないのと同様です。
『稚児草子』というポルノ風の絵巻の画像をあるサイトで見ました。稚児は年齢は成人なので、からだの大きさは当然男性と同じくらいです。丸みをおびたからだつきなので、男性より太って見えます。顔はなめらかで髪型も女性そのまま、色白で、手足は小さめでした。胸のふくらみと陰部を除けば女性そのままと見ることができます。そのページに引用された橋本治氏の「逞しい色白な体育会青年」という見方はちょっと主観的すぎる見方だと思います。
「男心と秋の空」といいます。変わりやすい秋の空にたとえて「男心は……」と言われたわけですが、現代では「女心と秋の空」ともいうようです。どちらが正しいかという議論もあるようですが、今は逆に「女心は……」を支持する人が上まわっているという調査結果もあります。「女心と秋の空」とは、女性からみれば、微妙な女性心理がわからない鈍い男が多いという皮肉をこめてのものでしょうし、男性からみれば、なかなか思い通りにならない恋の嘆きといったところでしょうか。現代では「男心と秋の空」というと、微妙な男心というより浮気の話に連想が行きやすいので、「女心と秋の空」といったほうが波風が立たなくてよいのかもしれません。
ある作家のエッセイによると「女心と秋の空」という言い方が広まったのは、大正時代に田谷力三が歌った「女心の唄」という歌が大ヒットしたことがきっかけだそうです。「風の中の羽根のように、いつも変わる女心」と歌われるイタリアオペラの中の曲で、女の作り笑顔や涙にはだまされてばかりだという男の嘆きの歌です(イギリスの諺に似たようなものがあるらしいです)。こういう心理は、今の男性が「女心と秋の空」というのとほとんど同じであるわけです。
ところで秋の空は三日ともたない、などといわれて変わりやすいものとされるわけです。けれど二〜三日はもつわけです。「女心の唄」のような恋の駆け引きでは、女心は一日のうちに何度もくるくると変わったりしますから、やはりことわざ辞典にあるように「男心と秋の空」「女心は猫の目」と言うのが一番合っているのかもしれません。
「男心と秋の空」という昔の言い方は、男が親切にしてくれたからといってその気になってはいけないという娘への戒めの意味が多かったようです。ことわざとはやはり戒めや教訓を含むものだからです。あるいは「秋」に「あきらめ」をかけて男への未練を断ち切るための慰めの意味にもなります。
明治30年ごろ流行した「さのさ節」の一節です。
♪あなたそりや無理よ、二三日なら辛棒もしようが、
一年二年の其の間、便りもせずにネー居られませうか、
まして男心と秋の空、サノサ。
この歌は、芸者さんと1年か2年に一度しか来ない男のやりとりなのでしょう。1年か2年ぶりにしか来なくても大事なお客といえば、参勤交代の武士か、季節の物を運ぶ船頭さんその他ということになります。宴席でのそういう男からの空手形のような言葉への機転をきかした返答といったところでしょうか。宴席ですから言葉遊びのようなところもあるわけです。
(本当はもっと粋な使い方の例がないかと思っています。馴染みの客の足が数日遠のいた程度のことで女から恋慕と焼餅半々くらいで大げさに言うような感じとか……。)
「女心は……」と言葉にするのは男性ですから、西洋の文学が男性主導のものだったことを想起させます。
日本で「男心は……」と口にしたのは女性たちであって、それが俗謡や大衆文学などで伝わってきたわけですから、文学史における女性の役割の重みが違うわけなのでしょう。
「男心は秋の空」とは男性が口にするものではなく、まして男性自身が「だから男の浮気は必要悪」などと居直るものでもありません。
ちょっと風邪で寝込んでしまって、妄想のようなことを書いてしまいました。私は貴乃花親方を応援したいと思っています。
彼のように、相撲道というか、一つの道を極めようとする姿にはとても男性的なものを感じます。そういう倫理性や論理性を男性が好むようになったのは、古代の狩猟などの労働の形態などからくるものではなくて、父と子との関係において平穏な心を保つための工夫から起ったものなのだろうということに気づいたとき、「忘れな草紙」に書きました。「男女の違い、父と子と母のテーマ」
キリストの説話では、高度な倫理性は、父なる存在を神にまで高めてしまいます。
「父」のことを書かなかった詩人は、実の父であることを疑って育ったためともいい、子は罪の深さを独りで背負わねばならないこともあるようですが、それと女装行為とがどこかでつながっているらしいのです。
貴乃花は平成の相撲の申し子であり、相撲を父にもったような人。いつか母を許せる日が必ず来ることでしょう。
ヨーロッパには「名前の日」というのがあります。365日に昔の聖人の名前がわりふられています。一般に人の名前は聖人にちなんでつけられますから、自分と同じ名前の日には、お祝いしたりされたり。誕生日のお祝いより盛大に行なう国もあるとか。
スウェーデンの名前の日の一覧です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%90%8D%E7%A5%9D%E6%97%A5
スロバキアの名前の日の一覧。
http://bryndz.hp.infoseek.co.jp/meniny/meniny.htm
鳩子の英語名は Harriet ということですから^^ゞ、スウェーデンの一覧を探すと 8月22日に「Henrietta」とあります。これがスウェーデンでの名前です。スロバキアでは「Henrieta」は、11月28日です。すべての国で同じ日、というわけではないようです。
日本では今日19日は何の日かというと、桜桃忌。作家太宰治の命日(正確には遺体の発見された日)でした。
-----------------------------------------------------------
西洋の人名の意味については「http://www5d.biglobe.ne.jp/~ros=奇妙なポプリ」が詳しいです。Harrietの意味は「家庭支配者」、ということは以前にアメリカ人のSさんに教えてもらったことがありますけれど・・・
太宰治については高校生のころハシカにかかったように(^^;)熱中した時期がありました。強い印象だったのは『女生徒』に出てくる女生徒や『斜陽』のお嬢様や奥様。数年前に『斜陽』をもう一度読んでみたくなったのですが、5、6ページ読んで止めました。あのころのイメージとは違うものを感じました。全部再読してその違和感を分析するというのも野暮な話ですから、読まないのが良いと思いました。"http://todai.ameblo.jp/entry-7541cb6d7e8cb8e68250eee28c4437da.html=東大女愛のセキララ書評" に「若くして死んだ太宰の文学は、同じく若く多感なうちに読むのが一番いい」と書かれてあるのには納得です。(6/22)
スウェーデンの名前の日の一覧です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%90%8D%E7%A5%9D%E6%97%A5
スロバキアの名前の日の一覧。
http://bryndz.hp.infoseek.co.jp/meniny/meniny.htm
鳩子の英語名は Harriet ということですから^^ゞ、スウェーデンの一覧を探すと 8月22日に「Henrietta」とあります。これがスウェーデンでの名前です。スロバキアでは「Henrieta」は、11月28日です。すべての国で同じ日、というわけではないようです。
日本では今日19日は何の日かというと、桜桃忌。作家太宰治の命日(正確には遺体の発見された日)でした。
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西洋の人名の意味については「http://www5d.biglobe.ne.jp/~ros=奇妙なポプリ」が詳しいです。Harrietの意味は「家庭支配者」、ということは以前にアメリカ人のSさんに教えてもらったことがありますけれど・・・
太宰治については高校生のころハシカにかかったように(^^;)熱中した時期がありました。強い印象だったのは『女生徒』に出てくる女生徒や『斜陽』のお嬢様や奥様。数年前に『斜陽』をもう一度読んでみたくなったのですが、5、6ページ読んで止めました。あのころのイメージとは違うものを感じました。全部再読してその違和感を分析するというのも野暮な話ですから、読まないのが良いと思いました。"http://todai.ameblo.jp/entry-7541cb6d7e8cb8e68250eee28c4437da.html=東大女愛のセキララ書評" に「若くして死んだ太宰の文学は、同じく若く多感なうちに読むのが一番いい」と書かれてあるのには納得です。(6/22)
子供の両性具有性とは
2005/06/19
ジェンダー
私が十代のころの話だったと思います。
近所に同じ幼稚園に通う同い年の男の子と女の子がいて、二人が仲良くしているところへ、どこかのオジサンかオバサンがニコニコして「AちゃんとBちゃんは大きくなったら結婚するの?」と二人に話しかけたのです。周囲の大人たちからは笑い声。……けれど私にとっては違和感のある光景でした。
ある女性が、幼い男の子から「ボク大きくなったらおばさんと結婚する」と言われて大喜びしている光景、ある場合にはそのように言わせようと会話をリードする女性。……今ならセクハラになります。
こういうことへの違和感について、世の中全体として鈍感になっているように思います。ペットにミニチュアの衣服を着せて「可愛い、可愛い」と喜んでいる女性。確かに可愛いですけれど、ペットはペットに生まれた宿命なのかもしれません。けれど人間の子供に似たようなことをやるのは問題があるように思います。
子供は本来、大人とは異質の両性具有的な存在なのです。けれど最近の大人たちは、子供を大人のミニチュアとしてしか見ることができなくなりつつあります。
5/31の記事『れんげ草の花輪』の画像は、1976年の出版物からのものですが、晩春に草花で遊ぶ少女たちはロングスカートをはいていました。60年代後半のミニスカートのブームのあとの70年代中ごろは大人っぽいロングスカートが大流行しました。そして子供服も大人の流行を取り入れたのでしょう。それは子供服メーカーの宣伝によるところも大きいのかも。そうして小学生の女の子たちも流行に敏感になってしまいました。小学生の服装だけみれば、両性具有どころか、はっきりとした女と男になってしまっているようです。(最近のズボンの流行については別の機会に)
3/3に ひなまつりのことを書いたとき、女の子の節句と男の子の節句を皆がはっきり分けて意識するようになったのは、そんなに古いことではないかもしれないということでした。戦後に「子供の日」という祝日を定めるのに、3月3日と5月5日の二つの候補があったそうです。結局5月5日になりましたが、当時の意識としては今ほど女の子の節句、男の子の節句という区分け意識は少なく、どちらも子供のお祭りの時期といった感じだったのではないでしょうか。5月の子供行事では稚児行列でお参りするような行事が多かったと思います。3月は村の子供たちだけで、神さまの前に集まってお祭りをして、お賽銭を集めに回ったりお菓子をもらって帰ったり、こういう行事が雛祭とだぶっていったのではないかということです。戦後は人形メーカーの宣伝の影響力も大きくなりました。
江戸時代のころの庶民の男児と女児の服装の違いについては資料がないのでわかりませんが、見た目の男女差は少なかったことでしょう。今の子供服は大人服のミニチュアのようになってしまいました。大人服は性別を表現するためのものでもありますから、そのミニチュアを着る今の子供たちは早くから性別を意識させられるようになっているのかも。そして子供を大人のミニチュアとして見てしまうと、子供が異性の服装をしたときは、大人の「異性装」のミニチュアとしてそういう性的な関心をもって見るわけなのでしょう。
子供はもともと何を着ても両性具有だったはずです。現代はどうなったかというと、分析するのは難しいことですが、少なくとも今の大人は、子供服に対しても性的な関心で見るようになったことだけは確かです。
「子供は両性具有だ」というと難しく聞えますが、庶民のあいだでは「七歳までは神のうち」と言った存在と意識されていたわけです。
(この記事は、18日朝日新聞に、「サザエさん」に登場するカツオくんの女装についての三橋順子さんのコメントが載っていたのを読んで書いたものです。)
近所に同じ幼稚園に通う同い年の男の子と女の子がいて、二人が仲良くしているところへ、どこかのオジサンかオバサンがニコニコして「AちゃんとBちゃんは大きくなったら結婚するの?」と二人に話しかけたのです。周囲の大人たちからは笑い声。……けれど私にとっては違和感のある光景でした。
ある女性が、幼い男の子から「ボク大きくなったらおばさんと結婚する」と言われて大喜びしている光景、ある場合にはそのように言わせようと会話をリードする女性。……今ならセクハラになります。
こういうことへの違和感について、世の中全体として鈍感になっているように思います。ペットにミニチュアの衣服を着せて「可愛い、可愛い」と喜んでいる女性。確かに可愛いですけれど、ペットはペットに生まれた宿命なのかもしれません。けれど人間の子供に似たようなことをやるのは問題があるように思います。
子供は本来、大人とは異質の両性具有的な存在なのです。けれど最近の大人たちは、子供を大人のミニチュアとしてしか見ることができなくなりつつあります。
5/31の記事『れんげ草の花輪』の画像は、1976年の出版物からのものですが、晩春に草花で遊ぶ少女たちはロングスカートをはいていました。60年代後半のミニスカートのブームのあとの70年代中ごろは大人っぽいロングスカートが大流行しました。そして子供服も大人の流行を取り入れたのでしょう。それは子供服メーカーの宣伝によるところも大きいのかも。そうして小学生の女の子たちも流行に敏感になってしまいました。小学生の服装だけみれば、両性具有どころか、はっきりとした女と男になってしまっているようです。(最近のズボンの流行については別の機会に)
3/3に ひなまつりのことを書いたとき、女の子の節句と男の子の節句を皆がはっきり分けて意識するようになったのは、そんなに古いことではないかもしれないということでした。戦後に「子供の日」という祝日を定めるのに、3月3日と5月5日の二つの候補があったそうです。結局5月5日になりましたが、当時の意識としては今ほど女の子の節句、男の子の節句という区分け意識は少なく、どちらも子供のお祭りの時期といった感じだったのではないでしょうか。5月の子供行事では稚児行列でお参りするような行事が多かったと思います。3月は村の子供たちだけで、神さまの前に集まってお祭りをして、お賽銭を集めに回ったりお菓子をもらって帰ったり、こういう行事が雛祭とだぶっていったのではないかということです。戦後は人形メーカーの宣伝の影響力も大きくなりました。
江戸時代のころの庶民の男児と女児の服装の違いについては資料がないのでわかりませんが、見た目の男女差は少なかったことでしょう。今の子供服は大人服のミニチュアのようになってしまいました。大人服は性別を表現するためのものでもありますから、そのミニチュアを着る今の子供たちは早くから性別を意識させられるようになっているのかも。そして子供を大人のミニチュアとして見てしまうと、子供が異性の服装をしたときは、大人の「異性装」のミニチュアとしてそういう性的な関心をもって見るわけなのでしょう。
子供はもともと何を着ても両性具有だったはずです。現代はどうなったかというと、分析するのは難しいことですが、少なくとも今の大人は、子供服に対しても性的な関心で見るようになったことだけは確かです。
「子供は両性具有だ」というと難しく聞えますが、庶民のあいだでは「七歳までは神のうち」と言った存在と意識されていたわけです。
(この記事は、18日朝日新聞に、「サザエさん」に登場するカツオくんの女装についての三橋順子さんのコメントが載っていたのを読んで書いたものです。)
パトリシア! 第1回
2005/06/18
詩・ショートストーリー
(短編小説、というか、ちょっとした空想物語を書いてみました)
学生生活最後の夏休みも終わろうとするころ、パトリシアは思い出のY海岸に来ていた。浜辺に続く松林の中を抜けると、1年前と変らぬ青い海が見えた。
1年前のこの浜辺で、パトリシアは、1年年長のドロシーとのひとときを過ごしていた。あの日、髪を短く切ったドロシーは、ズボンのスーツ姿。
「就職しなくちゃだからね」と照れくさそうにつぶやいたドロシー。
「生きていくためには、男のかっこうするのもしかたないのよ」
二人はもともと女の子として生まれたわけではなかったが、成長とともに少女の服装で過ごす時間が長くなっていた。そして今の大学で知り合い、それから二人は自由な学生時代をほとんど女性のように過ごし、姉妹のように行動をともにしていた。
1年前と同じように、パトリシアは、浜辺を素足で歩いている。長いスカートの裾がしぶきで濡れないように用心しながら、水際のひんやりとした砂の上を歩いた。あのあとドロシーは卒業して就職していったけれど、今年のパトリシアはまだ将来は決まっていない。
「あたしどうしたらいいんだろ」
パトリシアがよろけそうになったとき、近くの岩陰に古ぼけた小さなボートが見えた。
「去年、二人で乗ったボートだわ」
パトリシアは、周囲に誰も見ていないことを確かめて、内緒でそのボートに乗ってみた。そういえば1年前は、ラジオでは台風の接近のニュースを放送していたのに、とても静かな海だったことを思い出した。
いつもドロシーがボートを漕いでくれたので、パトリシアはオールの使い方がよくわからない。けれどボートはどんどん進んでいった。ドロシーが遠くから力を貸してくれているのかしらと、パトリシアは思った。けれどそれは、不思議な異常な力がどこからか働いたものだったのである。ボートは次第にスピードを上げて行って沖へ出たかと思うと、突然空は暗雲で覆われ、強い風と雨が吹き荒れ、激しい嵐の中でボートは行方を失ってしまった。パトリシアはボートの縁にしがみつきながら、自分の意識が薄れてゆくのを感じていた。(つづく)
学生生活最後の夏休みも終わろうとするころ、パトリシアは思い出のY海岸に来ていた。浜辺に続く松林の中を抜けると、1年前と変らぬ青い海が見えた。
1年前のこの浜辺で、パトリシアは、1年年長のドロシーとのひとときを過ごしていた。あの日、髪を短く切ったドロシーは、ズボンのスーツ姿。
「就職しなくちゃだからね」と照れくさそうにつぶやいたドロシー。
「生きていくためには、男のかっこうするのもしかたないのよ」
二人はもともと女の子として生まれたわけではなかったが、成長とともに少女の服装で過ごす時間が長くなっていた。そして今の大学で知り合い、それから二人は自由な学生時代をほとんど女性のように過ごし、姉妹のように行動をともにしていた。
1年前と同じように、パトリシアは、浜辺を素足で歩いている。長いスカートの裾がしぶきで濡れないように用心しながら、水際のひんやりとした砂の上を歩いた。あのあとドロシーは卒業して就職していったけれど、今年のパトリシアはまだ将来は決まっていない。
「あたしどうしたらいいんだろ」
パトリシアがよろけそうになったとき、近くの岩陰に古ぼけた小さなボートが見えた。
「去年、二人で乗ったボートだわ」
パトリシアは、周囲に誰も見ていないことを確かめて、内緒でそのボートに乗ってみた。そういえば1年前は、ラジオでは台風の接近のニュースを放送していたのに、とても静かな海だったことを思い出した。
いつもドロシーがボートを漕いでくれたので、パトリシアはオールの使い方がよくわからない。けれどボートはどんどん進んでいった。ドロシーが遠くから力を貸してくれているのかしらと、パトリシアは思った。けれどそれは、不思議な異常な力がどこからか働いたものだったのである。ボートは次第にスピードを上げて行って沖へ出たかと思うと、突然空は暗雲で覆われ、強い風と雨が吹き荒れ、激しい嵐の中でボートは行方を失ってしまった。パトリシアはボートの縁にしがみつきながら、自分の意識が薄れてゆくのを感じていた。(つづく)
伊藤文学さんのブログ
2005/06/17
トランスジェンダー・性同一性障害
ネットを始めていろいろ見てきましたが、ゲイの人たちのところはよく見てなかったので調べてみました。「文学系」の意味でGoogleで「ゲイ ブログ 文学」を調べたら、懐かしいお名前が出ました。
月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」
最新記事は、マイケル・ジャクソンの無罪判決について。昔の少年たちはちょっといたずらされたくらいでは誰にも言わなかったものなのに、とも書いてありました。
4月の記事には『薔薇族』復刊第1号での三輪明宏さんと対談のお写真。
この雑誌、休刊してたんですね。むかし後学のためにと1冊だけ買ったことがあります。内容は忘れましたが、女装交際誌「くぃーん」より倍以上厚くて値段は半額くらいでした。女装の場合は個人の閉じられた空間だけで満足している人が多いので、雑誌はそんなに売れないのでしょう。ゲイの人たちには「交際」が重要なのでしょうから情報は不可欠なのかも。
薔薇族は去年の11月に休刊して、半年足らずで復刊となったようです。今後は、中高年の読者にターゲットをしぼっていくとのこと。インターネットをあまりやらない世代の人たちということなのでしょう。活字文化が消えてしまうのはさみしいです。
伊藤文学さんのブログに『なぜ叙情画の画家にゲイが多いの?』という記事があって、可愛い少女の絵を好んで描くのは、ゲイは内面に女性の要素を多くもっているので、女性になれたらこんな綺麗な服を着たいという気持ちで描くからだそうです。そういう気持ちはよくわかります。彼らはとても観念的で哲学的なのでしょう。
あたしたちは着たいと思ったら着てしまいます。それで満足してしまえばそれで終わり。あとは社会規範との問題になってしまいます。
書いたりするものでいえば、女性の描いたものに女性らしさが出るとすれば、同じようなものが出せればいいですし、別のトランスらしさが出てもいいかもしれません。けっきょくそれぞれの個人の資質の問題なのでしょうか。
(『なぜ叙情画の画家にゲイが多いの?』にトラバさせていただきます。)
月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」
最新記事は、マイケル・ジャクソンの無罪判決について。昔の少年たちはちょっといたずらされたくらいでは誰にも言わなかったものなのに、とも書いてありました。
4月の記事には『薔薇族』復刊第1号での三輪明宏さんと対談のお写真。
この雑誌、休刊してたんですね。むかし後学のためにと1冊だけ買ったことがあります。内容は忘れましたが、女装交際誌「くぃーん」より倍以上厚くて値段は半額くらいでした。女装の場合は個人の閉じられた空間だけで満足している人が多いので、雑誌はそんなに売れないのでしょう。ゲイの人たちには「交際」が重要なのでしょうから情報は不可欠なのかも。
薔薇族は去年の11月に休刊して、半年足らずで復刊となったようです。今後は、中高年の読者にターゲットをしぼっていくとのこと。インターネットをあまりやらない世代の人たちということなのでしょう。活字文化が消えてしまうのはさみしいです。
伊藤文学さんのブログに『なぜ叙情画の画家にゲイが多いの?』という記事があって、可愛い少女の絵を好んで描くのは、ゲイは内面に女性の要素を多くもっているので、女性になれたらこんな綺麗な服を着たいという気持ちで描くからだそうです。そういう気持ちはよくわかります。彼らはとても観念的で哲学的なのでしょう。
あたしたちは着たいと思ったら着てしまいます。それで満足してしまえばそれで終わり。あとは社会規範との問題になってしまいます。
書いたりするものでいえば、女性の描いたものに女性らしさが出るとすれば、同じようなものが出せればいいですし、別のトランスらしさが出てもいいかもしれません。けっきょくそれぞれの個人の資質の問題なのでしょうか。
(『なぜ叙情画の画家にゲイが多いの?』にトラバさせていただきます。)
姫若子・長曾我部元親
2005/06/16
トランスジェンダー史
伊東聰さんのさとしの人間総合研究所というページに、若き日に「姫若子(ひめわこ)」とも呼ばれた戦国時代の武将・長曾我部元親のことが書かれていました (「戦国の雄とよばれた"姫"若子」 http://www.geocities.jp/ stshi3edgid/ hs_motochika.htm リンク切れ)。ちょっと気になった点を整理してみます。長曾我部元親(長宗我部元親とも書きます)は、乱世の時代に四国のすべてを平定して領土におさめ、四国で最も名をはせた武将なのですが、彼の少年時代は「姫若子」と呼ばれた優しいだけの美少年だったそうです。もともと殿様のおぼっちゃまの生まれですから、子ども時代に華やかな女装やお化粧をして過ごすことは当たり前の時代でした。けれど彼は元服を過ぎても座敷にこもって武術の稽古をすることもなく、22歳まで女性のように生活していたため「姫若子」と呼ばれたのだそうです。その彼が22歳の初陣のときに突如槍を使って戦功を立てたというのですが、全く肉体を鍛えずにそのようなことができるのかどうか、少年時代の話にはやや伝説の要素もあるのかもしれません。
伊東さんは、彼の少年時代にGID(性同一性障害)的な傾向があったとして、そのような人は、成人後の行動にもそれらしい特徴があるものだということを、詳しい事例を紹介しながら分析しています。
戦術については、兵の心理を巧みにつかんで士気を鼓舞し、敵に対しては心理的に撹乱したり、情報戦をしかけるような武将だったといいます。
元親は、自ら軍の先頭に立って正々堂々と勇ましく戦うといったタイプの武将ではなく、弟たちにもライバル視することなく持ち場を与え、家臣たちに意見を言わせてそれを取り上げて、自分の主張に沿って強引にものごとを進めていくことはしなかったようです。
それは伊東さんのいうように、一族の姉のような包容力をもった指導者なのでしょう。またあるいは、彼が常に黒幕ないしは総監督のような立場にあるのは、お殿様としてじゅうぶんあり得ることで、自分の腕力だけに頼って敵を一人一人なぎ倒す必要はないわけです。そして、それが彼の実像だとするなら、むしろ伝説化されたのは初陣での大活躍の話であって、姫若子の話がその通りの事実なのかもしれません。
元親は、戦いに向けて神懸かりのふるまいによって家臣たちの士気を上げたそうです。それは確かに心理操作のようにも見えます。そういうものを信じ込む家臣たちだから効果があるのかもしれませんが、より一層の「効果」があるのは、元親自身が自らの神懸かりを確信し、確実に神の憑依を受けることでしょう。それはもはや心理操作といったたぐいのものではなく、古代からの日本や新羅国の花郎などの戦い方そのものだといえます。22歳の初陣のときに元親はすでに神懸かりを見せたといいます。となれば、そのときの元親の姿は、古代のヤマトタケルや新羅の花郎と同様に、「姫若子」の姿以外には考えられないのです。姫若子の話も大活躍の話も、どちらも単なる伝説ではなかったのです。
情報戦や心理作戦にたけた人物、という後世の歴史家の評価は、神懸かりなどの戦いの信仰を信じられなくなった時代に積み重ねられてしまったものであって、軍事パワーなどの他に何かがあったということだけを言っているのにすぎないのかもしれません。
あるいは逆に、心理作戦にたけたという評価の人物を広く探してゆけば、姫若子のような人物にもっと出逢える可能性があるようにも思います。
司馬遼太郎の「夏草の賦」という小説は長曾我部元親を主人公にしたものだそうですがまだ見ていません。
手フェチ……が、意外に注目されているようですけれど、手のサイズについての男女の平均データです。
手の長さ 男 18.9cm 女 17.7cm
手の幅 男 8.2cm 女 7.4cm
やはり男性の手のほうが大きいです。ただし身長は男 170.6 女 158.6 で男性が大きいので、女性の身長が170.6になるように計算しなおすと、
手の長さ 18.9cm
手の幅 7.9cm
手の長さが同じになります。幅は3ミリ狭いです。男性は腕の肘から先の部分が太いですから、手も幅広になります。二の腕は女性のほうが太いらしいです。詳細→男女のからだのサイズ
そこで自分の手のサイズを測ってみようと思ったのですが。手の幅の測り方がよくわかりませんでした。

男性と手のひらを合わせて大きさ比べをしたことが何回かありますが、平均すると、長さは私がやや小さめ、幅は目立って細いという感じ。長さは小さめなのですが、指の長さは短くはありません。指以外の部分が縦も横も小さいということみたいです。(上の写真は2004年のもの。右は本日撮影)
相撲取りが丸々と太った体形をしているのは、妊婦に扮することによって豊穣儀礼としての相撲の中心を担うため、といった説を聞いたことがあります。それは一種の女装であり、力士は女装の司祭なのだとか。……
若貴兄弟が注目され始めたころ、よくテレビの相撲中継を見ていました。二人の所属した藤島部屋と初代若乃花の二子山部屋が合併したときは、将来兄弟が引退した後は、再び部屋を分けてそれぞれの親方になるのだろうと想像していました。貴は横綱になるだろうと思いましたし、体格に恵まれない若は父と同じ大関止まりだろうけれど、親方になったら若のほうが成功するのだろうと思いました。想像はあまり当たりませんでした。
最近テレビで見た貴の顔からは狂気に近いものが感じられました。彼の正義とはいったいなんなんだろうと思いました。発端は現役時代の兄弟対決の優勝決定戦で貴があっさり敗れた一番にあるという記事もありました。彼はもしかすると、相撲界の暗部といわれる八百長についての衝撃的な事実を知ってしまったのかもしれません。思いもよらぬところまで汚染されていたことを知った彼は、一族崩壊に替えてまで正さなければならない正義を胸に感じているのかも。そして彼を支えるのはガチンコ力士たちです。正義には常に悲劇がつきまとうもの……、という想像は当たらないほうがよいのかも。
若貴兄弟が注目され始めたころ、よくテレビの相撲中継を見ていました。二人の所属した藤島部屋と初代若乃花の二子山部屋が合併したときは、将来兄弟が引退した後は、再び部屋を分けてそれぞれの親方になるのだろうと想像していました。貴は横綱になるだろうと思いましたし、体格に恵まれない若は父と同じ大関止まりだろうけれど、親方になったら若のほうが成功するのだろうと思いました。想像はあまり当たりませんでした。
最近テレビで見た貴の顔からは狂気に近いものが感じられました。彼の正義とはいったいなんなんだろうと思いました。発端は現役時代の兄弟対決の優勝決定戦で貴があっさり敗れた一番にあるという記事もありました。彼はもしかすると、相撲界の暗部といわれる八百長についての衝撃的な事実を知ってしまったのかもしれません。思いもよらぬところまで汚染されていたことを知った彼は、一族崩壊に替えてまで正さなければならない正義を胸に感じているのかも。そして彼を支えるのはガチンコ力士たちです。正義には常に悲劇がつきまとうもの……、という想像は当たらないほうがよいのかも。
倉橋由美子の小説は……
2005/06/13
本
作家の倉橋由美子さんが亡くなったというニュース。
むかし文庫本の小説を何冊かまとめて読みました。どんなお話があったかというと・・・・なぜか思い出せませんね^^ゞなぜでしょう。そんなには映像的でないからなのかしら。カフカの「変身」をモチーフにしたようなのもあったかもね。時間がとれたら本棚にあるのを少しまた読んでみましょう。
お葬式といえば相撲協会葬、ああいうバカ嫁みたいなのにはなりたくありませんよね。今日発売のしゅうかんげんだいを立ち読みでうんざり。
小説といえば、2、3日前に、短編のアイデアが思い浮かびました。書く気力あるかな……? 凝縮したものをブログで連載するのもいいかも。どんな内容かというと、わりと単純で「孤島もの」といったかんじ。
むかし文庫本の小説を何冊かまとめて読みました。どんなお話があったかというと・・・・なぜか思い出せませんね^^ゞなぜでしょう。そんなには映像的でないからなのかしら。カフカの「変身」をモチーフにしたようなのもあったかもね。時間がとれたら本棚にあるのを少しまた読んでみましょう。
お葬式といえば相撲協会葬、ああいうバカ嫁みたいなのにはなりたくありませんよね。今日発売のしゅうかんげんだいを立ち読みでうんざり。
小説といえば、2、3日前に、短編のアイデアが思い浮かびました。書く気力あるかな……? 凝縮したものをブログで連載するのもいいかも。どんな内容かというと、わりと単純で「孤島もの」といったかんじ。
へなちょこライターがんばる
2005/06/11
トランスジェンダー・性同一性障害
鳩子が15年くらい前に写真のように可愛かったころ(笑)、少しづつ本を読んで勉強して、将来、自分のことやトランスの歴史その他いろんなことを文章を書いてまとめようと思いました。それにはやっぱり論理的な思考を身につけなければと思いましたから、論理性とは男性的なものでしょうから、女性ホルモンは飲まないほうが良いと思いました。それで、その通り来ているわけです。けれど最近思うのは、論理的に考えれば良いものが書けるということではないんじゃないかということなのです。それだけで何かが書けますか?
私はもともと評論風の文章を書いたりするのは好きだったので、そういうのは論理的なんだろうと思っていました。でも最近自分のHPを見てもらって言われるのは「フェミニンな感性」だとか「女性らしい視点からの云々」とか、実際その言葉の通りかどうかはわからないのですけど、私はもともと直観人間だったのではないかしらと思うようになりました。
で、学者になろうというわけでもなし、論理とかいうことではなく、自分の好きなように書いていったほうが、それを自分で読んでみても楽しいわけです。
歴史学者の中で面白いと思うのは文学的なセンスのある人の本です。国語学者でいえば大野晋という人は文学的なセンスのある人だと思います。有名な学者さんでもそうなのですから、私たちのへなちょこな論理だけで何か書いても、へなちょこはへなちょこでしかないのではないでしょうか。
「話を聞かない男性」なんて最近言われますけど、聞かなければ相手の理解も深まらないわけで、そうなるとこれからの世の中、男性の書くもので読んでみたいものは本当に少なくなるかもしれませんね。でも男性たちにもがんばってほしいですよね。
ぼんやりテレビを見ていたら、サドとマゾについてどなたかがコメントしていました。最近はお茶の間でもこういう言葉が聞かれるわけです。そのコメントでは、「自己の快楽を追求するのがM、広い視野に立つのがS」というようなことを言っていました。そういう見方もあるのかなと思いました。けれど、むかし読んだ小説や文芸評論では、一般に女性はサド的であり、男性はマゾ的な傾向があるというのが普通の認識でした。男性は軍隊にも適応しやすく、社会では働き蜂のようなタイプが多いですし、女性は女王蜂とは行かないまでも自分のホームグラウンドを守って上手に支配するものでしょう。そういうSM論は、一種のジェンダー論のようなもので、文学青年などのあいだに流行した時代があったのだと思います。
その後、日本の商業ポルノの世界では、写真集でマゾを演じるのは女性ばかりです。やはり女性の写真集でなければ売れないからでしょう。そして最初からそういう写真集だけを見てきた世代の人たちは、SMとはそういうものだと考えるほかはなく、「広い視野に立つのがS」といった自己弁護的な見方をするようになったのでしょうか。日常のストレスを暴力的に昇華しようということだけが動機ではないとは思いますけれど……。今のマゾ系の写真サイトを見ると確かに「自己の快楽の追求」という言葉に妙に説得力を感じてしまうほどです。女装系サイトの多くにもこの言葉が当てはまるのかもしれません。映像優位の社会における一つのバリエーションといったところなのでしょう。
男性はおそらく謙譲の美徳やら武士道やらその他もろもろの倫理観を最高のものとして論理的に思考しているうちに、言い訳と謝罪でかろうじて自我をささえるようになって、どんどんマゾの世界へはまりこんでいってしまうのかもしれません。
女性のサドは、その本質は愛と憐れみなのです。ただしその愛は、ときには母子無理心中のように我が子さえをも殺してしまいたくなるような衝動を秘めたもので、あるいは……食べちゃいたいくらい可愛い、ということにもなるのかも。
(鳩子のホームページ、1月21日のコラム「SM談義」を改訂したものです。この件については知性のないトラックバックはご遠慮下さい)
10分の1のしあわせ
2005/06/08
トランスジェンダー・性同一性障害
100個のしあわせがあるとします。そのうちの10個のしあわせを得て人は満足します。
Aさんのしあわせのうち、9個はBさんと同じですが、1個が違います。
Aさんには、Bさんのその1個がとてもうらやましく思えました。
でも普通はそんなことではAさんは嫉妬に狂ったりはしないはずです。なぜならAさんにもBさんが持っていない1個のしあわせがあるからです。
けれどその1個を見つけられない人にとっては、しあわせが1個足りないように感じられるのでしょう。もしBさんの1個と同じものが欲しくなったら、Aさんだけが持っていたはずの1個のしあわせを捨てることになってしまいます。
……このあと、何を書こうと思ったかというと、親が子に嫉妬する話。
「高校時代の同級生が今もレズビアンの関係を続けているのがまぶしく見えた。でも自分の娘にはそうなってほしくない」という人にcoccoちゃんが怒っていたけど、そういうのには親の子に対する嫉妬もあるように思えたのです。
子の10個のしあわせすべてを親は理解できません。でも子は親に理解して欲しいと思います。いちばん簡単なのは、その1個のしあわせの価値を有名なセンセイに評価してもらうことです。そういう権威づけは親にとっては理解しやすい1個のしあわせなのです。でも子にとっては、そんなのは理解でもなんでもなくて、つまらぬ権威に頼るのは自分自身の否定になるような気がして、そうやってたった一人のちぐはぐな青春を過ごすわけです。青春の挫折……それを忘れなければ、子や若い世代に嫉妬することも少なくなるのでしょう。
女帝についての論議が国民の関心事になっています。けれど皇室という「家系」の後継者は、本来は天皇ご自身がお決めになるべきことなのでしょう。そのご判断は国民の希望と一致しないわけがありません。でもこうやって国民が関心を持つのは良いことなのでしょう。
さて歴史上の女帝は、在位中はみな独身だったといわれます。
飛鳥時代までの女帝は、皇后または皇太子妃から即位された例がほとんどでした。天皇とはもともと最高の神を祭る立場なのであり、亡くなった先帝が神となってそれを祭る巫女……といったイメージが天皇の立場を確かなものにする時代だったのでしょうか。
奈良時代には女性として初めて皇太子となって即位した孝謙(称徳)天皇の例があります。歴史の流れからすれば巫女のイメージを純化していったために最初から独身の女性天皇となったのだろうと思います。(江戸時代にとんでもない俗説が流布され、その出どこは国学派の一部かもしれません。大正天皇への俗説といい、出どこは右翼勢力であるというのが、奇妙なところです。)
女帝か男帝かというのが現在の論議のようですが、そのどちらにも属さない「幼帝」と呼ばれた天皇がありました。9歳で即位した清和天皇をはじめ、平安時代に多く見られます。ある特定の氏族が政治の実権をにぎるために自分に都合の良い天皇を即位させて摂関政治の時代を築いたという見方もされます。けれど、もともと天皇には政治の実権はなかった歴史があり、最近の歴史学者の本によると、天皇家でも幼帝を歓迎した時代だったといいます。神を祭るという純粋な役割は幼帝こそがふさわしく、幼帝なら神そのものともなりえます。退位後は上皇となって天皇家を代表し、学芸の道に進み、女帝の場合と違って恋もします。さらに法皇となって僧籍に入る例もあります。
こういう幼帝の存在は、お寺の稚児の存在に影響を与えたでしょうし、もっといろんな文化に影響を与えたと思うのですが、いろいろ調べてみると面白いかもしれません。
さて歴史上の女帝は、在位中はみな独身だったといわれます。
飛鳥時代までの女帝は、皇后または皇太子妃から即位された例がほとんどでした。天皇とはもともと最高の神を祭る立場なのであり、亡くなった先帝が神となってそれを祭る巫女……といったイメージが天皇の立場を確かなものにする時代だったのでしょうか。
奈良時代には女性として初めて皇太子となって即位した孝謙(称徳)天皇の例があります。歴史の流れからすれば巫女のイメージを純化していったために最初から独身の女性天皇となったのだろうと思います。(江戸時代にとんでもない俗説が流布され、その出どこは国学派の一部かもしれません。大正天皇への俗説といい、出どこは右翼勢力であるというのが、奇妙なところです。)
女帝か男帝かというのが現在の論議のようですが、そのどちらにも属さない「幼帝」と呼ばれた天皇がありました。9歳で即位した清和天皇をはじめ、平安時代に多く見られます。ある特定の氏族が政治の実権をにぎるために自分に都合の良い天皇を即位させて摂関政治の時代を築いたという見方もされます。けれど、もともと天皇には政治の実権はなかった歴史があり、最近の歴史学者の本によると、天皇家でも幼帝を歓迎した時代だったといいます。神を祭るという純粋な役割は幼帝こそがふさわしく、幼帝なら神そのものともなりえます。退位後は上皇となって天皇家を代表し、学芸の道に進み、女帝の場合と違って恋もします。さらに法皇となって僧籍に入る例もあります。
こういう幼帝の存在は、お寺の稚児の存在に影響を与えたでしょうし、もっといろんな文化に影響を与えたと思うのですが、いろいろ調べてみると面白いかもしれません。
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