稚児が黄金を生んだ話(今昔物語)
2005/04/30
古典文学
もう一つ稚児の話です。今昔物語・仏法編から。
京の雲林院に住む貧しい僧が、鞍馬山に詣でた帰りに、出雲路というところで、美しい稚児に出会います。稚児は年のころ十六、七、白い着物を着て、僧に声をかけてきました。おたがいに身寄りのないものどうし、僧は稚児を自分の房に連れて帰ることにしました。
僧は、今まで女の裸を見たこともなく、女とはどういうものか知りませんでした。そばで美しく可愛らしく振る舞う稚児は、もしや女なのではないかとも思いましたが、僧にとっては幸福な日々でした。そして夜を重ねてゆくうちに、稚児は身ごもったようだといいます。
やはり女だったのでしょうか? そうこうしているうちに赤ん坊が生まれそうになり、稚児は壺屋の中に畳を敷いてもらい、中にこもりました。しばらくして僧が壺屋に入って見ると、稚児は消えうせ、稚児の着物にくるまっていたのは赤ん坊ではなく、黄金の石でした。黄金は鞍馬の毘沙門天のほどこしであり、それを元に僧は豊かで名のある僧になったとか。
女ではなかったようですね。ここでも稚児のほうから声をかけてくるわけです。
「たとえ女であっても稚児として対してくれれば問題はおこらない」という稚児の言葉。稚児と僧の二人がそれらしくあれば、周囲もそう認めることに間違いはないのでしょう。
毘沙門天は七福神の一つで、財宝を施す神とされるので、黄金を生むという話になるわけなのでしょう。
京の雲林院に住む貧しい僧が、鞍馬山に詣でた帰りに、出雲路というところで、美しい稚児に出会います。稚児は年のころ十六、七、白い着物を着て、僧に声をかけてきました。おたがいに身寄りのないものどうし、僧は稚児を自分の房に連れて帰ることにしました。
僧は、今まで女の裸を見たこともなく、女とはどういうものか知りませんでした。そばで美しく可愛らしく振る舞う稚児は、もしや女なのではないかとも思いましたが、僧にとっては幸福な日々でした。そして夜を重ねてゆくうちに、稚児は身ごもったようだといいます。
やはり女だったのでしょうか? そうこうしているうちに赤ん坊が生まれそうになり、稚児は壺屋の中に畳を敷いてもらい、中にこもりました。しばらくして僧が壺屋に入って見ると、稚児は消えうせ、稚児の着物にくるまっていたのは赤ん坊ではなく、黄金の石でした。黄金は鞍馬の毘沙門天のほどこしであり、それを元に僧は豊かで名のある僧になったとか。
女ではなかったようですね。ここでも稚児のほうから声をかけてくるわけです。
「たとえ女であっても稚児として対してくれれば問題はおこらない」という稚児の言葉。稚児と僧の二人がそれらしくあれば、周囲もそう認めることに間違いはないのでしょう。
毘沙門天は七福神の一つで、財宝を施す神とされるので、黄金を生むという話になるわけなのでしょう。
この話は今回が最後です。
桂海律師と梅若が宿を共にしたとき、「行く末までの互の心を深く誓い合った」といいます。現代の一夜の契りでも、そういう気分は大切ではあります。
このときの梅若は、よく読むと、髪を結いあげた「初元結(はつもっとい)」とあり、これは男子の元服のときにこういう言葉を使うようです。普通の男子は髪を結いあげたあとに烏帽子(えぼし)をかぶって成人となるわけですが、その役にあたる人を烏帽子親といい、桂海は烏帽子親にもなるわけで、つまり親密な関係ということでしょう。梅若にとっては成人を迎えた夜の意味になりますから、やっぱり初めてのできごとというべきなのでしょう。
梅若の元を去って比叡山に帰った桂海でしたが、二人の心は離れがたく、梅若のほうから桂海に逢おうと旅に出ます。ところが途中で、梅若は山伏に化けた天狗に誘さらわれ、吉野の大峯山まで連れられて石牢に閉じこめられてしまいます。大峯山は女人禁制の山伏の山ですが、静御前が白拍子の服装で義経を訪ねて行ったのもその山でした。
その後、比叡山と三井寺の僧たちの間で争乱がおこり、三井寺は焼かれてしまいます。争いの原因は梅若と桂海にあるようにも書かれますが、どんな意味なのでしょう??。
梅若は、竜に救出され、寺に戻ってみると、無残に焼かれた寺のありさまを歎いて、瀬田の橋から身を投げてしまいます。「紅梅の小袖に水干」を着ていたといいますから、白拍子のような服装でしょうか。
梅若は観音の化身だったといいます。水に身を投げる悲しい物語は多いですが、かぐや姫が月に帰ったように、水の世界は梅若の故郷であり、梅若ももとは水から現われた水神の使いだったのかも。
→秋夜長物語その2
桂海律師と梅若が宿を共にしたとき、「行く末までの互の心を深く誓い合った」といいます。現代の一夜の契りでも、そういう気分は大切ではあります。
このときの梅若は、よく読むと、髪を結いあげた「初元結(はつもっとい)」とあり、これは男子の元服のときにこういう言葉を使うようです。普通の男子は髪を結いあげたあとに烏帽子(えぼし)をかぶって成人となるわけですが、その役にあたる人を烏帽子親といい、桂海は烏帽子親にもなるわけで、つまり親密な関係ということでしょう。梅若にとっては成人を迎えた夜の意味になりますから、やっぱり初めてのできごとというべきなのでしょう。
梅若の元を去って比叡山に帰った桂海でしたが、二人の心は離れがたく、梅若のほうから桂海に逢おうと旅に出ます。ところが途中で、梅若は山伏に化けた天狗に誘さらわれ、吉野の大峯山まで連れられて石牢に閉じこめられてしまいます。大峯山は女人禁制の山伏の山ですが、静御前が白拍子の服装で義経を訪ねて行ったのもその山でした。
その後、比叡山と三井寺の僧たちの間で争乱がおこり、三井寺は焼かれてしまいます。争いの原因は梅若と桂海にあるようにも書かれますが、どんな意味なのでしょう??。
梅若は、竜に救出され、寺に戻ってみると、無残に焼かれた寺のありさまを歎いて、瀬田の橋から身を投げてしまいます。「紅梅の小袖に水干」を着ていたといいますから、白拍子のような服装でしょうか。
梅若は観音の化身だったといいます。水に身を投げる悲しい物語は多いですが、かぐや姫が月に帰ったように、水の世界は梅若の故郷であり、梅若ももとは水から現われた水神の使いだったのかも。
→秋夜長物語その2
『小公子』より (川端康成、野上彰、共訳)
「……ぼくがまだ小さかったとき、大好きなママといっしょに出かけて、きれいな、よくはずむボールを買っていただいたんです。そのボールを持って歩いていると、はずんだ拍子に馬車や馬の通っているまんなかへころんでいっちゃたんです。ぼく、がっかりしてわあっと泣いちゃいました−−ぼく、とても小さかったんです。女の子のような服を着ていたんです。……」
「……あっしゃぁ、あの子のボールを乗り合い馬車の下からひろってやったんでさ。それをあの子は、けっして忘れねえで、おふくろやおんばさんと下町へ出てくるとね、きまって声をかけてくれるんだ。「やあ、ディック!」ってね。まるっきり大の男の友だちづきあいでさ。それがひざっこくらいしかない、ばったみたいなちびすけで、女の子のきものを着ているじぶんですぜ。陽気なちびすけで、いいめが出ないときでも、あの子と話していると、よくなっちまいますぜ。」
どうしても、こういう話は、いいとこのおぼっちゃんの話になってしまうのですが、小公子の話は大好きでした。
「……ぼくがまだ小さかったとき、大好きなママといっしょに出かけて、きれいな、よくはずむボールを買っていただいたんです。そのボールを持って歩いていると、はずんだ拍子に馬車や馬の通っているまんなかへころんでいっちゃたんです。ぼく、がっかりしてわあっと泣いちゃいました−−ぼく、とても小さかったんです。女の子のような服を着ていたんです。……」
「……あっしゃぁ、あの子のボールを乗り合い馬車の下からひろってやったんでさ。それをあの子は、けっして忘れねえで、おふくろやおんばさんと下町へ出てくるとね、きまって声をかけてくれるんだ。「やあ、ディック!」ってね。まるっきり大の男の友だちづきあいでさ。それがひざっこくらいしかない、ばったみたいなちびすけで、女の子のきものを着ているじぶんですぜ。陽気なちびすけで、いいめが出ないときでも、あの子と話していると、よくなっちまいますぜ。」
どうしても、こういう話は、いいとこのおぼっちゃんの話になってしまうのですが、小公子の話は大好きでした。
比叡山の若き僧・桂海律師が、近江国の石山寺の観音のもとで修行中に、七日目に夢に美しい稚児を見て以来、煩悩にとりつかれてしまいます。
それではいけないと再び石山寺に詣でる途中、三井寺の前で中を垣間見ると、桜の木の下に、夢で見たあの美しい稚児がいるではありませんか。いよいよ思いは募るばかり、翌朝早くに寺へ行くと、中から童が現われたので、尋ねてみると、稚児は梅若と呼ばれる高貴な生まれの人とわかり、ますます修行どころではなくなって、比叡山に引き返してしまいました。
桂海は、何日も悩んだ末に思いを打ち明けようと、再び三井寺に出向いて、童に一首の和歌を託します。それに対する梅若の返事の歌は、そんなに簡単にOKというわけにはいきませんというものでしたが、桂海は返事がもらえたことだけで満足して山へ帰ろうとします。けれども途中で引き返してみたりで迷っていると、そこへ馬に乗った童が現われ、梅若の本当の気持ちの歌を伝えて、桂海を引き留めたのです。桂海は三井寺の内に宿舎を借り、人目を避けながら機会をさぐって、十日余りすると桂海の宿に梅若が現われ、二人は枕をかわすことになったわけです。
----梅若から最初にもらった歌は、OKの返事ではありませんが、含みのないものではありませんし、すぐに引き下がることもないとは思うのですが、そこはやはり修行の身だからなのでしょう。もし童が引き留めに来なかったら、そのまま諸国を流浪するしかなかったような桂海さんでした。
梅若の見かけは女性そのものであるとはいえ、交互に歌をやりとりする男女の対等な関係とはやはり違うわけなのでしょう。その夜には梅若のほうから、男の部屋に出向いてくるわけです。二人は「行く末までの互の心を深く誓い合った」のですが、けれど一夜の契りで桂海は山へ帰ります。
梅若の態度は処女のようにも見えるのですが、こういうことは何度もあるのかどうか、でもそれは愚問というもので、稚児は常に聖なるものであって、物語の本筋からずれないようにしましょう。
→秋夜長物語その3
→秋夜長物語その1
それではいけないと再び石山寺に詣でる途中、三井寺の前で中を垣間見ると、桜の木の下に、夢で見たあの美しい稚児がいるではありませんか。いよいよ思いは募るばかり、翌朝早くに寺へ行くと、中から童が現われたので、尋ねてみると、稚児は梅若と呼ばれる高貴な生まれの人とわかり、ますます修行どころではなくなって、比叡山に引き返してしまいました。
桂海は、何日も悩んだ末に思いを打ち明けようと、再び三井寺に出向いて、童に一首の和歌を託します。それに対する梅若の返事の歌は、そんなに簡単にOKというわけにはいきませんというものでしたが、桂海は返事がもらえたことだけで満足して山へ帰ろうとします。けれども途中で引き返してみたりで迷っていると、そこへ馬に乗った童が現われ、梅若の本当の気持ちの歌を伝えて、桂海を引き留めたのです。桂海は三井寺の内に宿舎を借り、人目を避けながら機会をさぐって、十日余りすると桂海の宿に梅若が現われ、二人は枕をかわすことになったわけです。
----梅若から最初にもらった歌は、OKの返事ではありませんが、含みのないものではありませんし、すぐに引き下がることもないとは思うのですが、そこはやはり修行の身だからなのでしょう。もし童が引き留めに来なかったら、そのまま諸国を流浪するしかなかったような桂海さんでした。
梅若の見かけは女性そのものであるとはいえ、交互に歌をやりとりする男女の対等な関係とはやはり違うわけなのでしょう。その夜には梅若のほうから、男の部屋に出向いてくるわけです。二人は「行く末までの互の心を深く誓い合った」のですが、けれど一夜の契りで桂海は山へ帰ります。
梅若の態度は処女のようにも見えるのですが、こういうことは何度もあるのかどうか、でもそれは愚問というもので、稚児は常に聖なるものであって、物語の本筋からずれないようにしましょう。
→秋夜長物語その3
→秋夜長物語その1
「女装詩人」のキャッチコピーについて
2005/04/12
詩・ショートストーリー
今日12日にホームページの詩集のページを少し手直しして「トランスジェンダー詩集」というサブタイトルを入れました。「ジェンダー、詩」をキーワードに来てくれた人がいたためもあります。
さて「Hyper Trans Bar たかみ」さんのところと相互リンクをしたのは2003年5月ごろだと思いますが、そのとき「たかみ」のターニャさんから、紹介文についての要望を聞かれ、つい思いつきで「女装詩人」という言葉を入れるのはどうかなどと答えてしまいました。それで次のような紹介文を書いてもらったわけです。
" 「女装詩人」――鳩子さんのHPです。滋味に溢れ、詩情豊かな「鳩子ワールド」を御堪能あれ。 "
このコメントは私も気に入っています。今もこのコメントとともにリンクしていただいています。
そのとき「女装詩人」という言葉を検査エンジンで調べて、その範囲では使用されていないことを確認しました。
その後この「女装詩人」という言葉は、ホームページでは一度も使われることがなく2年が過ぎてしまいました。本人自身が語感やイメージがイマイチだったかなと思ってきたからです。今後も使えないことでしょう。
以上が「女装詩人」という言葉のいきさつです。
トランスジェンダー詩集というサブタイトルを考えたとき、「女装詩人」という言葉を思い出し、再び検索エンジンで調べてみたら、次の本の紹介ページにヒットしました。
『熊夫人の告白』2005.02.18刊行 著●ベアリーヌ・ド・ピンク/長谷川博史
http://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/ISBN4-939015-74-2.html
それによると、ベアリーヌさんは、1997年ごろからショーのなかでの語りのような形のものを「女装詩」と称していたようです。
機会があれば読んでみたいとは思いますけれど……。
さて「Hyper Trans Bar たかみ」さんのところと相互リンクをしたのは2003年5月ごろだと思いますが、そのとき「たかみ」のターニャさんから、紹介文についての要望を聞かれ、つい思いつきで「女装詩人」という言葉を入れるのはどうかなどと答えてしまいました。それで次のような紹介文を書いてもらったわけです。
" 「女装詩人」――鳩子さんのHPです。滋味に溢れ、詩情豊かな「鳩子ワールド」を御堪能あれ。 "
このコメントは私も気に入っています。今もこのコメントとともにリンクしていただいています。
そのとき「女装詩人」という言葉を検査エンジンで調べて、その範囲では使用されていないことを確認しました。
その後この「女装詩人」という言葉は、ホームページでは一度も使われることがなく2年が過ぎてしまいました。本人自身が語感やイメージがイマイチだったかなと思ってきたからです。今後も使えないことでしょう。
以上が「女装詩人」という言葉のいきさつです。
トランスジェンダー詩集というサブタイトルを考えたとき、「女装詩人」という言葉を思い出し、再び検索エンジンで調べてみたら、次の本の紹介ページにヒットしました。
『熊夫人の告白』2005.02.18刊行 著●ベアリーヌ・ド・ピンク/長谷川博史
http://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/ISBN4-939015-74-2.html
それによると、ベアリーヌさんは、1997年ごろからショーのなかでの語りのような形のものを「女装詩」と称していたようです。
機会があれば読んでみたいとは思いますけれど……。
エリザベス会館のこと
2005/04/11
思い出
15年も前のエリザベス会館の思い出。良い面の話。いわゆる純粋に「趣味の女装」の人とも、ファッションのことやなにやらで共通の話題が持てたのです。コンテストのイベントもあって、中にはそれに熱中する人もいて「競技女装」なんて言われることもあったらしいですが、最低限、自分に似合う服装を理解していなければならないわけです。体形による服装の選び方や、顔だちによる髪型やメイクの工夫。そういうことに熱心でした。
最近は「自由」すぎるのがいけないのかも。自由はけっこうなのですが、共通の話題は減るし貧しくなるし、言いたいことだけしゃべる相手の話を聞いてひとこと相槌を打って今度は全然違う自分の話をしゃべって、それを交互に繰返すみたいな……、お年寄りの会話みたいにならなければいいのですけど。
もう一つは、普段の社会的な地位や立場に関係なく、みんなが平等だったこと。一種の秘密クラブのようなものともいえたのですが、それはともかく、お互いの普段の立場は知らないわけで、平等であるということは重要なことでした。
最近流行のカミングアウトをすれば、もう社会的な立場がいやおうなく付いてきてしまいます。アマチュアとは言えなくなるでしょう。アマチュアとは、プロのニューハーフのような営業はしないという意味だったのですが、それとは違う意味で、カミングアウトによって別の付加価値(マイナスも含めて)がついてしまうので、それで苦労される人も多いことでしょう。それはもうアマチュアの精神から離れてしまったからなのかも。
『秋夜長物語』(中世稚児の物語)1
2005/04/10
古典文学
「鳩子の忘れな草紙」では古典文学も読んでみます。
最初は『秋夜長物語(あきのよのながものがたり)』。テキストは、ちくま文庫『お伽草子』の現代語訳版。
室町時代ごろの成立といわれる、僧と稚児の物語ですが、前半は恋愛ドラマ、後半は冒険ドラマという構成で、とても面白いストーリーです。
詳しい内容を紹介したいのですが、その前に確認しておかなければならないことがあります。
現代語訳で「年の頃十六歳位に見える少年が」という部分がありますが、原文では「よはひ(齢)二八ばかりなるちご(稚児)の」となっています(「二八」とは掛け算で十六のこと)。「稚児」という言葉を「少年」と言いかえている部分がかなりあるのです。今は、少年愛という言葉が定着してしまっているので、「少年」と訳したのでしょう。けれど、この「少年」という言葉から「男子」だとか「幼い」という連想をもつのは誤解の元になるということです。
「年の頃十六歳」ですから、普通は元服を終えた成人であるはずです。ではなぜ十六歳の「男子」を稚児と呼ぶのかというと、成人男子としては元服をしていないからなのでしょう。3/1「鎌倉放生会職人歌合」のところでも「うなひ」という「童」の意味の言葉が出てきましたが、神仏に関る特殊な成人男性としての持者のことを「うなひ」とも呼んでいました。一般人とは別の聖なる立場の人をそう呼んだわけで、「稚児」もまた似たような意味でそう呼ばれたと見てよいと思います。
十六歳であっても成人男性とはならないわけなのですが、服装も男装ではなく、女装でした。絵巻に描かれた稚児と女性を区別することはほとんど不可能だともいいます。この物語に出てくる稚児の梅若は、十六歳まで牛車に乗ることはあっても土を踏んだことはなかったということで、したがってからだつきまで成年男性とは程遠く、ほとんど女性そのものと見なしたほうが、むしろ事実に近いわけなのです。「年の頃十六歳」の女性と見るなら、まさに結婚適齢期の女性なわけです。
そのような点に注意して読み進めてみましょう・・・・というところで続きは次回です。^^ゞ →秋夜長物語その2
楽天ブログのとき次のところからトラックバックがあったようですが、データ移動のときのミスで 5/8 の記事に付いてしまいましたので、こちらにリンクを載せます。
無精庵徒然草 - 夜長…深き淵見る
最初は『秋夜長物語(あきのよのながものがたり)』。テキストは、ちくま文庫『お伽草子』の現代語訳版。
室町時代ごろの成立といわれる、僧と稚児の物語ですが、前半は恋愛ドラマ、後半は冒険ドラマという構成で、とても面白いストーリーです。
詳しい内容を紹介したいのですが、その前に確認しておかなければならないことがあります。
現代語訳で「年の頃十六歳位に見える少年が」という部分がありますが、原文では「よはひ(齢)二八ばかりなるちご(稚児)の」となっています(「二八」とは掛け算で十六のこと)。「稚児」という言葉を「少年」と言いかえている部分がかなりあるのです。今は、少年愛という言葉が定着してしまっているので、「少年」と訳したのでしょう。けれど、この「少年」という言葉から「男子」だとか「幼い」という連想をもつのは誤解の元になるということです。
「年の頃十六歳」ですから、普通は元服を終えた成人であるはずです。ではなぜ十六歳の「男子」を稚児と呼ぶのかというと、成人男子としては元服をしていないからなのでしょう。3/1「鎌倉放生会職人歌合」のところでも「うなひ」という「童」の意味の言葉が出てきましたが、神仏に関る特殊な成人男性としての持者のことを「うなひ」とも呼んでいました。一般人とは別の聖なる立場の人をそう呼んだわけで、「稚児」もまた似たような意味でそう呼ばれたと見てよいと思います。
十六歳であっても成人男性とはならないわけなのですが、服装も男装ではなく、女装でした。絵巻に描かれた稚児と女性を区別することはほとんど不可能だともいいます。この物語に出てくる稚児の梅若は、十六歳まで牛車に乗ることはあっても土を踏んだことはなかったということで、したがってからだつきまで成年男性とは程遠く、ほとんど女性そのものと見なしたほうが、むしろ事実に近いわけなのです。「年の頃十六歳」の女性と見るなら、まさに結婚適齢期の女性なわけです。
そのような点に注意して読み進めてみましょう・・・・というところで続きは次回です。^^ゞ →秋夜長物語その2
楽天ブログのとき次のところからトラックバックがあったようですが、データ移動のときのミスで 5/8 の記事に付いてしまいましたので、こちらにリンクを載せます。
無精庵徒然草 - 夜長…深き淵見る
独りで対話してきた相手とは
2005/04/05
トランスジェンダー・性同一性障害
ホームページを始めてから2年。いろんな人とのコミュニケーションがありました。それからずっと以前のエリザベスのころの2年余り。またその他。でも合計してみてもやっぱりそれほど長い年数ではありません。鳩子の人生からすれば何分の一かのものです。価値の大小や優劣の問題ではなく、短い年数の出来事と、その数倍もの年数の積み重ねで培われたものとでは、質が違いますし、長い過去を越えることはできないのだろうと思います。お友だちができたから何かが大きくふっきれたわけでもないし、それまでの自分への見方が大きく変わるようなことはないのでしょう。ある出来事をきっかけに自分の人生がガラッと変わったとかいうの、新興宗教みたいで好きではありません(ごめんなさい)。でも近いうちに子どものころの神隠しの話とかを書こうと思っていますけど。
野辺に新しい花が咲いても、古い地下水脈は途絶えることがないというか……。
鳩子が独りで対話してきた相手は何だったのだろうと思います。あのときの涙は何に対してのものだったのだろうかとか……。
この「鳩子の忘れな草紙」で少しづつ答えを見つけたいと思っています。
野辺に新しい花が咲いても、古い地下水脈は途絶えることがないというか……。
鳩子が独りで対話してきた相手は何だったのだろうと思います。あのときの涙は何に対してのものだったのだろうかとか……。
この「鳩子の忘れな草紙」で少しづつ答えを見つけたいと思っています。
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