男子に女子の名前をつける
2005/03/28
トランスジェンダー史
紀田順一郎『名前の日本史』(文春新書)という本は、題名の通りの内容で、人名についての習俗や、時代による傾向・嗜好などを広く調べあげて紹介しています。
「男子の育たない家や、逆に女子の育たない家は、男子に女名、女子に男名をつける(群馬県休泊村、東京府西多摩郡)。
男子に女子の名を付ける代わりに、女子名に「お」がつく習慣をとって、男鹿、男也、翁輔、斧也などの名を選んだ(山口県豊浦郡)。」
(昔の政治家で浜口雄幸っていう人もいましたね)
前半の部分はよく聞かれることです。新書判の小さな本なので、あまり詳しい説明はないのですが、「丈夫に育つように」という理由で男子に女子の名をつけるのだという話もどこかで聞いたことがあります。子どもの死亡率が高かった時代ですので、なんとか無事に育つようにという親や周囲の願いからそうしたのでしょう。
ではなぜ、そんな名前で丈夫に育つのかというと、女子にトラとか動物や虫の名前をつけるのと同じようなものだという説明が、通説になっているようです。
つまり幼児は幼いがためにその肉体から魂が抜け出しやすく、そのために何かにつられて神隠しにもあいやすいですし、幼児の死というのも、魂が肉体から離れてしまうためにおこると理解されました。幼児の魂を抜き取ろうとする悪霊を近づけないために、トラという名前をつけたり、悪霊をだますために男子に女子の名をつけたのだろうという説明です。悪霊にからみれば、からだの弱い男子がいると聞いて来たけれど、その家の子は女子の名で呼ばれていたので、なんだ女の子かと言って退散するしかないわけです。
参考文献として『日本産育習俗資料集成』という本が紹介されていましたが、「日本の古本屋」で調べたら6万円〜10万円ということでした。
追記(7/9)
近年は、女子のような名前の男子がいじめられたり、親を恨んで親殺しにまでなってしまった事件もあるそうです(「まりっぺのつぶやき」で読みました)
三橋順子さんの話に出た「サザエさん」のカツオくんが女装しても自然に受け入れられたころの時代には、そういういじめも少なかったのでしょう。
なんでも男女をハッキリさせなければ気がすまないという誤った考えは、昭和時代以後、だんだんひどくなってきているような気がします。
「男子の育たない家や、逆に女子の育たない家は、男子に女名、女子に男名をつける(群馬県休泊村、東京府西多摩郡)。
男子に女子の名を付ける代わりに、女子名に「お」がつく習慣をとって、男鹿、男也、翁輔、斧也などの名を選んだ(山口県豊浦郡)。」
(昔の政治家で浜口雄幸っていう人もいましたね)
前半の部分はよく聞かれることです。新書判の小さな本なので、あまり詳しい説明はないのですが、「丈夫に育つように」という理由で男子に女子の名をつけるのだという話もどこかで聞いたことがあります。子どもの死亡率が高かった時代ですので、なんとか無事に育つようにという親や周囲の願いからそうしたのでしょう。
ではなぜ、そんな名前で丈夫に育つのかというと、女子にトラとか動物や虫の名前をつけるのと同じようなものだという説明が、通説になっているようです。
つまり幼児は幼いがためにその肉体から魂が抜け出しやすく、そのために何かにつられて神隠しにもあいやすいですし、幼児の死というのも、魂が肉体から離れてしまうためにおこると理解されました。幼児の魂を抜き取ろうとする悪霊を近づけないために、トラという名前をつけたり、悪霊をだますために男子に女子の名をつけたのだろうという説明です。悪霊にからみれば、からだの弱い男子がいると聞いて来たけれど、その家の子は女子の名で呼ばれていたので、なんだ女の子かと言って退散するしかないわけです。
参考文献として『日本産育習俗資料集成』という本が紹介されていましたが、「日本の古本屋」で調べたら6万円〜10万円ということでした。
追記(7/9)
近年は、女子のような名前の男子がいじめられたり、親を恨んで親殺しにまでなってしまった事件もあるそうです(「まりっぺのつぶやき」で読みました)
三橋順子さんの話に出た「サザエさん」のカツオくんが女装しても自然に受け入れられたころの時代には、そういういじめも少なかったのでしょう。
なんでも男女をハッキリさせなければ気がすまないという誤った考えは、昭和時代以後、だんだんひどくなってきているような気がします。
『女装交際誌 くぃーん』創刊号
2005/03/25
本

昭和55年6月10日発行の『くぃーん』創刊号と5号までの表紙です。10年後くらいに古書店で買い求めたものです。KYさんの「美容教室」という連載記事を読んでみました。自分の美しさに酔うくらいでないといけないとか、今読んでもためになります。そのほかテクニックの解説だけでないユーモラスな話など、なかなか面白く読めます。(scrapbokk 2003/7より)
カマドと"性の越境"
2005/03/19
トランスジェンダー史
カマドの話の続き。参考書は前と同じ。
古い大きな民家には、日常のかまどのほかに、普段は使われない祭事用の大きめのかまどがあったそうで、祭事のときにだけ男子が使ったそうです。
女性のものであるかまどを男性が使うのは、一種の性の越境ともいえます。女性のものである女性の言葉を使って『土佐日記』を書いた紀貫之も性の越境なのでしょうが、衣服や装飾品のほかにも、言葉やそのほか、女性のものを使用することで、性の越境は可能なのでしょう。
男性がかまどを使う祭事とは、どんなものがあるでしょう。
一つはお正月行事です。おせち料理は暮れのうちに作っておいて、お正月には主婦はお勝手仕事はお休みするのだと今もいいますが、もともとは新年の若水を汲んで沸かして……神棚に供え物をすることまで、ぜんぶ男性の仕事だったので、女性はしなかったようなのです。
若水を汲んだりカマドを扱って正月の用意をする男性を、年男(としおとこ)と言いました。節分の豆まきまでが年男の仕事です。年男とは、ちょっと今の感覚では色気のない呼び名です。新年の一連の仕事は、私見では、女装しても良いような場に思えます。旧家や大店では年男は下男の役割だったのでそんな呼び方になったかもしれません。若旦那の担当だったらもっと別の呼び名だったかも。
若水汲みはたいていは男性の仕事ですが、西日本の沿岸部では女性がするところも多いといいます。そういう場合にどんな理由づけの説明をするのかは、知りません。神を祭るのは巫女としての女性の仕事だから……なんていう説明では元も子もなくなってしまいます。もしかしてトランスねたになるような話だったら面白いのですけれど……。
お正月以外にも男性がカマドを使った例では、鎮守様のお祭だそうです。こういうお祭で男性が女装する場面はたくさんあります。つまり地域などの公の祭事の場でということになります。家の神棚にお米や塩を供えるのは男性の仕事という地方も多いですが、神棚には伊勢神宮や鎮守様のおふだがあり、カマドの神さまとは違って、外部から招く神ということなのでしょう。
古い大きな民家には、日常のかまどのほかに、普段は使われない祭事用の大きめのかまどがあったそうで、祭事のときにだけ男子が使ったそうです。
女性のものであるかまどを男性が使うのは、一種の性の越境ともいえます。女性のものである女性の言葉を使って『土佐日記』を書いた紀貫之も性の越境なのでしょうが、衣服や装飾品のほかにも、言葉やそのほか、女性のものを使用することで、性の越境は可能なのでしょう。
男性がかまどを使う祭事とは、どんなものがあるでしょう。
一つはお正月行事です。おせち料理は暮れのうちに作っておいて、お正月には主婦はお勝手仕事はお休みするのだと今もいいますが、もともとは新年の若水を汲んで沸かして……神棚に供え物をすることまで、ぜんぶ男性の仕事だったので、女性はしなかったようなのです。
若水を汲んだりカマドを扱って正月の用意をする男性を、年男(としおとこ)と言いました。節分の豆まきまでが年男の仕事です。年男とは、ちょっと今の感覚では色気のない呼び名です。新年の一連の仕事は、私見では、女装しても良いような場に思えます。旧家や大店では年男は下男の役割だったのでそんな呼び方になったかもしれません。若旦那の担当だったらもっと別の呼び名だったかも。
若水汲みはたいていは男性の仕事ですが、西日本の沿岸部では女性がするところも多いといいます。そういう場合にどんな理由づけの説明をするのかは、知りません。神を祭るのは巫女としての女性の仕事だから……なんていう説明では元も子もなくなってしまいます。もしかしてトランスねたになるような話だったら面白いのですけれど……。
お正月以外にも男性がカマドを使った例では、鎮守様のお祭だそうです。こういうお祭で男性が女装する場面はたくさんあります。つまり地域などの公の祭事の場でということになります。家の神棚にお米や塩を供えるのは男性の仕事という地方も多いですが、神棚には伊勢神宮や鎮守様のおふだがあり、カマドの神さまとは違って、外部から招く神ということなのでしょう。
航海日記
2005/03/18
トランスジェンダー・性同一性障害
前回の花を踏みつけて前進という話は、ロシアのドストエフスキーの小説に出てくるテーマだったように思います。革命家は前進するけれど、文学者はそうはいかないというのが、議論の行き着くところでしょうか。
けれど革命家でなくても、将来への確信をもつことは、重要なことだと思います。少々のリスクは覚悟で前へ進むことは大事です。「自分のために」何かを判断して実行することも時には必要なのでしょう……。できるかできないかは別にして。
小学校3年生のときの運動会の駆けっこで、すぐ前を走ってた子が転んで倒れこんでしまったので、私も立ち止まってしまったことがあります。倒れた子のそばに寄って「大丈夫?」と声をかけてみました。そういうことをする子は今もいるでしょうか。昔はたまにいたと思います。でも私自身、年長になるにしたがって、そういうことは自意識過剰でできなくなってゆきました。
ギャンブルのように、人生のある場面でイチかバチか賭けてみることも、あっても良いのでしょう。そういう場合に、子どものころに、メンコ、ビー玉、ベーゴマといったギャンブル性のある遊びをした経験が生きてくるかもしれません。そういう遊びの経験がまったくない私にはできませんでしたけど。
詩「橋のそばで」
http://hatopia.hp.infoseek.co.jp/poem/p29.htm
けれど革命家でなくても、将来への確信をもつことは、重要なことだと思います。少々のリスクは覚悟で前へ進むことは大事です。「自分のために」何かを判断して実行することも時には必要なのでしょう……。できるかできないかは別にして。
小学校3年生のときの運動会の駆けっこで、すぐ前を走ってた子が転んで倒れこんでしまったので、私も立ち止まってしまったことがあります。倒れた子のそばに寄って「大丈夫?」と声をかけてみました。そういうことをする子は今もいるでしょうか。昔はたまにいたと思います。でも私自身、年長になるにしたがって、そういうことは自意識過剰でできなくなってゆきました。
ギャンブルのように、人生のある場面でイチかバチか賭けてみることも、あっても良いのでしょう。そういう場合に、子どものころに、メンコ、ビー玉、ベーゴマといったギャンブル性のある遊びをした経験が生きてくるかもしれません。そういう遊びの経験がまったくない私にはできませんでしたけど。
詩「橋のそばで」
http://hatopia.hp.infoseek.co.jp/poem/p29.htm
ノンポリ・トランスジェンダー
2005/03/15
トランスジェンダー・性同一性障害
鳩子のホームページやブログの内容は、トランスジェンダーとか性同一性障害等々を主テーマにした感じのサイトと比べると、ちょっと違ったおもむきがあるようです。なかなかああいうのは書けません。というか、すぐに役立ちそうな実用記事さえも少ないのです。ときどきそういうのを書こうと努力している形跡はみられます。いくつかの検索エンジンで「GID ホームページ」をキーワードに検索したとき、鳩子のホームページがけっこう上位表示されたとき複雑な気持ちにならないこともありません。
一世代くらい上の人たちの間にはかつて学生運動というのがありました。当時の進歩的評論家の人たちの中には、その後は少数民族の問題や民俗学、古代史といった本を書いていた人が何人かいて、そういう意味ではこのブログのテーマとも必ずしも縁がないわけではないのですけれど。
本で読んだ知識ですが、学生運動の人たちが議論していたテーマのうちで、心に残っているものがいくつかあります。
その一つは、道に一輪の美しい花が咲いていて、その花を踏みつけて前に進めば人類が確実に幸福になれることがわかっているとき、君は花を踏みつけて前進できるか、というお話。
私なら道にしゃがみこんでずっと考えこんでいるうちに、たそがれどきがやってくることでしょう。将来のことではなく今現在のことであるなら、たとえば川で子どもが溺れているのを見たとき、迷わず助けに行って、そのとき知らずに岸辺の花を踏みつぶしていたということもありえます。でも将来のことで確実にそうなるという確信を持てるのかという問題もありますし、踏みにじられた花に涙を流せることも、じゅうぶん幸せなことなのではないかしらとか、あれこれ考えてしまうわけです。
一応「ノンポリ・トランスジェンダー」のタイトルはつけてみましたが、この記事は未完です。
(前回のおかまの語源説はありきたりの結論でしたが、「おかま」という言葉に差別感を感じるという根拠もわかるような気がします)
一世代くらい上の人たちの間にはかつて学生運動というのがありました。当時の進歩的評論家の人たちの中には、その後は少数民族の問題や民俗学、古代史といった本を書いていた人が何人かいて、そういう意味ではこのブログのテーマとも必ずしも縁がないわけではないのですけれど。
本で読んだ知識ですが、学生運動の人たちが議論していたテーマのうちで、心に残っているものがいくつかあります。
その一つは、道に一輪の美しい花が咲いていて、その花を踏みつけて前に進めば人類が確実に幸福になれることがわかっているとき、君は花を踏みつけて前進できるか、というお話。
私なら道にしゃがみこんでずっと考えこんでいるうちに、たそがれどきがやってくることでしょう。将来のことではなく今現在のことであるなら、たとえば川で子どもが溺れているのを見たとき、迷わず助けに行って、そのとき知らずに岸辺の花を踏みつぶしていたということもありえます。でも将来のことで確実にそうなるという確信を持てるのかという問題もありますし、踏みにじられた花に涙を流せることも、じゅうぶん幸せなことなのではないかしらとか、あれこれ考えてしまうわけです。
一応「ノンポリ・トランスジェンダー」のタイトルはつけてみましたが、この記事は未完です。
(前回のおかまの語源説はありきたりの結論でしたが、「おかま」という言葉に差別感を感じるという根拠もわかるような気がします)
かまどと、ある語源の話(その2)
2005/03/11
トランスジェンダー史
昨日触れた狩野敏次氏の『かまど』(法政大学出版局)という本は、とても刺激的な本でした。窯、竃、釜などいくつかの意味をこめて「カマ」とカタカナで表記し、ホトも火処その他の意味を含めたカタカナ表記です。火山の火口の穴のことを、ホトと呼ぶ地方もあれば、カマと呼ぶ地方もある云々。おかまの語源としてはこれしかないかもしれません。広辞苑に、おかまとは「尻の異名」とありますが、この場合の尻とは柔らかい丸い臀部全体をいうわけではないのです。
Kamaの朝鮮語起源説は、同書の後半では否定されています。地名について、三方を山に囲まれた土地にカマという地名が多いこと(鎌倉など)、あるいは川の淵や滝壷のあるところ、海辺のくぼ地にもカマ(釜)のつく地名が多く、全国すみずみにまで広がっていることから、5世紀に外国から移入された言葉がそこまで広がったものとは考えにくいとのことで、その通りと思います。
滝壷などの水源地は、水底がくぼんでいたり、左右に岩が迫って洞穴のような形からカマと呼ばれたようで、滝の背後などの岩穴に水の神が祀られ、その穴はカマドによく似ていますが、そこでの祭をなんとカマド祭といったとか。穴についてはその奥が異界への出入り口と信じられたためのようです。
家のカマドのそばに河童や醜い顔の童子が居座ってその家に富をもたらす、という昔話が各地にあり、河童や童子は水神の使いであることから、かまどの神は水の神ではないかともいいます。
後世の稚児は非常に美しいいでたちでしたが、このときの河童または童子とつながるのかどうか……?
カマドは女子の管理したものですが、男子の管理した「庭かまど」というのもあり、臨時の祭のときに庭に作られ、祭が終わればそのかまどは壊されたとか。
水神と、童子と、女子と、男子が登場しました。民俗学では女子は水神の嫁になるといいます。童子と男子はあぶれてしまったのでしょうか?
★追記
おかまの語源についての従来説は『性の用語集』の中の三橋順子さん執筆の部分で、ほとんどすべて網羅されていると思われますので、興味のあるかたは参考にしてください(2005年04月30日)
★★追記2
これと直前の2つの記事は、一冊の本の感想文だったのですが、「おかま 語源」をキーワードに3年後の今でもよくアクセスがあるページです。
3年前にネット検索したときは、「尻の異称」という広辞苑の記述にふれたものは皆無だったのですが、今は広辞苑の名こそありませんが、そういう書き方が多くなりました。
ひとこと付け加えるようと思ったのは、江戸時代は、オカマもホドも、今の人が感じるほど下品な言葉ではなかったということです。人々はもっと大らかな時代でしたし、ウンチだって肥料にしたりで資源として大切にされました。時代が進むと人々に大らかさがなくなり、潔癖症のような人が増えていって、そしてその言葉に差別感を感じる人が増えてしまったのでしょう。けれど大事なことは、差別だといって言葉狩りをすることではなくて、大らかさを取り戻すことだと思います。
鳩子自身も、おかまを自称することがあります。(2008/3/18)
Kamaの朝鮮語起源説は、同書の後半では否定されています。地名について、三方を山に囲まれた土地にカマという地名が多いこと(鎌倉など)、あるいは川の淵や滝壷のあるところ、海辺のくぼ地にもカマ(釜)のつく地名が多く、全国すみずみにまで広がっていることから、5世紀に外国から移入された言葉がそこまで広がったものとは考えにくいとのことで、その通りと思います。
滝壷などの水源地は、水底がくぼんでいたり、左右に岩が迫って洞穴のような形からカマと呼ばれたようで、滝の背後などの岩穴に水の神が祀られ、その穴はカマドによく似ていますが、そこでの祭をなんとカマド祭といったとか。穴についてはその奥が異界への出入り口と信じられたためのようです。
家のカマドのそばに河童や醜い顔の童子が居座ってその家に富をもたらす、という昔話が各地にあり、河童や童子は水神の使いであることから、かまどの神は水の神ではないかともいいます。
後世の稚児は非常に美しいいでたちでしたが、このときの河童または童子とつながるのかどうか……?
カマドは女子の管理したものですが、男子の管理した「庭かまど」というのもあり、臨時の祭のときに庭に作られ、祭が終わればそのかまどは壊されたとか。
水神と、童子と、女子と、男子が登場しました。民俗学では女子は水神の嫁になるといいます。童子と男子はあぶれてしまったのでしょうか?
★追記
おかまの語源についての従来説は『性の用語集』の中の三橋順子さん執筆の部分で、ほとんどすべて網羅されていると思われますので、興味のあるかたは参考にしてください(2005年04月30日)
★★追記2
これと直前の2つの記事は、一冊の本の感想文だったのですが、「おかま 語源」をキーワードに3年後の今でもよくアクセスがあるページです。
3年前にネット検索したときは、「尻の異称」という広辞苑の記述にふれたものは皆無だったのですが、今は広辞苑の名こそありませんが、そういう書き方が多くなりました。
ひとこと付け加えるようと思ったのは、江戸時代は、オカマもホドも、今の人が感じるほど下品な言葉ではなかったということです。人々はもっと大らかな時代でしたし、ウンチだって肥料にしたりで資源として大切にされました。時代が進むと人々に大らかさがなくなり、潔癖症のような人が増えていって、そしてその言葉に差別感を感じる人が増えてしまったのでしょう。けれど大事なことは、差別だといって言葉狩りをすることではなくて、大らかさを取り戻すことだと思います。
鳩子自身も、おかまを自称することがあります。(2008/3/18)
かまどと火処(ほど)
2005/03/10
トランスジェンダー史
カマドは一家の主婦が守ってきたものです。火によって生きたものは死に、新しい生命のために形を変える場所であり、ものが産み出される場所でもあります。そうした力はカマドの火の神によるものとされ、火の神を祀ることは、一家にとっても女性にとってもとても大切な役割だったといいます。
カマドは古くはただカマと言ったようです。元々の日本語かと思っていましたら、朝鮮語の釜(kama)が移入されたものであるとする説が有力のようです。5〜6世紀ごろに大陸の形式のカマドが日本に広まったときから、カマと呼ばれたようです。それ以前の日本では、炉の中心に3つの石などを置いて上に瓶を載せて煮炊きしたといわれ、火の熱が逃げないように石の隙間を粘土で埋めたり、コの字型に粘土の囲いを作ったりの発達はありましたが、上部の穴に瓶を載せて隙間ができないカマド形式が輸入されて一気に広まったというのが考古学でも定説のようです。
竪穴式住居に見られた古い形式の炉のことは、ヘツイ(ヘツヒ)とかホドとか言ったそうです。ホは火のことで、ホドとは火処の意味になります。新しい形式のカマドは全国に広まりましたが、暖房もとれる炉(囲炉裏)はずっと残り、炉の中心部分のことを方言で「ホド」と呼ぶ地方は今も多いといいます。
ホドとカマは、似たような機能をもつものということになります。……ところでこれに似た言葉がありますね。ホトは女陰のことですし、「おかま」という言葉もあります。「おかま」の語源は女陰との対比から生まれた言葉だというのが案外ほんとのことなのかもしれません。
参考文献:狩野敏次『ものと人間の文化史 かまど』(法政大学出版局)
おかまの語源については『性の用語集』(講談社現代新書)にもさまざまな説が紹介されていますが、その部分の執筆者の三橋順子さんはカマドとの関連を指摘しています。その論を発展させると、前述のようになると思います。
「おかまを掘る」という言い方があるのは、「耳を掘る、鼻を掘る」というのと同じで、からだの一部分の名称であったことを意味します。
ホトに相当する部分をホドでなくカマと呼ぶのは、シャレの要素もありますし、生活文化や火の神事の歴史を秘めた味わいのある言い方とも言えます。
しかし一方ではからだの部分を意味する言葉のため、使い方によっては差別感をともなう結果になることもあるのでしょう。
カマドは古くはただカマと言ったようです。元々の日本語かと思っていましたら、朝鮮語の釜(kama)が移入されたものであるとする説が有力のようです。5〜6世紀ごろに大陸の形式のカマドが日本に広まったときから、カマと呼ばれたようです。それ以前の日本では、炉の中心に3つの石などを置いて上に瓶を載せて煮炊きしたといわれ、火の熱が逃げないように石の隙間を粘土で埋めたり、コの字型に粘土の囲いを作ったりの発達はありましたが、上部の穴に瓶を載せて隙間ができないカマド形式が輸入されて一気に広まったというのが考古学でも定説のようです。
竪穴式住居に見られた古い形式の炉のことは、ヘツイ(ヘツヒ)とかホドとか言ったそうです。ホは火のことで、ホドとは火処の意味になります。新しい形式のカマドは全国に広まりましたが、暖房もとれる炉(囲炉裏)はずっと残り、炉の中心部分のことを方言で「ホド」と呼ぶ地方は今も多いといいます。
ホドとカマは、似たような機能をもつものということになります。……ところでこれに似た言葉がありますね。ホトは女陰のことですし、「おかま」という言葉もあります。「おかま」の語源は女陰との対比から生まれた言葉だというのが案外ほんとのことなのかもしれません。
参考文献:狩野敏次『ものと人間の文化史 かまど』(法政大学出版局)
おかまの語源については『性の用語集』(講談社現代新書)にもさまざまな説が紹介されていますが、その部分の執筆者の三橋順子さんはカマドとの関連を指摘しています。その論を発展させると、前述のようになると思います。
「おかまを掘る」という言い方があるのは、「耳を掘る、鼻を掘る」というのと同じで、からだの一部分の名称であったことを意味します。
ホトに相当する部分をホドでなくカマと呼ぶのは、シャレの要素もありますし、生活文化や火の神事の歴史を秘めた味わいのある言い方とも言えます。
しかし一方ではからだの部分を意味する言葉のため、使い方によっては差別感をともなう結果になることもあるのでしょう。
僧の気持ち、多様な親子
2005/03/09
古典文学
田中貴子『性愛の日本中世』(ちくま学芸文庫)の稚児と僧侶についての部分を読みました。
稚児の起源の話は、僧の教義からの説明のみ。古代が見えない。などなど。けれど、参考文献をたくさんあげているのは好感が持てました。
文献に残った男性の立場ではなく少年の立場から考える、とは私も漠然と思っていましたが、僧だって自分の子孫を残すことを放棄したわけです。もう男性のジェンダーではないかもしれませんね。稚児は僧を選べないのかもしれませんが、僧もあまり稚児を選べないとなると、親子関係と同じですね。僧自身がかつて稚児だったとなると、僧の立場からの文献だけでも十分ということなのではないでしょうか。
「家」に対して目くじらを立てるのではなく、多様な性があるように、多様な親子関係を認めると良いのではないでしょうか。
「子育て」はかつては大家族や地域社会の仕事でしたが、今は家庭内だけでもっぱら妻一人へ比重が傾いているような、今現在の世の中のありかたが問題なのでしょう。
以下'04.9.18のDiaryから
・フスツナギオヤ へその緒を切ってくれた産婆さん。取りあげ親。
・なづけ親 命名した人。成人して改名したときの名づけ親もある。
・乳親 乳母。必ずしも母親に母乳が出なかったからという理由でもないらしい。
・拾い親 からだの弱い子を一度橋のたもとなどに捨てるふりをして、決めておいた人に拾ってもらい名前も新しくつけてもらって生みの親が引き取るという風習。
・宿親 結婚前の男女が決められた家に寝泊まりし、部屋を貸した家の主人は、宿親として結婚に力を貸す。
・そのほか成人前の女子が決められた家の子守をし、子守(親)と子の関係が一生続く慣習。
・里親や里子が慣習化している例。仲人親。長屋の大家 etc...。
大正時代の童謡で「里子」をすごく哀しい存在とした詩がありましたが、以前はそうではなかったし(皇室にも里子のような風習がありました)、子守唄もだんだん哀しい子守の歌になってゆきます。
付記 日本の唄はみんな哀愁をおびているようなところがあります。子守唄だけ特にそういう傾向があるとしたら、それは大正時代以後の感じ方なのでしょう。
稚児の起源の話は、僧の教義からの説明のみ。古代が見えない。などなど。けれど、参考文献をたくさんあげているのは好感が持てました。
文献に残った男性の立場ではなく少年の立場から考える、とは私も漠然と思っていましたが、僧だって自分の子孫を残すことを放棄したわけです。もう男性のジェンダーではないかもしれませんね。稚児は僧を選べないのかもしれませんが、僧もあまり稚児を選べないとなると、親子関係と同じですね。僧自身がかつて稚児だったとなると、僧の立場からの文献だけでも十分ということなのではないでしょうか。
「家」に対して目くじらを立てるのではなく、多様な性があるように、多様な親子関係を認めると良いのではないでしょうか。
「子育て」はかつては大家族や地域社会の仕事でしたが、今は家庭内だけでもっぱら妻一人へ比重が傾いているような、今現在の世の中のありかたが問題なのでしょう。
以下'04.9.18のDiaryから
・フスツナギオヤ へその緒を切ってくれた産婆さん。取りあげ親。
・なづけ親 命名した人。成人して改名したときの名づけ親もある。
・乳親 乳母。必ずしも母親に母乳が出なかったからという理由でもないらしい。
・拾い親 からだの弱い子を一度橋のたもとなどに捨てるふりをして、決めておいた人に拾ってもらい名前も新しくつけてもらって生みの親が引き取るという風習。
・宿親 結婚前の男女が決められた家に寝泊まりし、部屋を貸した家の主人は、宿親として結婚に力を貸す。
・そのほか成人前の女子が決められた家の子守をし、子守(親)と子の関係が一生続く慣習。
・里親や里子が慣習化している例。仲人親。長屋の大家 etc...。
大正時代の童謡で「里子」をすごく哀しい存在とした詩がありましたが、以前はそうではなかったし(皇室にも里子のような風習がありました)、子守唄もだんだん哀しい子守の歌になってゆきます。
付記 日本の唄はみんな哀愁をおびているようなところがあります。子守唄だけ特にそういう傾向があるとしたら、それは大正時代以後の感じ方なのでしょう。
黒い下着です。かなり古い写真ですね〜。画像がいまいちクリアでないのですが、たしかディスカウントで買ったポラロイド社製のインスタントカメラ。
テーブルの上にカメラを置いて右手を伸ばしてシャッターを押して、姿見に映った自分を撮影したわけです。
(補足)某女装サイトを参考にフォトレタッチソフトで、コントラストを調整したら、まあまあクリアな画像になりました。
百姓一揆と女装の美少年
2005/03/07
トランスジェンダー史
江戸時代の関東地方は、幕府直轄の天領も多く、旗本の知行地あり、また大大名から小大名まで、さまざまな領地が細かく分割され複雑に入り組んでいたそうです。ちょっと隣村へ入ると年貢などの待遇がまるっきり違ったりで、悪質な大名が年貢取り立てを厳しくしたりすると、すぐに一揆が起ります。
一揆以外にも不穏なことが起こりやすいことから幕府も特殊な警察組織(関東取締出役)を設けましたが、無法地帯のようなところの百姓たちは自分たちで土地を守るために親分衆に依存し、そうした親分衆を統括したのが上州の国定忠治という人らしいです。
一揆あるいは「打ちこわし」では、女装の美少年がたびたび出没します。亀井秀雄氏はこういった打ちこわしの特徴として「百姓と城方の武士が衝突した時、派手な女装をした少年がどこからともなく現われて、百姓の先頭に立って武士と戦い、いずこともなく姿を消してしまった、というような伝承がついている」ことを指摘します。
明和元年(1764年)の上州から武州の一揆の記録、『狐塚千本鎗』には、「年十七八歳と見へ、行儀・器量余人にすぐれたる男、壱人いづこともなくはせ来り、城のかたを瞋(にら)み、大勢の城兵を目懸(めがけ)、一文字にはせ掛り、東西南北を切りやぶりける。その勢猛虎のごとく」と書かれます。
こうした女装の美少年が一揆を率いる姿は、松田修氏もいうように、島原の乱での天草四郎や、南総里見八犬伝に登場する美剣士たちの姿にも重なります。
古代の隣国新羅には花郎という女装の美少年をいただいて軍事行動をもおこす男子の地域集団があり、日本にも類似の組織があったのでしょう。それらと通じているものはあるのでしょうが、時代は隔たっています。
女装の美少年には神が憑依したのでしょうが、それは神の力を借りて戦いに勝つという信仰とともに、同時にこれから起こる殺戮への贖い行為でもあった、という意味のことを松田修氏が述べていたと思います。
参考
「亀井秀雄の発言」
『幕末のアンドロギュノス』について
『狐塚千本鎗』(日本思想大系58 岩波書店 1970)
一揆以外にも不穏なことが起こりやすいことから幕府も特殊な警察組織(関東取締出役)を設けましたが、無法地帯のようなところの百姓たちは自分たちで土地を守るために親分衆に依存し、そうした親分衆を統括したのが上州の国定忠治という人らしいです。
一揆あるいは「打ちこわし」では、女装の美少年がたびたび出没します。亀井秀雄氏はこういった打ちこわしの特徴として「百姓と城方の武士が衝突した時、派手な女装をした少年がどこからともなく現われて、百姓の先頭に立って武士と戦い、いずこともなく姿を消してしまった、というような伝承がついている」ことを指摘します。
明和元年(1764年)の上州から武州の一揆の記録、『狐塚千本鎗』には、「年十七八歳と見へ、行儀・器量余人にすぐれたる男、壱人いづこともなくはせ来り、城のかたを瞋(にら)み、大勢の城兵を目懸(めがけ)、一文字にはせ掛り、東西南北を切りやぶりける。その勢猛虎のごとく」と書かれます。
こうした女装の美少年が一揆を率いる姿は、松田修氏もいうように、島原の乱での天草四郎や、南総里見八犬伝に登場する美剣士たちの姿にも重なります。
古代の隣国新羅には花郎という女装の美少年をいただいて軍事行動をもおこす男子の地域集団があり、日本にも類似の組織があったのでしょう。それらと通じているものはあるのでしょうが、時代は隔たっています。
女装の美少年には神が憑依したのでしょうが、それは神の力を借りて戦いに勝つという信仰とともに、同時にこれから起こる殺戮への贖い行為でもあった、という意味のことを松田修氏が述べていたと思います。
参考
「亀井秀雄の発言」
『幕末のアンドロギュノス』について
『狐塚千本鎗』(日本思想大系58 岩波書店 1970)
ひなまつりについては、女の子のあいだでも最近は盛り上がりにくい傾向があるのかもしれません。
前回追記した、「子供たちだけの行事」というのは、雪国の「かまくら」や、ほかにも大人は関与せずに子供たちだけ集まって何かをしてお菓子をもらって帰るようなお祭というのが、新年から春先にかけて各地にあるらしいです。
戦後、国民の祝日として「子どもの日」を決めるときに、5月5日と並んで3月3日が候補にあったという話を聞きました。3月3日が推された理由というのも、「女の子の祭」というより「春先の子どもの祭」という意識が強く働いてのものと思います。
もしかすると「女の子の祭」「男の子の祭」というハッキリした区分けが広く浸透していったのは、戦後のことにすぎないというと大げさですが、そんなに古いことではないような気もします(証明の試みも面白いかも)
子どものころから性別を強く意識させるということは日本の伝統にはなかったことだろうと思います
前回追記した、「子供たちだけの行事」というのは、雪国の「かまくら」や、ほかにも大人は関与せずに子供たちだけ集まって何かをしてお菓子をもらって帰るようなお祭というのが、新年から春先にかけて各地にあるらしいです。
戦後、国民の祝日として「子どもの日」を決めるときに、5月5日と並んで3月3日が候補にあったという話を聞きました。3月3日が推された理由というのも、「女の子の祭」というより「春先の子どもの祭」という意識が強く働いてのものと思います。
もしかすると「女の子の祭」「男の子の祭」というハッキリした区分けが広く浸透していったのは、戦後のことにすぎないというと大げさですが、そんなに古いことではないような気もします(証明の試みも面白いかも)
子どものころから性別を強く意識させるということは日本の伝統にはなかったことだろうと思います
ネクラのミカン
2005/03/05
トランスジェンダー・性同一性障害
お正月以来寒さが続きます。お出かけもついおっくうになりがちで、ネクラというか、おこたに入ってみかんでも食べて……、肌が綺麗になるでしょうか?
火を扱う職業は女性が多いかもしれない……でも鍛冶屋はどうでしょう。
ある町を歩いたとき、木製のガラス戸に「かぢや」と書いてあった店の中を覗いてみると、暗い土間があって黒っぽい色をしたいろんな道具が並べてありました。
鍛冶屋職人たちがお祭りしてきた神さまは、金山神。川崎市の若宮八幡神社の境内にも「金山神社」があり、元はやはり地元の鍛冶職人の人たちがお祭りした神社ということだそうです。境内にはいろんなセクシャルな形の何かを祈願した造形物もたくさんあるらしく、そういったことから国際的にも有名になったとか。4月の「かなまら祭」には、風変わりなお神輿が出るそうで、近年は神田のエリザベスという女装クラブの人たちが参加してかつぐ専用のお神輿もあると聞きます。。
なぜエリザベスの人が……ということは、関係者の人に聞いたことはありません。若宮八幡神社の宮司さんは多様な性についても理解のある人らしいですが……。
90年代の初めまでエリザベスがビルを構えていた神田岩本町にも金山神社があるということを最近知りました。近隣の神田鍛冶町や神田鍋町なども含め、付近一体が江戸時代からの鍛冶職、鋳物師、金工職人、金物商などの中心地だったそうで、そういう江戸の由緒を伝えるために戦後作られたのが岩本町の金山神社だそうです。江戸の鍛冶職人たちは、もとは金山神ではなく、稲荷神をお祭りしていたので、金山神社自体は古くはないわけです。
江戸の鍛冶職人たちのお祭は、11月の「ふいご祭」が盛大で、屋根からみかんを投げ、子供たちが競ってそれを拾って食べたそうです。ある年に飢饉のためにみかんの量が不足したとき、紀州から船で大量のみかんを運んで売りさばいたのが紀伊国屋文左衛門という人です。そのときの儲けを元に材木商を始めて大金持ちになったといいますから、最初のみかんの量も相当なものだったのでしょう。
なぜ鍛冶職人のお祭で「みかん」なのか?、よくわかりません。
次の記事にヒントを得て書きました。http://witches.exblog.jp/m2005-02-01/
火を扱う職業は女性が多いかもしれない……でも鍛冶屋はどうでしょう。
ある町を歩いたとき、木製のガラス戸に「かぢや」と書いてあった店の中を覗いてみると、暗い土間があって黒っぽい色をしたいろんな道具が並べてありました。
鍛冶屋職人たちがお祭りしてきた神さまは、金山神。川崎市の若宮八幡神社の境内にも「金山神社」があり、元はやはり地元の鍛冶職人の人たちがお祭りした神社ということだそうです。境内にはいろんなセクシャルな形の何かを祈願した造形物もたくさんあるらしく、そういったことから国際的にも有名になったとか。4月の「かなまら祭」には、風変わりなお神輿が出るそうで、近年は神田のエリザベスという女装クラブの人たちが参加してかつぐ専用のお神輿もあると聞きます。。
なぜエリザベスの人が……ということは、関係者の人に聞いたことはありません。若宮八幡神社の宮司さんは多様な性についても理解のある人らしいですが……。
90年代の初めまでエリザベスがビルを構えていた神田岩本町にも金山神社があるということを最近知りました。近隣の神田鍛冶町や神田鍋町なども含め、付近一体が江戸時代からの鍛冶職、鋳物師、金工職人、金物商などの中心地だったそうで、そういう江戸の由緒を伝えるために戦後作られたのが岩本町の金山神社だそうです。江戸の鍛冶職人たちは、もとは金山神ではなく、稲荷神をお祭りしていたので、金山神社自体は古くはないわけです。
江戸の鍛冶職人たちのお祭は、11月の「ふいご祭」が盛大で、屋根からみかんを投げ、子供たちが競ってそれを拾って食べたそうです。ある年に飢饉のためにみかんの量が不足したとき、紀州から船で大量のみかんを運んで売りさばいたのが紀伊国屋文左衛門という人です。そのときの儲けを元に材木商を始めて大金持ちになったといいますから、最初のみかんの量も相当なものだったのでしょう。
なぜ鍛冶職人のお祭で「みかん」なのか?、よくわかりません。
次の記事にヒントを得て書きました。http://witches.exblog.jp/m2005-02-01/
焼く女
2005/03/03
トランスジェンダー史
空想の混じった記事になります。
平安時代の近江国で、女がこれまで関係した男の数だけの鍋を頭にかぶるというお祭があったそうで、世間体をはばかって少なくかぶると、たちまち病気になったとか。本当の数をかぶって再びお祭に出れば病気は治ったそうです。
なぜ鍋なのかというと、土器を作るのは女性の仕事だったからだそうです。土器の鍋を人によってはたくさん何十個も頭に載せるのは大変だろうと思いましたが、炭を売る女性は、頭の上に40kg以上を載せて山道を歩いて運んだと近代の調査にもあるそうです。京都の大原からそうやって炭を売り歩いた女性をむかしの京都では大原女(おおはらめ)といったそうですが、炭を作るのと土器を作るのとは、大きな窯で焼くというところが共通しています。夫が炭を焼いて妻が売り歩いたともいいますが、火を扱う仕事は女性の仕事だといえるかもしれません。または土器など容器を作るのが女性の仕事だったのかも。
古代の埴輪も女性たちが作ったのかもしれません。日本語のホトケの語源も「火で焼いた容器」の意味で、霊前に食物を供えたときの容器の名前がホトケ、祖霊を祭るのは女性の役割だったのでしょう。
埴輪作りの元祖は、相撲の元祖でもあったという日本の神話物語もあります。相撲取りは妊婦の真似をしてああいう体形になるのだと言った人がいたけど、古代から存在する女相撲の意味もよくわからないものがあります。
平安時代の近江国で、女がこれまで関係した男の数だけの鍋を頭にかぶるというお祭があったそうで、世間体をはばかって少なくかぶると、たちまち病気になったとか。本当の数をかぶって再びお祭に出れば病気は治ったそうです。
なぜ鍋なのかというと、土器を作るのは女性の仕事だったからだそうです。土器の鍋を人によってはたくさん何十個も頭に載せるのは大変だろうと思いましたが、炭を売る女性は、頭の上に40kg以上を載せて山道を歩いて運んだと近代の調査にもあるそうです。京都の大原からそうやって炭を売り歩いた女性をむかしの京都では大原女(おおはらめ)といったそうですが、炭を作るのと土器を作るのとは、大きな窯で焼くというところが共通しています。夫が炭を焼いて妻が売り歩いたともいいますが、火を扱う仕事は女性の仕事だといえるかもしれません。または土器など容器を作るのが女性の仕事だったのかも。
古代の埴輪も女性たちが作ったのかもしれません。日本語のホトケの語源も「火で焼いた容器」の意味で、霊前に食物を供えたときの容器の名前がホトケ、祖霊を祭るのは女性の役割だったのでしょう。
埴輪作りの元祖は、相撲の元祖でもあったという日本の神話物語もあります。相撲取りは妊婦の真似をしてああいう体形になるのだと言った人がいたけど、古代から存在する女相撲の意味もよくわからないものがあります。
ひなまつりはもう明日ですけれど、去年の写真を出してみました。最近の若い子では一人っ子が多いので、男の子として育てられると、ひなまつりとは縁が薄くて、盛り上がらない話題になってるかもしれません。
★3/6追記
桃の節句ともいいますが、桃が咲くのは4月ごろで、つまりもとは旧暦の3月、左近の桜と同じ時期の行事だったからなのですね。人形祭の明るさ華やかさのわりには今はまだ肌寒い季節の行事になっています。
雛人形の起源の解説を読んだらいろんなことが書いてありましたが、ひなあられや菱餅を作って、春に子供たちだけで集まって忌み籠りの共同生活をした、という説明がなんとなく気に入っています。
ひな人形を川に流すというのも、子供たちの魂の一部を舟に載せて常世の国とコンタクトをとるためだったのかも。
2月23日の「山伏と持者〜『七十一番職人歌合』から」の続きです。
図書館で『鎌倉放生会職人歌合』を探して持者の歌を見ました。「放生会(ほうじょうえ)」とは旧暦八月十五夜のお祭り行事のことです。お月見も行なわれたようです。
こちらでは「相人」(占いをする人)と左右に分れて、「月」と「恋」を題にして詠まれています。参考書はないので自分で現代語訳をつけてみました。
◆左 相人
かねてより月の行方のみえしかな 言ふにたがはで雲晴れにけり
(ずっと月の行くえは見えていました。言う通り雲は晴れました)
……「言ふに違はで」とは相人らしいですが、ちょっと理屈っぽい感じで、判者の評価も低いようです。月とはもちろん恋人にたとえてのことでしょう。
我といはば逢はんと人や思ふとて 恋ふるあたりに打ちなのりつつ
(私だといえば会ってくれると思うから、恋しい人の住むあたりで名を口にしてみるのです)
……なんとなくわかります。逢ってもらえるといいですね。
◆右 持者
やどれ月 心のくまもなかりけり 袖をば貸さん 神の宮つこ
(どうぞお宿りください、満月のように迷いはありません。袖も貸しましょう、神の宮つこ様)
……「神の宮つこ」とは神官のことでしょうか。リズムの良い歌で、「上手めきて」という判者の言葉が添えられているのもうなづけます。持者が神官と宿をともにすることを歌ったものでしょう。
なべてには恋の心も変るらん まことはうなひ かりは乙女子
(普通なら恋の心も変るでしょう。本当は少年、仮の姿の乙女ですから)
……「うなひ」とは「うなひ髪」のことで元服前の少年、または職業によっては成人してもしばらくそのような髪のままの若い男の子のことでしょう。女性でないことを知って恋もさめるだろうという内容なのですが、そういうのは人それぞれでしょうし、やはり判者の評価も低いようです。
図書館で『鎌倉放生会職人歌合』を探して持者の歌を見ました。「放生会(ほうじょうえ)」とは旧暦八月十五夜のお祭り行事のことです。お月見も行なわれたようです。
こちらでは「相人」(占いをする人)と左右に分れて、「月」と「恋」を題にして詠まれています。参考書はないので自分で現代語訳をつけてみました。
◆左 相人
かねてより月の行方のみえしかな 言ふにたがはで雲晴れにけり
(ずっと月の行くえは見えていました。言う通り雲は晴れました)
……「言ふに違はで」とは相人らしいですが、ちょっと理屈っぽい感じで、判者の評価も低いようです。月とはもちろん恋人にたとえてのことでしょう。
我といはば逢はんと人や思ふとて 恋ふるあたりに打ちなのりつつ
(私だといえば会ってくれると思うから、恋しい人の住むあたりで名を口にしてみるのです)
……なんとなくわかります。逢ってもらえるといいですね。
◆右 持者
やどれ月 心のくまもなかりけり 袖をば貸さん 神の宮つこ
(どうぞお宿りください、満月のように迷いはありません。袖も貸しましょう、神の宮つこ様)
……「神の宮つこ」とは神官のことでしょうか。リズムの良い歌で、「上手めきて」という判者の言葉が添えられているのもうなづけます。持者が神官と宿をともにすることを歌ったものでしょう。
なべてには恋の心も変るらん まことはうなひ かりは乙女子
(普通なら恋の心も変るでしょう。本当は少年、仮の姿の乙女ですから)
……「うなひ」とは「うなひ髪」のことで元服前の少年、または職業によっては成人してもしばらくそのような髪のままの若い男の子のことでしょう。女性でないことを知って恋もさめるだろうという内容なのですが、そういうのは人それぞれでしょうし、やはり判者の評価も低いようです。
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若いころは手がきれいだったりしますよね。