男ユタ 〜藤井貞和『物語の結婚』
2005/02/27
トランスジェンダー史
……藤井貞和『物語の結婚』(ちくま学芸文庫)の中の「女性の霊的優位覚え書」を読んでみました。
南西諸島でいうユタとは民間の神事に携わる人のことです。その多くは女性ですが、まれに女装の男性の場合もあります。
女性が多い理由は、民俗学でいう「妹の力」なのだと説明されます。女性は夫や兄弟など肉親の男性の守護霊的存在であり続け、それは「女性の霊的優位」によるものだろうといわれます。原初のかたちでは女性は生理中には誰の妻でもなく神の妻となるという信仰に基づくのだということです。
しかし男性のユタもいることから、女性の霊的優位もいちがいにいえないのではないかと藤井はいいます。
ある男性がユタとなったきっかけは、19歳のときに山に行ったとき、稲穂を見て数日して発熱し、ユタに相談に行くと、お前は神に仕える人になるだろうということで、その後、幻覚の中に現れた女ユタの言葉のとおりに眼前に現れた馬に乗ると、ユタの祭具を埋めてある場所に至り、祭具を掘り出して女ユタの継承者になったといいます。こういうパターンは女性がユタになるときも同様らしいですが、男性は20歳前後、女性は40歳前後が多いらしいです。
男性のユタの女装は、女性の霊的優位にあやかるものともみられますが、女性が40歳でユタとなるころは女性らしさの衰えるころであり、馬にも乗るとなるとそれはむしろ男装なのではないかと、藤井氏はいいます。
23、4歳でユタとなった女性の例では、やはり似たような経過をたどり、夫の4代前の男性の後継者となったというので、その男性も男ユタということになり、けっきょく女性も男性も同じであり、女性の霊的優位とはいえないと藤井氏は付け加えます。
むつかしい話ですが、女ユタの前が男ユタであり、その男ユタの前が女ユタ、という螺旋模様をたどってゆくと、ある一人の少年による生理の模倣を幻想してしまいます。
他に藤井氏の指摘した点で気になるのは、馬に乗ることの意味で、婚礼儀礼で花嫁が馬にのる習俗があります。稚児が乗るのは古いのか新しいのかわかりません。
「旅は女性を一家の守護者の位置に据える」とも書かれ、女性にとっての旅の意味はどういうものなのでしょう。
藤井氏が参考文献としてあげたもの。国分直一『日本民族文化の研究』(慶友社) 山下欣一『奄美のシャーマニズム』(弘文堂) 袋中上人『琉球神道記』巻五(角川書店)
『琉球神道記』にこんなことが書かれているようです。「変身(はみ)は前前より二人三人これあり、これ男子変じて女人となる。男根はありと雖も枯萎(こい)す。容貌変じて鬚も落つ。声も代れり。神祠の役人となる」
南西諸島でいうユタとは民間の神事に携わる人のことです。その多くは女性ですが、まれに女装の男性の場合もあります。
女性が多い理由は、民俗学でいう「妹の力」なのだと説明されます。女性は夫や兄弟など肉親の男性の守護霊的存在であり続け、それは「女性の霊的優位」によるものだろうといわれます。原初のかたちでは女性は生理中には誰の妻でもなく神の妻となるという信仰に基づくのだということです。
しかし男性のユタもいることから、女性の霊的優位もいちがいにいえないのではないかと藤井はいいます。
ある男性がユタとなったきっかけは、19歳のときに山に行ったとき、稲穂を見て数日して発熱し、ユタに相談に行くと、お前は神に仕える人になるだろうということで、その後、幻覚の中に現れた女ユタの言葉のとおりに眼前に現れた馬に乗ると、ユタの祭具を埋めてある場所に至り、祭具を掘り出して女ユタの継承者になったといいます。こういうパターンは女性がユタになるときも同様らしいですが、男性は20歳前後、女性は40歳前後が多いらしいです。
男性のユタの女装は、女性の霊的優位にあやかるものともみられますが、女性が40歳でユタとなるころは女性らしさの衰えるころであり、馬にも乗るとなるとそれはむしろ男装なのではないかと、藤井氏はいいます。
23、4歳でユタとなった女性の例では、やはり似たような経過をたどり、夫の4代前の男性の後継者となったというので、その男性も男ユタということになり、けっきょく女性も男性も同じであり、女性の霊的優位とはいえないと藤井氏は付け加えます。
むつかしい話ですが、女ユタの前が男ユタであり、その男ユタの前が女ユタ、という螺旋模様をたどってゆくと、ある一人の少年による生理の模倣を幻想してしまいます。
他に藤井氏の指摘した点で気になるのは、馬に乗ることの意味で、婚礼儀礼で花嫁が馬にのる習俗があります。稚児が乗るのは古いのか新しいのかわかりません。
「旅は女性を一家の守護者の位置に据える」とも書かれ、女性にとっての旅の意味はどういうものなのでしょう。
藤井氏が参考文献としてあげたもの。国分直一『日本民族文化の研究』(慶友社) 山下欣一『奄美のシャーマニズム』(弘文堂) 袋中上人『琉球神道記』巻五(角川書店)
『琉球神道記』にこんなことが書かれているようです。「変身(はみ)は前前より二人三人これあり、これ男子変じて女人となる。男根はありと雖も枯萎(こい)す。容貌変じて鬚も落つ。声も代れり。神祠の役人となる」
本屋さんへお出かけ
2005/02/24
トランスジェンダー史
遠くの本屋さんへお出かけでした。急に寒くなって帰りのお散歩も早く切り上げてお家に返りました。家に着くころは雪がちらほら。
さてどんな本があったかというと……
・藤井貞和『物語の結婚』(ちくま学芸文庫)……古代の結婚や性について。「古代は性について大らかだった」という従来の通念にはなんとなく疑問をもってましたが、その点にも触れてるようです。
・細川涼一『漂泊の日本中世』(ちくま学芸文庫)……「両性を持つ白拍子」というのが最初の項のタイトル。
・『日本の中世4 女人、老人、子ども』(中央公論社)……事前に知らなかった本ですが、最初のほうに「乳母の力」という見出しタイトルがあります。細川涼一氏も執筆。
・網野善彦『中世の非人と遊女』(講談社学術文庫)……有名な人の本なのでついでに。
・八木公生『天皇と日本の近代(上)』(講談社現代新書)……明治天皇の女装姿の克明な描写があるとネットで見たのですが、冒頭部分にありました。なるほど。
・伏見憲明『〈性〉のミステリー』(講談社現代新書)……副題「越境する心とからだ」。気軽に読めそうな感じです。
さてどんな本があったかというと……
・藤井貞和『物語の結婚』(ちくま学芸文庫)……古代の結婚や性について。「古代は性について大らかだった」という従来の通念にはなんとなく疑問をもってましたが、その点にも触れてるようです。
・細川涼一『漂泊の日本中世』(ちくま学芸文庫)……「両性を持つ白拍子」というのが最初の項のタイトル。
・『日本の中世4 女人、老人、子ども』(中央公論社)……事前に知らなかった本ですが、最初のほうに「乳母の力」という見出しタイトルがあります。細川涼一氏も執筆。
・網野善彦『中世の非人と遊女』(講談社学術文庫)……有名な人の本なのでついでに。
・八木公生『天皇と日本の近代(上)』(講談社現代新書)……明治天皇の女装姿の克明な描写があるとネットで見たのですが、冒頭部分にありました。なるほど。
・伏見憲明『〈性〉のミステリー』(講談社現代新書)……副題「越境する心とからだ」。気軽に読めそうな感じです。
山伏と持者〜『七十一番職人歌合』から
2005/02/22
古典文学
『七十一番職人歌合せ』は、室町時代に、さまざまな職業の人をテーマに和歌を詠み合った和歌集です。その六十一番目に「山伏」と「持者」が出てきます。山伏の歌は、出羽の羽黒山の山伏が紀州の熊野へ修行に入る「峰入り」のときの歌です。持者という、山伏のような巫女のような人も、山伏とともに峰入りに来たようです。持者を詠んだ歌が二首あります。
先達の慙愧懺悔は我やせん いたの目につくむしのしたかな
意味は、先を行く立派な先達の山伏に代わって私が懺悔をしよう。板に付く虫の舌になっているから。となりますが、板とか虫とかいうのは、つまり女性のことを板といったらしく、板(女)にくっついているナメクジ(虫の舌)のようなものが山伏だという皮肉のようです。
いかにして気疎く人の思ふらん 我も女のまねかたぞかし
どうして疎ましく思われるのでしょう。私は女装をしているのです。という意味です。近ごろの山伏は堕落したもので女を連れていると思われるかもしれないが、私は女ではありません、となってオチがつくのでしょうか。
岩波版「新日本古典文学体系」の注釈によると、持者は女装していたことが多く、鎌倉鶴岡八幡宮の歌合にも持者の歌があるようです。
★追記 地者
小学館『国語大辞典』では、持者は「地者」と書き、「山伏と同じような行者の一種、一節に巫女の一種とも。」と説明。語林集成から「まじないによって悪霊を退散させる巫女」と引用。
『七十一番職人歌合』では山伏とともに熊野に入峯するさまを詠んでいるが、ふだんから共に行動しているわけではないようです。
叔母の力
2005/02/16
トランスジェンダー史
西日本を主に、男子の成年式のときに叔母(伯母)が褌を贈る「へこ祝い」という風習がありました。「ふんどし祝い」ともいい、「おばくれふんどし」ともいいます。成年になるのだから古い時代にはいわゆる性の伝授も行われたともいわれますが、たぶんそれは本当のことなのでしょう。戦国時代には武士の小姓となる少年が相手の武士から褌を贈られたという話もあります。どこの地方の話か忘れましたが、成人となる若者が、叔母からもらった赤い腰巻を着けて危険な場所を走りまわるようなお祭りがありました。腰巻ということは、ずっと古い時代の女装の名残りのようにも思えます。古代にヤマトタケルが女装したとき、その衣装は叔母の倭姫(やまとひめ)から借りたものでした。
叔母と甥の関係で一番古いものは、神話時代の海彦山彦の話にあります。山彦と豊玉姫の間に生まれたウガヤフキアヘズの尊は、母の妹の玉依姫(たまよりひめ)に養育され、のちに結婚します。叔母が乳母になり、母方の叔母との結婚となります。民間のへこ祝いでも、母方の叔母からもらうとする例が多かったような気がします。ただ、ヤマトタケルのときの倭姫は父方の叔母ですが、この話では倭姫が天皇の妹で伊勢神宮の斎宮であるという宗教的な面が強調された話になっているのだと思います。
鎌倉時代に鶴岡八幡宮の境内で源実朝が公暁に暗殺されたのは、北条氏のさしがねだという解釈が多かったのですが、小説家の永井路子によれば公暁の乳母だった三浦氏の計略であり、この説が主流になりつつあるらしいですが、乳母と甥がいかに密接な関係だったかということでしょう。公卿が八幡宮の境内に立ったとき、僧の姿だったともいいますが、女装だったという話もあり、公暁の女装も唐突な話ではないわけです。
なぜ叔母はこれほどの力をもち、甥を女装させたがるのでしょうか。それはなかなか難しい問題です。
江戸時代の女性〜杉浦日向子『お江戸でござる』から
2005/02/14
ジェンダー
ワニブックスの『お江戸でござる』は「杉浦日向子監修」となっていて、NHKの同名の人気番組の「おもしろ江戸ばなし」のコーナーの内容が、本にまとめられたものです。「かかあ天下」というページを読んでみました。
江戸の町では女性が大事にされたそうです。女性の人口がかなり少なかったとありますが、おそらく地方の次男三男以下の男たちが職を求めて江戸に出て、そういう長屋住まいの男たちがたくさんいたためと思います。ですから嫁をもらえない男性が多くなるわけで、お上も女性は二度以上結婚することを奨励したとか。男性が多いということは、髪結いや女中など女性の仕事の需要も多く、共稼ぎは当然ということになって、男性も鍋や釜を磨いたりの家事労働をよくしたとか。男子厨房に入らずとかいうのは明治時代以後の軍国思想によるものなのでしょう。
以前は時代劇などで男が「三くだり半をたたきつける」という言いかたがありましたが、それは「三くだり半」の意味を取り違えた間違いだったという理解が広まり、今はあまり使われません。女性が自由に再婚するために必要な離婚証明書として、男性がやむなく書かされるものが「三くだり半」ということです。明治以来の男性優位思想が歴史をも見誤らせたわけで、この「三くだり半」以外にも常識と思い込まされてきた固定観念は他にもたくさんあることでしょう。
江戸の女性にとっての理想の男性は、「おもしろくて家を明るくしてくれる男性で、収入はあまり関係ありません。自信のない男性は、駄洒落をいくつか習ってから嫁をもらいます」ということだそうです。
江戸の町では女性が大事にされたそうです。女性の人口がかなり少なかったとありますが、おそらく地方の次男三男以下の男たちが職を求めて江戸に出て、そういう長屋住まいの男たちがたくさんいたためと思います。ですから嫁をもらえない男性が多くなるわけで、お上も女性は二度以上結婚することを奨励したとか。男性が多いということは、髪結いや女中など女性の仕事の需要も多く、共稼ぎは当然ということになって、男性も鍋や釜を磨いたりの家事労働をよくしたとか。男子厨房に入らずとかいうのは明治時代以後の軍国思想によるものなのでしょう。
以前は時代劇などで男が「三くだり半をたたきつける」という言いかたがありましたが、それは「三くだり半」の意味を取り違えた間違いだったという理解が広まり、今はあまり使われません。女性が自由に再婚するために必要な離婚証明書として、男性がやむなく書かされるものが「三くだり半」ということです。明治以来の男性優位思想が歴史をも見誤らせたわけで、この「三くだり半」以外にも常識と思い込まされてきた固定観念は他にもたくさんあることでしょう。
江戸の女性にとっての理想の男性は、「おもしろくて家を明るくしてくれる男性で、収入はあまり関係ありません。自信のない男性は、駄洒落をいくつか習ってから嫁をもらいます」ということだそうです。
キーワードはノスタルジー
2005/02/11
トランスジェンダー・性同一性障害
検索でホームページに来る人のキーワードを見てみました。
今月10日間のデータです。「ニューハーフ」が多いのは、お店で働いてなくても、気持ちが女の子という意味で「女装」より好まれる言葉なのかもしれません。「両性具有」は調べ物で検索した人たちでしょう。「鳩子のホームページ」というのは、ブックマークしておいてばれたら困る人たちが、いちばん簡単にたどりつける方法ですよね。1件だけですけど「ノスタルジー」というのも良いです。この1語だけでは上位に出ないでしょうから、複数のキーワードでしらべたのかしら。こういうキーワードで来てくれたなんて、うれしくなってしまいます(*^.^*)
7 ニューハーフ
7 ホームページ
5 両性具有
4 鳩子
3 鳩子のホームページ
2 写真
1 純女
1 掲示板
1 女装
1 異性装
1 ノスタルジー
7 ホームページ
5 両性具有
4 鳩子
3 鳩子のホームページ
2 写真
1 純女
1 掲示板
1 女装
1 異性装
1 ノスタルジー
今月10日間のデータです。「ニューハーフ」が多いのは、お店で働いてなくても、気持ちが女の子という意味で「女装」より好まれる言葉なのかもしれません。「両性具有」は調べ物で検索した人たちでしょう。「鳩子のホームページ」というのは、ブックマークしておいてばれたら困る人たちが、いちばん簡単にたどりつける方法ですよね。1件だけですけど「ノスタルジー」というのも良いです。この1語だけでは上位に出ないでしょうから、複数のキーワードでしらべたのかしら。こういうキーワードで来てくれたなんて、うれしくなってしまいます(*^.^*)
「小股の切れ上がったいい女」とよく言います。
その意味について、あるいは「小股」とは何かについて、いろんな説があります。そういういろんな説を調べあげた人がいます。
このページ
接頭語の「小」は、「小首をかしげる」「小耳にはさむ」など、そういう首や耳があるのではなく、「かしげる」や「はさむ」にかかって「少しかしげる」「少しはさむ」という意味だとある国語学者が言っていた記憶があります。
では、「こ憎らしい」とか「こきたない」「こっぱずかしい」という場合も「少し」の意味なのでしょうか。そうではなく、「こ」をつけないでそのまま言うのはストレートすぎて、粋でないということなのではないでしょうか。「小」をつけたほうが「粋」、というよりやはり「小粋」なのかも。「こ」は客観的な描写に関するものではなく、話し手の感じ方の問題なのでしょう。
さて、前記のページで紹介された説の中で、いちばん色っぽい説明のあるのは、杉浦日向子さんの説です。
「膝から腿のあたりが切れ上がっていて、ちらりちらりとすそが開いてたいへん色っぽいわけです。そこへ風でも吹こうものなら、「小股」があらわになってしまいます。(杉浦日向子 ぶらり江戸学)」
「股」にはからだの部分のほかに袴などの着衣の「股」があります。着物には股はありませんが、女性が着物で歩くときに裾がちらりちらりと開いて、その開いた部分が上に切れ上がったように見えるので、その部分を「小股」と呼んでもいいような気がします。けれども風が吹いて初めてあらわになるのが小股のようではあります。
もう一つ気になるのは折口信夫の説です。
「女陰の陰裂の長さ(折口信夫)」
本当はその通りなのでしょう。これは本人の発言を筆記した人がいたのでしょうが、その部分だけが引用されたり伝聞されたりで、粋な表現では伝わっていません。
http://plaza.rakuten.co.jp/yumecollection/diary/200506170000/(「困った話」・・ではなくて「小股」のお話 --Yume Collection)
★追加 杉浦日向子さんの説では
江戸時代の着物は今よりずっと裾が開きやすく、風が吹くと太ももがちらちら見えることもあったそうです。小股が見えてしまうこともあったとか。
小股が切れ上がっているというのは、横から見たとき太ももから足首までがS字型にしなっていて、前から見れば太ももが細くて間にすきまがあり、つまりO脚ぎみなのですが、歩くときの裾さばきがとても綺麗で色っぽく見えるんだそうです。
その意味について、あるいは「小股」とは何かについて、いろんな説があります。そういういろんな説を調べあげた人がいます。
このページ
接頭語の「小」は、「小首をかしげる」「小耳にはさむ」など、そういう首や耳があるのではなく、「かしげる」や「はさむ」にかかって「少しかしげる」「少しはさむ」という意味だとある国語学者が言っていた記憶があります。では、「こ憎らしい」とか「こきたない」「こっぱずかしい」という場合も「少し」の意味なのでしょうか。そうではなく、「こ」をつけないでそのまま言うのはストレートすぎて、粋でないということなのではないでしょうか。「小」をつけたほうが「粋」、というよりやはり「小粋」なのかも。「こ」は客観的な描写に関するものではなく、話し手の感じ方の問題なのでしょう。
さて、前記のページで紹介された説の中で、いちばん色っぽい説明のあるのは、杉浦日向子さんの説です。
「膝から腿のあたりが切れ上がっていて、ちらりちらりとすそが開いてたいへん色っぽいわけです。そこへ風でも吹こうものなら、「小股」があらわになってしまいます。(杉浦日向子 ぶらり江戸学)」
「股」にはからだの部分のほかに袴などの着衣の「股」があります。着物には股はありませんが、女性が着物で歩くときに裾がちらりちらりと開いて、その開いた部分が上に切れ上がったように見えるので、その部分を「小股」と呼んでもいいような気がします。けれども風が吹いて初めてあらわになるのが小股のようではあります。
もう一つ気になるのは折口信夫の説です。
「女陰の陰裂の長さ(折口信夫)」
本当はその通りなのでしょう。これは本人の発言を筆記した人がいたのでしょうが、その部分だけが引用されたり伝聞されたりで、粋な表現では伝わっていません。
http://plaza.rakuten.co.jp/yumecollection/diary/200506170000/(「困った話」・・ではなくて「小股」のお話 --Yume Collection)
★追加 杉浦日向子さんの説では
江戸時代の着物は今よりずっと裾が開きやすく、風が吹くと太ももがちらちら見えることもあったそうです。小股が見えてしまうこともあったとか。
小股が切れ上がっているというのは、横から見たとき太ももから足首までがS字型にしなっていて、前から見れば太ももが細くて間にすきまがあり、つまりO脚ぎみなのですが、歩くときの裾さばきがとても綺麗で色っぽく見えるんだそうです。
吉行淳之介の「男娼会見記」
2005/02/08
本
吉行淳之介の「男娼会見記」というエッセイを読んでみました。『吉行淳之介エッセイコレクション2』(ちくま文庫2004年)に収録されています。または『紳士放浪記 男と女のにんげん術』(集英社文庫1987年、単行本は1963年)。
戦後の上野界隈に縁のあったおTさんという人と会見したときの話を中心に書かれています。吉行淳之介自身はそういう性向や趣味はないと書いています。さらに「私はソノ道の専門語でいえば"純綿"」なのだそうです。私は「純綿」の意味がよくわからず、「部外者」というような意味かしらとも思いました。でも念のために調べてみました。
「トランスジェンダー用語の基礎知識」によると、「純綿」とは、生まれながらの女性の意味で、品質の良い純綿と、安価なまがいものの化学繊維との比喩から使われ出した隠語らしいです。「純綿」から「純女(じゅんめ)」という言葉もできたとのことです。
となると吉行淳之介は純綿の意味を取り違えています。しかし……と私は思いました。吉行淳之介ほどの人が言葉を間違えるのは奇妙なことです。けれど彼は、自分にはそういう性向や趣味はないと書いていましたね。それを証明するためにわざと間違えて見せたのかもしれません。
おTさんの上野時代の思い出話にこんなのがありました。女性と信じて疑わないでいる男性との接し方についてです。
「ええ、その代り神経使うわよ。泊りの場合なんかね、お床に入る体位とか、ことが済んでそのあとの体位とか、翌朝太陽の直射を受けないような場所を考えるとか、ずいぶん気を使うわよ。それから、お茶を飲むときにうまく喉仏をかくすようにするとか、ほんとうに神経を使うの。だからこんなに痩せちゃうのよ」
お床でのレンコンというテクニックもありましたし(鳩子の日誌コラムの2004年12月28日)、すごいテクニックなんだろうなと思います。おTさんは、ある学生さんからプロポーズされたとき、自分の本当のことを言って断ったことがあるそうです。
「そうしたら、その学生が"ボクまだ童貞なんでしょうか"て訊ねるのよ。だから私、だいじょうぶまだ童貞よ、て言って安心させてあげたわ」
ユーモアもある優しい心遣いだと思います。でもやっぱり童貞の若い青年が多かったのかなとも思いました。
「私、世間の人にもっと大きな目で見てもらいたいのです。もちろん、私たちのやっていることが、普通の人のすることじゃないと思っています。これが当り前とは思っていないのですけれども、本人がしたくてしているわけでなし、親がそういうつもりで生んだわけじゃなし。……」
おTさんのこの言葉のうちの「本人がしたくてしているわけでなし」という部分が、とても気に入っています。今の人なら「誰にも迷惑をかけてないし、したいようにしてなんでいけないの」という言い方になるのでしょう。でも、好きこのんでこういう性向に生まれたわけじゃないんだという言い方が、人生の奥深さや懐かしい風情が感じられて、良い言葉だなと思いました。
戦後の上野界隈に縁のあったおTさんという人と会見したときの話を中心に書かれています。吉行淳之介自身はそういう性向や趣味はないと書いています。さらに「私はソノ道の専門語でいえば"純綿"」なのだそうです。私は「純綿」の意味がよくわからず、「部外者」というような意味かしらとも思いました。でも念のために調べてみました。
「トランスジェンダー用語の基礎知識」によると、「純綿」とは、生まれながらの女性の意味で、品質の良い純綿と、安価なまがいものの化学繊維との比喩から使われ出した隠語らしいです。「純綿」から「純女(じゅんめ)」という言葉もできたとのことです。
となると吉行淳之介は純綿の意味を取り違えています。しかし……と私は思いました。吉行淳之介ほどの人が言葉を間違えるのは奇妙なことです。けれど彼は、自分にはそういう性向や趣味はないと書いていましたね。それを証明するためにわざと間違えて見せたのかもしれません。
おTさんの上野時代の思い出話にこんなのがありました。女性と信じて疑わないでいる男性との接し方についてです。
「ええ、その代り神経使うわよ。泊りの場合なんかね、お床に入る体位とか、ことが済んでそのあとの体位とか、翌朝太陽の直射を受けないような場所を考えるとか、ずいぶん気を使うわよ。それから、お茶を飲むときにうまく喉仏をかくすようにするとか、ほんとうに神経を使うの。だからこんなに痩せちゃうのよ」
お床でのレンコンというテクニックもありましたし(鳩子の日誌コラムの2004年12月28日)、すごいテクニックなんだろうなと思います。おTさんは、ある学生さんからプロポーズされたとき、自分の本当のことを言って断ったことがあるそうです。
「そうしたら、その学生が"ボクまだ童貞なんでしょうか"て訊ねるのよ。だから私、だいじょうぶまだ童貞よ、て言って安心させてあげたわ」
ユーモアもある優しい心遣いだと思います。でもやっぱり童貞の若い青年が多かったのかなとも思いました。
「私、世間の人にもっと大きな目で見てもらいたいのです。もちろん、私たちのやっていることが、普通の人のすることじゃないと思っています。これが当り前とは思っていないのですけれども、本人がしたくてしているわけでなし、親がそういうつもりで生んだわけじゃなし。……」
おTさんのこの言葉のうちの「本人がしたくてしているわけでなし」という部分が、とても気に入っています。今の人なら「誰にも迷惑をかけてないし、したいようにしてなんでいけないの」という言い方になるのでしょう。でも、好きこのんでこういう性向に生まれたわけじゃないんだという言い方が、人生の奥深さや懐かしい風情が感じられて、良い言葉だなと思いました。
ある老齢の男性が女性の手紙に返事を書こうと、宛て名に「鈴木よし様」と書いたら、見ていた奥様に「そういう場合は"子"を付けて「よし子様」と書くのが礼儀ですよ」と言われたそうです。その奥様の女学生時代は、たいていは2文字の名前に「子」をつけて呼び合っていたのでしょう。そしてだんだんと最初から「子」を付けた女性の名前が普及し始めた時代でもあったようです。それより昔の明治時代ではたぶん「およしさん」と呼ぶのが普通だったかもしれません。そういうのがだんだん古臭く、あまり品もないように感じられるようになり、「よし子さん」という呼び方に変わっていったのでしょう。どちらの時代にあっても、女性の名前は「お」を付けたり「子」をつけたりして、実名のままでは呼ばないのが普通でした。
もっと時代をさかのぼれば、紫式部や清少納言のような有名な人でも、歴史にその実名が残ることはあまりありません。更級日記を書いた人も「菅原孝標の女(むすめ)」としか名のらないわけです。紫式部や清少納言の名の意味も父親の職名などに由来する呼び名でした。
男性はどうだったかというと、江戸時代までは、最初に幼名で呼ばれ、成人してから別の名前になりました。場面によっては実名を呼ばない傾向もありますが、女性ほどではありません。百人一首で鎌倉右大臣とあるのは源実朝のことですが、そのように身分の高い人を実名で呼ばずに官職名で呼ぶのは、今の企業組織内で上役の人を職名で呼ぶのと同じようなものです。女性が徹底して実名で呼ばれないのは、女性そのものが何らかの意味で高い身分のようなものと通じるようなある種のものを供えていたのかもしれません。つまりそれは女性はみんな巫女であるような宗教的な何かです。
男性が強く名のるときは、敵意を表明するときか、服従するときです。敵意については、武士の戦での名のりは欠かせないものです。服従については、天皇から冠位を賜るときにも名前を献ることは必要なことだったのではないかと思います。男性の公の生活は、服従と支配の繰り返しばかりです。
女性がその名前を男性に呼ばれると、女性の魂が男性のものになってしまう言霊(ことだま)という信仰ないし考え方もありました。魂だけでなく肉体も、です。これも一種の「服従」なのでしょうが、男女で名前を呼びあうのですからいわば「相互服従」のようなものです。名前を呼び合うことから男女の密会をヨバイ(呼合い)というようになりました。(「夜這い」と書くのは宛て字です。)それはともかく、女性が本当に服従した対象とは、男性にとっての天皇や公の存在に匹敵するような、陰の部分でのある神聖なものだったのでしょう。
大河ドラマの女優の眉
2005/02/02
ジェンダー
NHK大河ドラマの『義経』を2、3回見ました。美輪明宏の役柄がどんなだったか見落としたのでそのことはあとにして、一つの違和感は女優さんがたの眉でした。個性的な女優がたくさん出演していて、眉のかたちもみな個性的でした。最初はなんとなく髪型が似合わないのかなと思って見ていたのですが、ふだんの眉のお手入れがそれぞれ個性的で、それをいかしたメイクなのでしょう。最近は眉や額を見せる髪型が主流になってますから、個性的な眉を競うことになってるのかもしれません。
私の髪型は、前髪を眉のところまで垂らしているので、眉の形を整えるなんていうことはあまりしたことがないのですが、たまに眉の端に先細りに線を書き足すくらいです。でも目と眉の距離が狭いオトコ顔できりっとしてしまうので、イメージに合いませんから、やっぱりこれからも前髪は垂らすことでしょう。
常磐御前役の女優さんの眉はいちばん感じが良いものでした。常磐御前はうつむきかげんのシーンが多く、左右の髪が少し下がってこめかみを隠しますから、ぼんやり見ていたら顔の輪郭が下ぶくれに見えました。平安時代の絵巻きで女性たちがみな下ぶくれの顔に描かれるのは、そういう風にうつむいて前を見ない姿だからなのだとも思いました。細い目に描かれるのは、伏し目がちだからとは聞いたことがあります。正面を見ないということは、男と目と目が合ったら「OK」の意味にとられてしまうからですよね。
私の髪型は、前髪を眉のところまで垂らしているので、眉の形を整えるなんていうことはあまりしたことがないのですが、たまに眉の端に先細りに線を書き足すくらいです。でも目と眉の距離が狭いオトコ顔できりっとしてしまうので、イメージに合いませんから、やっぱりこれからも前髪は垂らすことでしょう。
常磐御前役の女優さんの眉はいちばん感じが良いものでした。常磐御前はうつむきかげんのシーンが多く、左右の髪が少し下がってこめかみを隠しますから、ぼんやり見ていたら顔の輪郭が下ぶくれに見えました。平安時代の絵巻きで女性たちがみな下ぶくれの顔に描かれるのは、そういう風にうつむいて前を見ない姿だからなのだとも思いました。細い目に描かれるのは、伏し目がちだからとは聞いたことがあります。正面を見ないということは、男と目と目が合ったら「OK」の意味にとられてしまうからですよね。
写真の人物の頭部の背後に小さい木の札が写っていて、「玉牡丹」と書いてありました。後ろの花は山茶花にちがいないだろうにと思って、「玉牡丹」という言葉を調べてみたら、梅のことだそうです。写真をよく見たらすぐ後ろに梅の幹が見えました。タマボタンでなくギョクボタンと読み、普通の梅のことだそうで、あまり良いネーミングとは思えませんね。黄梅(オウバイ)という花は、梅に似ていますが、モクセイ科の花だそうです。中国北部では「迎春花(インチュンホワ)」といい、春の訪れを告げる花として親しまれているそうで、良い名前です。
ところでGoogleで「迎春花 鳩子」で検索したら、28日書き込みのあるブログのページが出ました。2、3日してこのページも出たらうれしいですね。(24時間以内にinfoseekの検索に出たようですが、infoseekは使う人が少ないでしょう)
| HOME |



