Category: トランスジェンダー・性同一性障害
……というタイトルでなにか書こうなんて思いましたが、うまく書けないと思います。
トランスの歴史については、ほんとうは、普通の無名の人たちのことを、いちばん知りたいし書きたいわけです。でも資料なんてありません。

牧歌的……というより、牧童のことですが、
牧童というのはなぜ「童」という字を使うのか、翻訳語ではあるのでしょうが、もしかすると昔の日本で「牛飼い童」という人たちがいたので、そのへんと関係あるのかもしれませんね。

大辞林を見ると
「うしかいわらわ【牛飼い童】 牛車(ぎつしや)の牛を扱う者。成人でも狩衣(かりぎぬ)を着、もとどりを放った童形(どうぎよう)でいる。 」

「もとどりを放つ」とは、髪を結わないで、長いまま垂らすだけで、かぶりものも着けないことです。
こういうのを、童形といってますが、普通の成人男性の身なりではないわけです。成人女性も髪は結ってましたから、それとも違います。

そんなわけで、今日は時間が牧歌的に過ぎていってるようなので、続きはまたいつか。
高校のときの数学が、なぜあれほどできなかったのか、思い出してみると、あるとき1週間ほどさぼったために、その直後からついていけなくなったようなところがあったかもしれません。あれは何か積み重ねのようなもので先へ進んで行くのかもしれませんね。

その点、現代国語などは、何の準備も必要なく、気が向きさえすれば、いつでも授業に入って行けたようなところがあります。
あるお父さんが高校生の息子の国語の点が悪いので良いアドバイスはないかというので、普段から新聞や本を読んだり日記を書くのも良いかもしれませんと適当に答えたことがありますが、数学と違って即効性のある勉強法というのはないのだと思います。

そして現代は即効性のあるほうへ人が流れてゆきます。ちょっと勉強したら良い点がとれたから自分は理系向きなのだと思い込む人も増えているのかもしれません。

世の中は一つの方向への積み重ねばかりとは限らないわけです。そうではないことがたくさんあります。いちばん下に積んでおいたものが、本当はもっと表面に置くべきものだったり、順番がひっくりかえったり、見向きもされないことがいちばん大切なことであったりします。

従来の"TS道"や"GID道"は、単一方向への積み重ねの発想そのものですから、そういうのにちょっと疲れたなと感じたら、新しい別の発想を取り入れるのが良いと思います。
6/16の「文系なものですから」で書いたことは、限られたデータだけで判断できる人と、データが変わる可能性を想定して判断できない人がいるのではないかということでした。後者が文系ということでした。

けれどある種の行動となるとどうでしょうね。データが明らかに不足だとわかっているので、判断できないというか、行動にも移せないというか、恋愛問題などで考えすぎで、奥手になるのは、理系タイプなのかもしれませんね? 
文系的発想では、気持ちが変わらないうちに行動に移さないといけないですし、あとから新発見がついてくるものなのかもしれません。

でも私はギャンブルはまったくダメなのです。子どものころメンコやベーゴマくらいやっていれば、人生のある時期に思い切ったことができるのかもしれません(フルタイムのトランスライフとか)。
色あせないうちに記憶にとどめておこうという行動はできるのですが、2つのうち1つを選ぶのはあまりできないです。
でも1つに決めないことで、はじめて見えてくるものもあるのではないかと思うのです。つまり「決断しない力」ですね ^^;

話変わってまた選挙があるそうですが、そういうときによく耳にする「実行力」とか「決断力」とはなんのことなんでしょうね。言葉に対する「鈍感力」のなせるわざではあるのでしょうけど。
先日、プチうつ状態のときに、Googleで探したキーワードは、「医学ファシズム」。ヒットしませんでした。最近「禁煙ファシズム」という言葉も聞いたことがありますし、まだ「GIDファシズム」という言い方をする人はいないようですが、医学方面はどうなってるのかしらと思ったわけです。でも今日になって「医療ファシズム」でぐぐってみたら、たくさん見つかりました。

池田光穂という人の『患者と国家』というページ。
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000721natio.html
内容も難しくて毒がありそうですね。
その中で、『社会学事典』から政治学者の山口定氏のファシズム定義を引いて来ておっしゃるには、言われているところの「医療ファシズム」とは1960年代以後の近代医療がずっと批判されて来た問題にすぎないと書いてあります。

あたしの話は微妙にずれて行きますが、そこの「ファシズム定義」に、こんなのがあります。
「3.[体制]後発帝国主義国家で、体制の定着にともなって急進分子が排除され、テクノクラートと技術的近代化がみられる。」
……「後発帝国主義国家」とは先の大戦での日独伊のことを言ってるわけでしょうね。あたしなどから見ると原爆を落した人たちもファシズムじゃないかと思うのですけど。
ファシズムという言葉の意味するところはとてもあいまいです。

池田氏は「私がファシズムという用語を好んで使うのは、……社会科学の分析概念として厳密に用語を使い回ししているのではなく、それを聞く人の感情を逆撫でする戦略的用語であることを了解してほしい」のだそうです。でもよく考えてみると、これまでに「社会科学の分析概念として厳密に用語を使」った人が、はたして何人いたでしょうか。一人もいなかったかもしれません。この言葉は政治の世界に登場したときから「戦略的用語」だったですし、それ以上どのくらいのものになったのか、心もとないと思います。

でも最近はなんとなくファシズムっぽいんですよね。ファシズムとは、宗教ではないのに宗教の悪い部分を全部持ってる感じ。排他的で、選民思想とか、一神教的な宗教のことですね。日本にもそういう時代があったのでしょう。
ファシズムの危機を宣伝するのもまた「戦略的用語」なのでしょうけど、最近のこの鬱々とした気分はなんなのでしょう。

「テクノロジーへの偏愛」、その通りかも。実はフェティシズムには要注意かも。あるいは未来派の問題です。
「社会ダーウィニズム」、こういう言葉があったのを思い出しました。5/11の『トランス系譜学とは』で書いたことは、このことでした。「ジェンダー・ダーウィニズム」だけは勘弁していただきたいですね。
日本文化というのは本来がオタク文化ではないかという気がします。

スポーツでも、柔道、剣道など、「道」にしてしまうわけです。そこにはとても真面目な求道者たちがいて。マラソンでも、瀬古選手・増田明美選手の時代は、とても悲壮感を感じました。最近はそういう選手は少ないですが、高橋尚子選手のはらはらさせるところは、悲壮感の延長線上のものだと思います。(柔道や剣道のことはわからないのですが)

FtMトランスジェンダー・サイトの中にも、小数ですが、かつてのマラソン選手のような悲壮感を感じてしまう人がいます。「がんばって」としかいいようがないような、でももう少し琴の糸をゆるめてほしいようにも思います。
果てしなく努力してゆくさまは、なんとなく「GID道」みたいで……。

MtFのGIDさんのサイトになると、法律オタク、医療オタクという感じもします。でもまだ「道」までは昇華していないというか、普通の職人さんのように、具体的な技術の細かい解説はできますが、普遍的なことを語る言葉がまだ見つからないように見えます。

鳩子のサイトはどうかというと、技術解説はあまりありません。精神論は少しあるかもしれませんが、一筋の「道」のようなものには懐疑的です。ちょうど江戸の若旦那のように、あちこちの芸や道楽に首をつっこんで、批評精神はあるけれど一つもものになりません。でも、あえていえば「茶道」に近いかもしれませんね?。
「道」というのは、どこか自閉的で、広い意味でのオタクの文化のような気がします。

ここからは脱線ですが、
ここでふと「オタク道」という言葉が既に使われているのではないかと思いました。やっぱりありました。
http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/column01_0.htmこのページはすごいですね。オタクとは何かが、とてもわかりやすいです。
でも現代思想のパロディとして笑いながら読むのならいいのですが、あまり真面目にラジカルに走りすぎると、何も語らないのがオタクだという自己矛盾に陥ってしまうのではないかと心配です。
純粋なオタクは社会を動かそうとは思わないのでしょうが、普通なオタクは数がまとまってしまう傾向がありますから、社会への影響のことも考えないといけないのでしょう。
健康についての人々の考え方が、ある時代から変わってしまったというお話です(上杉正幸さんという人の本を読んだ感想です)。

1960年代ごろまでの怖い病気の代表といえば、結核やコレラなどの伝染病だったそうです。それらの病原菌に感染していなければ、人は健康なのであって、大多数の人々は自分は健康だと思っていたらしいです。

1970年代ごろから、病気の代表は、ガンや脳梗塞や糖尿病などに変わりました。こういう病気には、はっきりした原因は見つからず、「慢性疾患」などと言われるそうです。原因がよくわからないので、生活環境の中で少しでも健康に危険と思われるものを排除したり、または健康食品にとびついたり、健康神経症のような時代になってしまっています。人々は皆、自分は何らかの病気をかかえていると思うようになり、健康な人は一人もいなくなってしまったかのようです。

高校野球の球児たちは試合に出場するために健康診断を受けるそうですが、昔の診断書には「数日間の競技に耐えられる健康な体であることを保証する」と書かれていたのが、今は「検査の時点において異常のないこと認める」としか書かれないそうです。医学は進歩することによって逆に自信喪失に陥ってしまったかのようです。
禁煙治療というのができて、健康保険も適用されるそうですから、一つの新しい病気が発見されたことになります。病原菌をほぼ駆逐してしまった医学の進歩は、今後も次々に新しい病気の発見に邁進していくのかもしれません。それだけが医学の自信回復ではないとは思いますが。
性同一性障害という病気も、このような時代に初めて発見されたものであるということは、肝に銘じておく必要があるのかも。
けっきょく「病気と上手につきあう」しかないわけなのでしょう。
森昨年ある精神科医の先生の本(新書判)を読んでいたら、現代人は病気になりたがる、というようなことが書いてありました。病気と認定されただけで、とても気持ちが楽になる人が増えている、というな話です。性同一性障害に関してもそれは言えることなのでしょう。
その先生は、フレキシブルな気持ちの持ちようの話を書かれていましたが、詳しいことは忘れました。あとでまた読んでみます。

なぜ病気と言われて気持ちが楽になるのか、ちょっと考えてみたのですが、やはり人間関係が希薄になってしまった社会だからなのでしょうね。仕事やいろんなおつきあいの中で、「仮病と思われてはしゃくにさわる」と考えて無理する人も多いと思います。仕事に打ち込むことによって人間関係を忘れることができるということもあるのでしょうが、それがかえって人間関係を希薄にさせます。家族関係まであやふやになってしまうと、家族のいたわりよりも、病気という科学的な認定のほうが信用できることになってしまうのかもしれません。
病気の認定は国家も保障します。最近の若い人たちに増えてきたナショナリズムの傾向も、つまるところは、家族関係や地域社会の崩壊によって、信じられるアイデンティティは日本や日本人という枠付けしかなくなってしまったからだとは、よく言われることです。病気で楽になるというのも、心理が良く似ています。

トランスジェンダーの原因の問題も、ちょっと前までは、家族関係やら精神分析やらいろんなことが論じられたのですが、最近は「生まれる前から決まっていた」という科学的な仮説も一部で重宝されています。生まれる前から決まっていたのだったら、こんな楽なことはありません。もしそれを国家が保障してくれたら何も怖くなくなるのかも。だいいち、つらい過去を振り返る必要がなくなります。こんないいことはありません。
けれど、過去を振り返るのにどうしても耐えられないという状態の人は別にして、そういうものでもないような気がするのです。
こんなニュースを見ました。
http://gayjapannews.com/news2007/news22.htm
「365Gay.comが4日伝えたところによると、ネパール政府は、トランスジェンダー女性の市民登録書類に男女両方の性別を記載することを許可した。
 ……
市民登録書類への男女両方の性別記載を認められたのは、チャンダ・モーサルマンさん。モーサルマンさんは、生物学上の男性として生まれた。現在20代のモーサルマンさんは、性別適合手術の第一歩となるホルモン療法などは受けていない。」

「ホルモン療法などは受けていない」というところに、ちょっとびっくり。
そういう方面で遅れていた国という事情で、受けられなかったのか、
本人の考えで受けないのか、どっちでしょうね。
本人の考えだったら、すごいなと思いました。
傘をさして「病気と上手につきあう」という言葉が、いろんな病気について言われていると思います。
「うつ病について」は、こんなようなアドバイスが書かれていました。

鬱病になるような人は、何かにつけてがんばりすぎるきらいがありますので、
がんばらない、何も努力しない、神経を使わないのが良い、というカウンセラーの言葉。

つまり、いーかげん(良い加減)で、てきとー(適当)な生活が良いらしいです。

漢字で書いて「良い加減」とはどんな加減だろうとか、
どのくらいが適当で適切なんだろうなどと考えるのは良くないらしいです。

私もウツな気分になることはありますが、うつ病というほどではないので、
そんなアドバイスを、てきとーに参考にするのも良いかな、と思いました。^^;

その他には、
「笑ってごまかす」……というのも大事ではないかと思いました。
つまり、ユーモアということです。

失敗を笑ってごまかすといえば、普通の若い女性がよく使う手かもしれませんが、それとは別に、
たとえば、病気見舞いに来た人が心配そうで落ち着かない態度だったりしたときに、本人が笑顔をふりまいて、相手を逆に気づかってあげるようなケース。そんな気持ちがあれば、本人も楽になれるんじゃないかと思いました。

以上は別のところに書いたもののまとめですが、「笑いとトランス」について、ちょっとしたヒントが見えたので、別に書きたいと思います。
自閉症とトランスジェンダー(特にFtM)の問題は、これまで何回か書いたと思います。

「自閉症スペクトラム指数自己診断」というのがありました。
http://www.the-fortuneteller.com/asperger/aq-j.html
児童用の診断ということですが、自分でやってみました。点数が高いのが自閉症的傾向らしいです。

あなたの得点は14点です。
社会的スキル   6点
注意の切り替え  1点
細部への注意   3点
コミュニケーション 2点
想像力       2点
閾値内に収まっています。

私の14点は意外に(?)低かったです。
想像力は、私については不足はないでしょう ^^;。
コミュニケーション能力は年齢が上がれば障害は少ないです。できるかできないかと聞かれて、できると答えたものでも、好きか嫌いかということなら、嫌いと答えるかも?
細部への注意、?
注意の切り替えは、「ながら族」ですから問題なし。
問題は「社会的スキル」ですが、これは要するに世間の処世術のような意味ですから、私の場合、自分の人生観の視点で解答してるのでしょうね。つまり自信をもって処世的な価値を認めないわけです。

「注意の切り替え」についてですが、最近のテレビのニュースショーやクイズ番組などで、ぐっと盛り上がって見る者を惹きつけた直後にCMというのは、全然切り替えができないので、ああいうのは見なくなりました。昔の番組ではありえませんでした。ああいう番組は、逆に子どもの集中力を養うのに良くないのではないかと思います。