Category: 手塚治虫のアンドロギュノスたち
昨日は幕末の盗賊の話でしたが、戦国時代の子どもの盗賊・どろろが主人公の手塚治虫のマンガ『どろろ』が、実写版映画で27日公開になるそうです。

どろろ 手塚治虫の『どろろ』は1967〜1968年に少年サンデーに連載された漫画です。
 戦国時代、ある武士が、自分の野望のために四十八匹の妖怪と契約し、そのために、生まれた子どもは肉体の四十八の部分を失った不具の姿でした。その子が百鬼丸です。彼は、生まれてすぐに、たらい船で流されて捨てられました。そして幼いころから放浪をつづけ、一匹の妖怪を退治するごとに、失ったからだの一部分を取り戻して成長してゆくというストーリーは、とても人間的で象徴的なドラマになっています。
 百鬼丸の試練は、父の犯した罪への贖罪の旅なのだともいえます。
 百鬼丸を「あにき」と呼んで慕う少年がどろろです。どろろは戦国時代の戦災孤児で、時には小さな可愛い盗賊にもなって、たくましく生きて来ました。百鬼丸が農民の少女を助けたときに、そばで焼餅を焼いたこともあるどろろは、本当は女の子だったことは、物語の最後の場面で明らかになります。女の子が男の子の姿をしていたことになります。
 けれど、読者の側からすると、それはそれほど突拍子もないことではないように受けとめられました。それは百鬼丸が少しづつ本来の自分の姿を取り戻して変わってゆくわけですから、どろろだけが幼い姿のままで変わらないはずはないのです。
 どろろは、女の子で生まれて男の子として育ったことになります。でも物語を読んでゆけば、男の子としての成長の結末が美しい娘でありうることに、心を動かされます。「女の子→男の子」なのか「男の子→女の子」なのか、それはどちらでもありうることが、少年としての両性具有性ということなのでしょう。
 また戦国の世に男性的な視点からだけでは、平和は訪れないだろうというのが、作者のみかたなのかもしれません。
 そして少年の成長のドラマには、必ず「別れ」が訪れます。(2005/5/26 改訂)

その他の手塚漫画について
→ http://hatopia.hp.infoseek.co.jp/manga/tezuka.htm

テーマ : 手塚治虫 - ジャンル : アニメ・コミック

ホームページで載せた記事を少し書き直した改訂版です。
「手塚治虫のアンドロギュノスたち」というシリーズ。

 『鉄腕アトム』 (青騎士の巻 65年)

 アトムの好きな読者なら、ロボット法というのを知っていると思います。
 「ロボットは人間のために生まれてきた」、
 「ロボットは人を傷つけたり殺したりしてはいけない」、
 こんなことが書かれています。ところが長い連載の最後のころの作品「青騎士の巻」(1965年)では、こんな条文も出てきます。
 「男のロボット、女のロボットはたがいに入れかわってはいけない」(引用画像参照)
 これは人間の法律にもないような性転換の禁止条項で、現代では考えられないような気もしますが、古い手塚作品ではたとえば60年代ごろまでイスラエルの建国が一方的に美化されていたりもしますので、これも作品の描かれた時代の制約なのでしょう。けれど本当のところは、ロボット法に異議をとなえて反乱をおこした青騎士というロボットの性格を際だたせるために、この巻で付け加えられたようにも思えます。つまり青騎士は、男にも女にも入れかわるロボットなのです。
 青騎士は、最初は美しい妹と小さい弟の三人兄弟のロボットとして、ロッス博士によって誕生しました。しかしロボットを憎む人間(ブルグ伯爵)によって妹と弟を破壊され、それを悲しんだ生みの親のロッス博士が、壊れた部品を拾い集め、三体のからだを一つにし、女性の姿にも少年の姿にも変身できるロボットとして再生されたのです。
 青騎士は妙な姿になった自分のからだを嫌いながらも、妹や弟を失った悲しみをからだに内在させ、人間たちへの反抗ののろしをあげました。そしてアトムの立場はどっちにも揺れ動き、攻撃されたロッス博士をかばってあっけなく破壊されてしまうのです。
 アトムはこれ以前にはロボットと人間のどんなトラブルがあっても、最終的には人間の側についてトラブルを回避してきたのです。しかし、ここでそうしなかったのは、手塚治虫という人が、アトムは少女でもあるという強い意識があるためなのでしょう。『鉄腕アトム』の連載開始直前までアトムは少女として構想していたと作者ご本人が語っています。アトムは少女でもあるので、したがって青騎士と同じなのです。
 SFの歴史からいっても、アンドロイドは常に両性具有であったようです。アンドロイドという言葉自体がギリシャ神話のアンドロギュノスから作られたものです。
「鉄腕アトムは幻想上の美少年であり、それは稲垣足穂のいうがごとく、最もハードな美少女以上に美少女である美少年、最も可憐な、美少年以上に美少年である美少女との見事な結合である。」と、天野哲夫氏は『女神のストッキング』(工作舎1981)という本で述べています。
リボンの騎士リボンの騎士。
好きでした。
サファイヤは、普段は男の子の服装をさせられて、でも誰も来ない部屋の中では、女の子にもどって、女の子の服装ができるのでした。

事情があってやむをえず男の子のかっこうをしているけれど、本当は女の子である、という点では、鳩子と同じなのかも??
最後がハッピーエンドになるというところも良かったのです。